ニコスハーデンの『聖女様』 5
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
夏に日が長いのはこちらの世界も同じようで、日がすっかり落ち、空には月と星が輝くようになってから、扉の方から鍵が開かれる音が聞こえてきた。
「あっ、お母さん」
ぱっと顔を上げたセルカが立ちあがり、嬉しそうにぱたぱたとかけてゆくので、俺たちも挨拶するべきだろうと後を追う。
「ただいま、セルカ。ちゃんといい子にできてた?」
「うん。今日はお兄ちゃんとお姉ちゃんたちと遊んでもらっていたから、全然寂しくなかったよ。とっても楽しかった」
腰に抱き着き、笑顔で頭を押し付けるその姿になんだかほっこりとした気持ちになっていると。
「そう。良かったわね。それで、そのお兄ちゃんとお姉ちゃんたちって――」
セルカの髪を撫でていた母親が顔を上げ、まずは真ん前にいるシスネとそれからルミナリエに、そしてレアード王子、マリエッタ姫、最後に俺へと視線を移してゆく中で、その表情は驚きで染められてゆく。
「あなたがセルカの母親ということでよろしいだろうか?」
代表して口を開いたのはレアード王子だった。
「まずは謝罪を。主の不在に尋ねた無礼を許していただきたい。私は、神聖ヴァンブリグ魔法王国第一王子、レアード・シェスタローゼ。故あって、セルカ嬢を訪ねてきた」
「同じく、第二王女のマリエッタ・シェスタローゼよ。お姉様と同じ『聖女』っていうのがどんな人なのかと思ってついて来たの」
「第一王女のルミナリエです。後ろのふたりは私たちの護衛兼世話役として同行してくれた、ルシオンとシスネです」
ルミナリエに紹介されて、俺とシスネも礼をとる。
「お母さん? どうしたの?」
「はっ」
呆然としていたセルカの母親は、セルカに服の裾を引っ張られて、どうにか現実だと認識できた様子で。
「し、失礼しました。私は、セルカの母のモーリーと申します」
セルカと同じ茶色の髪を長く伸ばし、ポニーテールみたいにひとつにまとめたその女性は、床に膝をつこうとした様子だったが、それはレアード王子に止められていた。
「そ、それで、我が家に……いえ、セルカにどのようなご用事なのでしょうか?」
立ったままとか、その場で畏まられても話がしにくいということで、俺たちはセルカの部屋へと移動した。
キッチンの隣にも、おそらくは食事に使っているのだろうテーブルは見られたが、ふたり暮らし、あるいは父親がいたころを含めて3人暮らし用であり、俺たち全員、あるいは、ルミナリエとマリエッタ王女、レアード王子が並んで座るには少し狭かった。
「そのように心配される必要はありません。私達はただ、こちらにいると思われた『聖女』――セルカに会いに来ただけです」
説明したのは、もちろんルミナリエだ。
ルミナリエは『聖女』であり、嘘をつくことができない。それは、同じ『聖女』を家族に持つセルカの母親ならば、理解できている事だろうし、手っ取り早いからだ。
「……え、えっと、本当にそれだけなのですか?」
嘘をつけないとはいっても、黙っていることはできる。
突然、家に王子やら王女やらが押しかけてきていたのだから、なにか重大な問題があるのではないかと、心配するのも当然だろう。
「はい。本当にそれだけです。もっと正確に話すのであれば、友好な関係を結びたいと思っていました」
「お姉様について、友達になりに来たのよ!」
モーリーは信じられないと、しかし、王女様や聖女様の言っていることだし、とそんな表情で、にこにことご機嫌そうなセルカの顔と、俺たちとの間を視線で往復させた。
「では、もうひとつ。私と、こちらにいるルシオンは、先日、サンベルードの『聖女』であるアンリエッタの元を訪ねたのですが、その時のことから、このニコスハーデンでもなにか問題が起こっているのではないかという思いも、多少はありました。これで納得していただけますか?」
その後、ユーク王子の件があったとはいえ、サンベルードでのことは、いまだ俺の記憶に新しい。
もっとも、訪れた直後から、サンベルードの雰囲気とは明らかに違っていたので、そんな心配はすぐにかき消されてしまったが。
サンベルードの『聖女』のことを、マリエッタ姫やシスネは、すぐに聞きたそうにしていたが、それは後でと俺は視線で頷いて見せる。
たしか、ルミナリエが報告書を作成していたと思っていたけど、あれは城の内部で共有されていたりはしないのか。
「お話しはわかりました。しかし、私たちの周りで、そのような事件が起こっているという話は聞いておりません。セルカも、大丈夫よね?」
「うん。今日も皆に良くして貰ったよ」
「そうなの。良かったわね」
セルカが無邪気な笑顔を向けると、モーリーは穏やかに微笑んで、セルカの茶色の髪を優しい手つきで撫でていた。
そこでセルカから、ぐぅと小さく音が鳴る。
「あ、ごめんね、セルカ。すぐに準備するから、向こうで待っていてくれる?」
「うん。待ってる」
なるほど。すっかり忘れそうになっていたけど、俺たちだってまだ夕食は食べていないし、仕事から急いで帰って来たであろうモーリーとて同じことだ。
「それじゃあ、それまでさっきの続きをしていよう」
「そうね」
セルカと手を取ったのはマリエッタ姫で、笑顔のふたりの後ろから、ルミナリエとレアード王子が一礼してついて行く。
「あ、ちょ、ちょっと、セルカ」
「どうしたの、お母さん」
焦ったようにモーリーが声をかけると、セルカは不思議そうな顔で、無邪気に振り返る。
「気になさらないでください。まさに、私たちはこうしてセルカと過ごすために、こちらに来たのですから」
ルミナリエがそう言い残し、奥の部屋へと消えたことで、俺とシスネ、それからモーリーだけが取り残される。
モーリーの視線が俺とシスネの間で、困惑したように、行ったり来たりする。
「心配しないでください。さっきまでも、仲良さそうに遊んでいましたから」
説得できるかはわからなかったけど、一応、あらためて説明ってほどでもないが、話をした。
「あ、あの、ですが、申し訳ありません。皆様方がいらっしゃるとは夢にも思わず、食材が」
「それなら問題ありません。私達の方で準備はありますから。姫様、若様も御厄介になる事ですし、お手伝いをさせてはいただけますか?」
そう言ったシスネの顔は、やる気に輝いていた。
「俺も手伝います」
城でメイドを任されているシスネがいるのに、俺になにか手伝う必要があるとも思えなかったけど、人手は多い方が良いだろう。
一応、俺だって、家で家事くらいはするし。
「キッチン、使わせていただいても構いませんか?」
シスネが尋ねると、モーリーは頷き。
「失礼しますね。えっと――」
食材を確認していたシスネは、さらさらとメモを書き出すと、それを俺に差し出してくる。
「食材が足りないから、ルシオン、これだけ買って来てもらえる? 代金は、預かっているのがあるのよね?」
俺たちが『聖女』を訪ねるに際し、メンデル国王からは、今回も費用を預かってきている。
「わかった」
俺も料理ができないわけじゃないけど、シスネがそう言うのなら任せた方が良いだろう。
この辺りの地理はどんな感じだったかと、家の位置を確認しながら、俺は宵闇に包まれつつある街の中へと買い出しに向かった。




