第19話 退魔師と助手
数日が経ち、日が暮れた生徒会室はオレンジ色に染まっていた。
氷華は眩しげに窓から視線を逸らす。きぃ、という小さな椅子の音がした。前を向いたとき、ちょうどノックの音がして、小さく「はい」と答える。
「よう」
部屋に入ってきたのは夏樹だった。手にしたスマホを振っている。氷華は瞬きをした。
「ひとまず、このあたりを根城にしとった闇バイトの犯人が捕まったって事になったぞ」
夏樹はソファに座り込みながら氷華を見た。
「誰かが三組の関連性に気付いたらどうするんですか?」
「当時の住所録みたいなもんが流出して、そこから辿ったらしい、ってことにしてある。熊谷健一の家を狙った犯人は、亡くなった友人の慰問に来とった柴田と、熊谷の奥さんを夫婦と間違えて拘束。もちろん柴田は金のありかなんて知らんからそのまま不幸にも殴られて、精神的なショックと意識の混濁って事で、最終的には精神病棟に行く事になりそうや。奥さんの方もなんとか助かったけど、表向きには保護された、ってとこやな。いまは協会の方でお話聞いとるけど」
お話、が一体どこまでの事を言っているのか、氷華は聞かなかった。
「……そうですか」
「まあ、これで事件の一つは解決やな」
「……」
氷華が何も言わずにいると、夏樹はじっと見てきた。どうやら見逃してくれるつもりは無いらしい。
「……あんまり面白いものじゃないですよ」
「おう」
「この学校の前に、あの家を乗っ取るつもりで神宮寺家に潜り込んだんですよ。自分の力がどこまで通用するのかも知りたかったですし。ですが、あの娘……、神宮寺雪乃だけは、私の力が通用しませんでした」
夏樹は意外そうに、それで、と促した。
「神宮寺雪乃は瘴気を呼ぶ体質ではあったみたいですが、反面、怪異を見抜くことも出来たようです。彼女にだけは私の力は通じなくて、通報されたんですよ。退魔師に」
「なんやて? そんな情報、協会からは全然……」
「それはそうですよ。だって彼女、本当は退魔師なんて呼んでなかったんです。私を追い詰めるための嘘。それで、私にむりやり『約束』させたんですよ」
「はあ!? 約束!? ……雪女と!?」
「はい」
氷華は目を瞬かせてから、少しだけ笑う。
「彼女、自分の寿命をわかってたんですよ。あの家と神宮寺の名前をあげるから、その代わりに――」
――『あたしの代わりに、人を、守って。あたしみたいに瘴気にやられやすい奴だっているはずだから』
「……って」
「……な、な……」
「それで、約束させられたんです。ものすごく悔しかったですが、もうそのときはどうしようもなくて――それで、約束したんですよ。神宮寺の名前と立場を貰う代わりに、……人を守ると」
夏樹は何か言おうと息を吸い込んだが、そのまま深く吐き出した。ぐしゃぐしゃと頭を掻き、何を口にすべきかを懸命に考えているようだった。それからもう一度ため息をつく。
「雪女と約束やなんて……」
夏樹はぶつぶつ言っていた。退魔師達にとっては――雪女がほとんど姿を見せなくなったとはいえ――約束をするな、というのは常識だ。そもそもが怪異と約束を交わすこと自体が危険と隣り合わせであり、あまり推奨されることではない。
「……」
氷華は夏樹をじっと見つめたが、彼は気がつかなかった。
「いや、でも、いまの話で色々と腑に落ちたわ。お前が噂話を蒐集して、瘴気を片付けとったんは――お前なりの『人を守る』の解釈やったんやな?」
「そうですね」
氷華は頷いた。
「……残念でしたね、私がただのお人好しの妖怪でなくて」
薄く笑う。
「いや、お人好しっていうか……やっぱお前、真面目やわ」
「なんですかそれ!?」
それこそ一言物申したかった。
気を取り直すように、氷華は咳払いしてから続けた。
「それで――私のことはどうされるおつもりで?」
氷華はどこか突っかかるような目で夏樹を見た。
「別に何かしようってわけやない。お前はまあ……やったことはともかく、危害は加えてないからな」
夏樹は一旦前置きしてから続ける。
「人に紛れとる妖怪は、悪さするもんもおれば、静かに暮らしたいって奴等もおる。そういう奴等がおった時は、近くにいる退魔師が監視役になっとる。悪い事せんか監視の意味もあるけど、実際は定期的にコミュニケーションとって、困り事とかないか聞いたりするくらいやな」
「へえ……、初めて聞きました」
「退魔師だけやなくて、協会と連携しとる神社とか寺とかもそうやな。公表してないから、知らんのも無理はない」
そこまで言って、夏樹は頭を掻いた。
「だから、安心せえ。お前のことはちゃんとそういう人らに頼んどく。もちろん封印もしばらく必要やけど、早い内に譲渡して――」
「嫌です」
「えっ」
「イヤです」
即答だった。
あまりに即答すぎて、夏樹は何を言われているのかわからない顔をしていた。
「イヤじゃなくて、それが決まりなんやって!」
「ただでさえあなたに正体がバレてるのもイヤなのに、なんでこれ以上バラさないといけないんですか。あなたがやればいいでしょう」
「あっ……そういう!?」
理解はしたようだが、また頭を掻いて言葉を探す。
「オレはまた違うとこに派遣される可能性があるからなあ。ほら、オレは依頼を受けて色んなとこに潜り込んでの調査が仕事って言ったろ? 他の仕事が入ればこの学園からもお別れで……」
「ほう。私と一緒にいるのはイヤだと」
「い――嫌じゃないけどぉ!?」
今度は焦ったように耳を赤くさせる。氷華は更に続けた。
「イヤじゃないならなんなんですか。あなたの仕事でしょう。逃げようとしてるんじゃねーですよ、このスットコドッコイ」
「逃げてるわけじゃねぇって! 前に言ったやろ、オレはまた違うとこに派遣される可能性があって……!」
「それはもう聞きました」
立ち上がり、ずかずかと夏樹に近寄る。
夏樹も思わずといったように立ち上がったが、逃げる暇など与えない。
「雪女の正体を暴いておいて後は丸投げなんて、逃げてる以外のなんだって言うんですか。責任ぐらい取りなさい退魔師!」
ずい、と下から迫る。夏樹がのけぞった。
互いの褐色の奥に隠れた、赤と青の瞳が交錯する。
「んなっ……、な……」
微妙に顔を赤らめ、困り切って見開かれた赤い目が先に視線を逸らした。
「そ、そうは言うけどな、オレは……その、名の知れた術師でもねぇし、ほら、お前みたいな希少妖怪の監視なんて、そういうのはもっと上の術師が受け持っててっ……、こ、今回は特別やったけど、オレみたいな底辺術師はせいぜい瘴気の掃除とか、それぐらいで……!」
目を見ようとする氷華から逃れながら、夏樹はしどろもどろに言い訳を繰り返した。
名が知れていようがなんだろうが、氷華にとってはどうでもいいことだった。そんな無責任なことを許してたまるものか。だいたいこれ以上正体がばれるのもイヤだった。とにかく――とにかく、それ以上に自分でも理由がわからないままに、目の前の男をひとりで逃したくなかった。約束でもないのに、衝動で突き動かされそうになる。
氷華は無表情のまま少し夏樹から離れると、制服の胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「……わかりました。そこまでおっしゃるなら……」
綺麗に折りたたまれた紙を開いていく。夏樹も手元の紙に視線を向けた。
請求書と書かれた紙が露わになる。
「うちのゲストルームの利用代20万円、いまここで即刻払ってもらいます」
「20万!?」
微妙に現実的でありながら、到底いますぐ払える金額ではなかった。
なんとなく夏樹の経済状況については察していたし、氷華は使えそうな手段はなんでも使う心積もりだった。その想定は見事に当たり、夏樹にしても寝耳に水。そもそもが派遣業務とはいいつつも、実際のところは明確な拠点を持たず、依頼のあった場所に住み込みでその都度潜り込んでいるだけに過ぎない。
「そうしたら私はこの街で大人しくしていますよ。約束してくれます?」
あまりに強い、そして冷たい視線が夏樹を射貫く。
「ゆ、雪女と約束する退魔師なんかおらん!」
氷華はなおも紙を突きつける。
「いいですか。これは利用代。つまり『契約』です。まず、うちのゲストルームで泊まりましたよね」
「……せやな」
「朝ご飯も食べましたよね」
「お代わりもしました……」
「着物も、学生服も、洗濯してほつれも直してその間の代わりの服も提供しましたよね」
「……その節はめっちゃお世話になりました!」
「そしてこれをいますぐ払うなら私は今後大人しくこの街で何もせずあなたを見送る、それが私との『約束』です」
それでも、かなりメチャクチャなことを言っている自覚はある。
だからこそ口調はあくまで冷静に、そして論理的に思えるように、だ。
「な……、な……」
「いますぐ払えないなら、私の目の届くところにいる方が賢明ですね」
「うっ……、ぐぐ……」
うめき声をあげながら、夏樹はなんとかこの状況を打破しようとしていた。何度か視線が宙を泳ぎ、打開策を探す。
「な、なんやお前、オレのことがそんな気に入ったんか……、い、いやぁ、モテる男は辛いなぁ?」
乾いた声でなんとか言葉を絞り出す。そのくせ目は逸れているし、自分自身を納得させるような物言いだ。
「それならしゃあないよな、うん。お前の監視役になってやらんでもない!」
「いえ、私はまだちょっと怒ってるだけです」
「……すんませんっした」
夏樹の心をベキベキに折っただけでも満足だった。
当の夏樹は深く、深く息を吐き出した。頭を掻いて眉間に皺を寄せる。そんな時間がだいぶあってから、よっしゃ、と決意を固めたように向き直った。
「しゃーない、オレも男や。責任はとる! オレがお前の監視役を引き受ける。それでええんやな?」
「ありがとうございます」
「……あとで後悔すんなよ」
「はい。でも、ゲストルーム代はお願いしますね」
「あっ、ハイ」
それとこれとは話が別なのかという現実が普通に叩きつけられた。
「その代わり! また怪異や異変があったら協力してもらうからな! ええな!?」
「いいですよ」
「えっ」
あまりの即答に、聞き返す夏樹。
「オレと一緒にやぞ!?」
「はい」
「し、新幹線代とかも払ってもらうからな!?」
「わかりました」
「……」
あまりに予想外だったのか、夏樹は今度こそ言葉を失っていた。
「何か問題が?」
「お前はそれでええんか……」
「そうですねぇ……、ただの助手とでも名乗っておきますか。ねえ、先生?」
「せ……。……先生かあ」
ちょっと悪くない、と思ったらしい。
「あなたのせいでほとんど力も封じられてますし。あなたのせいで。ねえ。あなたのせいで!」
「……お、お前さてはオレへの復讐を狙っとるな!?」
「ふふ」
いまはせいぜいそう思っていればいい。氷華は小さく笑った。




