第20話 神宮寺雪乃
「いい、あたしはね」
神宮寺雪乃は、ごほ、と咳き込んでから続けた。
「あんたの秘密と一緒に、死んであげる」
「……どういう意味です?」
「この家と、名前もあげる。だから、あたしの代わりに――」
雪乃は不敵に笑った。
「人を、守って」
氷華は最初、返事をせずに無言で瞬きをした。
雪女相手に、そんなことを吹っ掛けてくる人間がいるなんて思わなかったのだ。
「……は、はあ……?」
それだけ言うのが精一杯だった。
「つまり、なんですか。あなたは……私に、人を守らせようと?」
「そう言ってるじゃん」
雪乃は少し笑ってから、また咳き込んだ。
「あたしみたいに瘴気にやられやすい奴だっているはずだからね。あたしの家を乗っ取ろうとしたんだから、それくらいやってよ」
そう言われてしまうと、返す言葉もない。
だが、困惑したと言えば困惑した。まさか妖怪を、雪女を捕まえて――人を守れとは。
「いいじゃない。あたしはあんたの秘密と一緒に死んであげる。あんたは、この家と名前を正式に手に入れる。その対価ぐらいあって、しかるべきでしょ」
「そ、――それは、そうですが」
氷華がまだ困惑気味に言うと、雪乃は笑った。
「あんた、やっぱり真面目ね。でも、それだけだと思わないで」
雪乃の言葉に、氷華は口を結ぶ。
「あたしからの提案は二つあるでしょ。あたしの命を賭けた、最後の、もうひとつの約束」
雪乃は少しだけ口を開けて、言葉を考えてから、ようやく言った。
「――あたしの代わりに、恋をして」
「……は?」
今度こそ、意味がわからなかった。
「たくさんの本だけは読んだの、あたし。だからわかるでしょ、あたしは恋も知らずに死んでいくの」
部屋にはたくさんの本があった。雪女について調べたのだろう文献や小泉八雲の著書、それだけではなく、年相応のものまで、本まではたくさんあった。ほとんど病床にあった彼女が、唯一、外への扉として使えた数々の本が。
だがそれでも、わからないものはある。
彼女は恋を知らなかった。
本当はどういうものなのかさえわからぬまま、ただ「良いもの」だという受け売りのまま、本当はどんなものかもわからず死んでいく。
「だから、私の代わりに、恋に落ちて。生涯ただ一度の、もう二度と無いんじゃないかっていう、恋」
氷華は今度こそ微妙な顔をした。
「そんなもの……、私にもわかりませんよ」
「それでいいのよ。うちを乗っ取ろうとしたんだから、これぐらいの仕返しはあって当たり前でしょ」
雪乃は当然のように言った。
氷華にはもはや選択肢はなかった。
「……わかりました。できるかどうかは、わかりませんが」
「……ん、良かった」
いちど咳き込んでから、約束は交わされた。
氷華はため息をついた。
「それで私は……、どうやって退魔師から逃げ切れと?」
「ああ、そのことだけど。嘘なの」
「はい?」
「退魔師を呼んだっていうのは、嘘」
「……」
呆気にとられる。
「はあ!?」
「あたしと約束をさせてやろうっていう、あたしの命がけの、仕返しなのよ」
思わず頭がぐらつく。
こいつは。
この女は、なんて強かだったんだろう。
「あんたが意外にまじめだったから、きっと騙されると思った」
「な、な……」
雪乃は――いまが人生で一番楽しいというように、笑った。




