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覚悟の決意

 理子から瀬奈を危険に晒した事のお灸を据えられた後、野暮用と称して瀬奈達の大学にやってきた。土方君らに最後かもしれないからと言ってそれぞれやり残した事がないようにと言った。私ははなから死ぬ予定は無いので、自分から言っておいて気にも留めなかったが、やるだけのことはやっておこうと思った。が、授業中故か校内の人間は少ない。屋内で待つのも悪くないがせっかくの晴天なので、木の下で横になって待つ事にした。いつのまにか襲ってきた眠気に抗えず、寝ることなろうとも知らずに。


 数年前


 小神子が来てからしばらく経ったくらいの時。ぼちぼち彼女に私のやっていた表の仕事をやらせようと思案していた。


「社長、少しよろしいですか?」


「社長はよしてくれ。名前で呼んでくれといつも言ってるだろ。で、どうした?」


 最初の頃の小神子は社会人としても人としても真っ当な人間だったと記憶している。今もそうであるが、私の好意を隠さない時は、あまりそうと言えない時がある。


「その呼び方に関する事で聞きたいのですが、何故名前で呼ばせるのですか?会社では名前でなく、役職で呼ぶのが論理的だと思うのですが」


 そうそう、最初の頃は今ほど柔らかい性格でなかった。


「仮にも社長であるが、ここはお堅い雰囲気を求めていない。まあ俺が社長っていうものの意識が薄いせいでもあるが。会社は会社だが、ここにいる間は高校や大学のサークルとか同好会にいるみたいに気楽にしてもらって構わない。むしろここはそういう場所にしたい。だから、俺のことは名前で呼んでほしいし、君の方が年上なんだから敬語の必要もない」


「……わかり……わかったわ」


 反射的に返事がかしこまりそうだったが、すぐに直った。最初こそぎこちなかったが徐々に今のような感じになっていった。


 そんなある日


 椅子に座ったまま寝てしまっていたのだろう。意識を取り戻した時、横になっていなかった事に気づいた。すると次の瞬間、心拍が段々と上がり始め、必要以上に大きな呼吸を止まる気配のないままするようになった。


「て、天道さん?」


 過呼吸になっている私を見た小神子は戸惑いを隠せないまま突っ立っていたそうだ。それもそのはず。身近の人間が急に前触れも無く突っ伏して過呼吸を起こしている。何をすれば良いのわからなくて当然だ。


 ーーマスター!大丈夫ですか!?小神子様、タオルと水を持ってきてください。早く!


 私のメンタルや健康面を見ている咲が義体を使って介抱してくれた。小神子は急いでタオルと水の入った桶を持ってきた。咲は私の背中をさすりながら落ち着くように優しく抱擁していた。しかし、こう言ってしまえば元も子もないのだが、義体は人肌の温もりを再現できるほど精密に設計されていないため、抱擁されても感じたのは機械の熱と硬い表面だった。


 私の足が動いていたかは覚えていない。だとしても咲に連れられて書斎に入ったのだろう。私の意識がはっきりした時には書斎のベッドにいた。身体中嫌な汗をかいていたのははっきりと覚えている。


「天道さん!」


 そう言ってそばに座っていた小神子が私に向かって叫んだ。何があったのかは覚えていない。


「俺は……どうしたんだ……?」


 自分の置かれている状況。気づいたらベッドに寝ていた。以上。だが、直前何かおかしな事が起きたくらいしか覚えていないのだった。


「急に過呼吸になって、咲に連れられて運ばれたのよ。咲は今先生を呼んでるわ。その……大丈夫?」


「……わからない。俺でも……何が起きたのかさっぱりだ」


 身体に異常はない。気分が悪いわけではないがどこか晴れない。


「咲から聞いたわ。あなた、元々少年兵だったそうね」


 そう、私の過去を明かしたのは私自身の口からではなく。咲らは嘘をついたり誤魔化したりするプログラムはされていない。最低限アクセス権限はあるが、私の過去は聞こうと思えばいつでも咲らの口から聞けるのだ。


「ああ。俺がこうなったのはだいたい予想がつく」


 数時間後


 私が診断されたのは戦場という極度の緊張状態の場所に身を置いていた反動から来たPTSDだった。風邪と違って一朝一夕で治るものではないとも、薬の服用と精神面の経過観察が必要といわれた。


 後で知った事だが、小神子は咲にこんな事を言われたそうだ。


 ーー小神子様、私からお願いがございます。また今度マスターに同じ事が起きた時、その時は小神子様もそばにいてほしいのです。マスターの症状は十中八九少年兵だった頃の記憶がフラッシュバックしたことによるPTSDなんですが、小神子様は私と違い暖かい血が流れています。それがマスターの安らぎに繋がれば良いのですが。


 というものだ。正直聞かされただけなので一言一句覚えているかは微妙だが。


 そういう事もあってか小神子は今以上にシークに入り浸るようになった。一日中と言っても良い。私が眠り、発作や過呼吸を起こしたり、普段と違う雰囲気になれば小神子が現れて気づけば抱擁されている。小神子も当時のままではダメなのだろうと思ったのか、家事、特に炊事に手をつけ始めたのもこの頃だった。


「天道さん、一つ提案なのですが」


「なんだ?」


 小神子は私が発作を起こす時以外では普段と変わらず接してくれていた。躁鬱気質が一番激しかった時期の私によくここまで出来たので正直驚いた。


「料理、やってみませんか?」


「料理?あまり興味ないんだが」


「天道さんの食べているもの、だいたいジャンクフードじゃないですか。いくらなんでも不摂生が過ぎます。それに、自炊の方が明らかに食費が安くなりますし、スキルの一つとして覚えていても損はないと思います」


 ここからしばらく料理を学ぶのがめんどくさい私とどうしても料理を学ばせたい小神子の問答が続いて、結局最後は私が折れた。当時は気にも留めなかったが、後々小神子が私に好意を抱いていた事、小神子も私と大きな差無く料理を覚え始めた事を考えると何か私と近くにいる口実や理由を作りたかったことと、想い人と一緒に何かをするという彼女にとってかけがえのない時間だったのかもしれない。それを私は今になってそう考える辺り薄情で仕方ない。


 キッチン


「せっかくこんな立派な厨房があるのに使わないなんて勿体ないと思いません?」


 何も言い返せない。宝の持ち腐れというのはこういう事なのだろう。


「じゃあまずはご飯の炊き方から」


「ご飯の炊き方くらい、野戦で何度もやってる。今更……」


「そう、じゃあやってみて」


 ここから自然と小神子の口調が今と同じになった。そして私は今考えれば情け無いことに、米研ぎを行わず、ただ水だけを入れて炊こうとしていた。


「待って待って。それじゃあダメよ」


「いや、この方がすぐで良いだろう」


「これだと絶対に美味しくないわ。ご飯は必ず水で研ぐ事。今は速さ優先じゃなく、美味しさを優先する事。良い?」


 味噌汁


「包丁でものを切る時はこう。もう片方の手でしっかり抑えて、でも切らないように丸めて」


 そう言って油揚げを切ろうとする私の手を正す。物理的な意味でかなり距離感が近いのだが、当時の私はそんな事微塵も考えていなかった。


 ご飯の炊き方と味噌汁の作り方を教わってひと段落ついたところで小神子が聞いてきた。


「あとはおかずね。何か作りたいものはある?」


「そう言われてもな……特に作りたいものはない。何か俺みたいな初心者でも作れるようなもので頼む」


 そう言って小神子が考えると冷蔵庫から卵を二つ取り出した。


「じゃあ、卵焼きとオムレツ。どっちが良い?」


 当時の私の感覚で言えばこうだ。


「何が違うんだ?どっちも卵料理だろ」


「全然違うわ。味付けも作り方も。せっかくだし、両方教えるわ。作れるもののレパートリーも多い方が良いだろうし」


 じゃあ最初の二択はなんだったのだろう。とこの時は思った。


 それからしばらく。仕事のない日は小神子と料理の練習、夜は発作が起きた時のために側にいるような日が繰り返し訪れた。薬を服用していた事もあってか、発作が起きても前よりは落ち着いた。


 ある日の夜


 また発作を起こした私は、小神子に介抱されていた。が、私の気持ちは小神子への申し訳なさが勝っていた。そしてついにその気持ちを吐露した。


「大丈夫?」


「槇田……お前は……なんでここまでしてくれるんだ?一晩中俺のそばにいて、俺に発作が起きれば、寝る間もなく介抱する、普通に考えて俺みたいな愚物、放っておいた方が良いのによ……」


 私がなんとかしなければ、来る日も来る日もそう考えていたが、こんな私に何が出来るのだろうかとなるのがオチだった。


「お前がいてくれるおかげで、俺は戦場じゃなく自分の家にいるんだと思えるんだが、根底から消えないんだ……敵はどこだ、銃はどこだ、ここはどこだ、今はいつの何時だ、他の仲間はどこだ、そして、この女は誰だ」


 睡眠から意識を取り戻した時、頭に巡るような思考はそんな感じだった。当時の私は目覚めれば小神子の記憶までも抜けていたのだ。


「寝ても覚めてもその繰り返し。現実に引き戻されればさっきまで戦場にいたのにと思ってパニクる。情け無いよな……もう、お前に無理をさせたくない。咲が俺の面倒を見るように言ったんだろうが、もういい。家に帰れ。迷惑をかけたくない」


「迷惑なんて……そんな事思って……」


「俺はどうすればいいんだ!?」


 私は頭を抱えて思考が止まる。小神子は私の肩に手を置くが、私は気づいていない。


「夢の中では戦場にいて、意識が戻ると嫌な安息感がやってくる!仲間が死んだ時の光景や声が聞こえるのが当たり前だった俺に無音の部屋がやってきて、どうなっているんだ、どうすればいいかと混乱する!もう嫌だ!これなら……いっそ俺も……」


 死にたい。そう口に出すのを予想していたのか、はたまた言わせたくなかったのか、小神子は私のベッドに上がって、全身を使って私を抱擁した。


「大丈夫、大丈夫だから……私がいるから……安心して……!だから……そんな事言わないで……!」


 小神子が必死に私に言い聞かせてきた。


「たとえ世界中があなたを見捨てても、私はあなたを見捨てたりしない。あなたをもう、ひとりぼっちなんてさせないから……!だから……生きて!」


 強く抱きしめる小神子に呼応するように、私も自然と小神子を抱きしめた。


 現在


 小神子の献身的な介抱のおかげで今の落ち着いた私がいる。その後、かぐやがシークに入り、笑いという新風が舞い込んでくる。この笑いというのも私の治療に大きく役立ち、現在に至る。


 そんな懐かしい夢のようなものを見ていた私だが、気がつくと目の前に何か双丘のようなものが見えた。


「……瀬奈か?」


「はい、瀬奈です」


 瀬奈だった。私の頭を膝の上に乗せていた。疑問形になったのは双丘のせいで顔がよく見えなかったから。が、私の身の回りで顔が見えなくなるほど大きなものを持っているのは瀬奈くらいだ。


「他人に見られるぞ」


「気にしません。太陽さんが良ければ」


 私は鼻で笑った。


「夢でも見ていたのですか?」


「ああ、昔の夢をな。瀬奈、俺が前に捕まってたお前に言った事覚えてるか?」


「ええ、ちゃんと覚えています」


「覚えてたかー……今思えば、めちゃくちゃ恥ずかしかったから忘れてほしいのだが……」


 ここ最近、あの時のことを思い出すと所構わず狂乱しそうになる。あまりらしくないことをするものではないと今では猛省している。


「いいえ、絶対に忘れません。あの時の太陽さんは、今までで一番カッコよかったです」


 瀬奈はこう言っているが本当に恥ずかしかった。せめてもの救いは雑念が戦っている最中にではなく、一件が終わった後にやってきたということくらいか。


「太陽さん、これからどこか行くのですか?」


「ほう、どうして」


「太陽さんが一人でここに来るってことは、何かあるからかもしれないからです。まあ、太陽さんの事なので気まぐれなのかもしれませんけど」


 瀬奈の第六感のようなものなのか。鋭くて感心した。


「今度、ようやっとこの街に隠れる悪い親玉を打ち倒しに行く。その前に瀬奈に一目会いたかった」


 これは私の感だが、瀬奈の気分が少し落ち込んだように見えた。


「心配するな。これが今生の別れじゃないって約束するし、必ず帰ってくる。俺が今まで約束破ったことあったか?」


 慰めるため自分の手を瀬奈の頭に乗せて、撫でる。相変わらず髪はサラサラだ。


「じゃあ、美味しいものをたくさん作って待ってます。だから、必ず帰ってきてくださいね」


「ああ、約束だ」


 駒宇良の平和を守ることすなわち瀬奈を守ることにもつながる。そう捉えて私は対死教への覚悟を一層強くした。

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