ニコスハーデンの『聖女様』 4
◇ ◇ ◇
セルカは、ルミナリエみたいに家族と離れて暮らしているとか、アンリエッタみたいに教会に住んでいるということもないらしく、連れてこられたのは、ごく普通の一軒家だった。
「ただいまー、お父さん」
ドアを開けたセルカは、大きな声でそう言ってから、家に入る。
母親にはいいのか? と思いつつ、入って入ってと促され、セルカの後に続いてゆく。
「ちょっと待ってて。お父さんに挨拶してこなくちゃいけないから」
セルカが入っていったのはリビングで、キッチンやら、テーブルやらが並べられている。
その机の上には、ぽつんと黒縁の眼鏡が置いてあった。
「ただいま、お父さん」
そう言いながら手を合わせるセルカの様子を見て、俺たちは何となくの事情を察する。
母子家庭ってことか。
さっきの「ただいま」ってのは、家の中にひとりでいることがわかると危険なことに巻き込まれるからってことなのかもしれないな。
「お母さんはいつも遅くまでお仕事なんだあ。だけど、寂しくはないんだよ」
案内されたセルカの部屋には、床の上から机の上、クローゼットやベッドの上にも、たくさんのぬいぐるみやら人形やらが置かれていた。
「いつもの昼間は外で友達と遊んだり、お家に遊びに行ったりするし、そうじゃない日も、街の皆は優しいし、猫たちも可愛いし」
そうだ、とセルカは机の上からノートを引き出して広げると。
「今日の分の日記を書いておこうっと。えへへ。えっと、今日も、猫ちゃんたちと遊びに出かけました。相変わらず、紐に飛びつく仕草がとっても可愛かったです。それから、ルミナリエちゃんとマリエッタちゃんともお友達になれました」
どう? と見せてきたそのノートには、子供らしい字と絵で、今日のことが記されていた。表紙から察するに、学校の宿題か何かなんだろう。
「お待たせー。セルカに会いに来たってことは、遊びに来てくれたの?」
すごく期待している瞳だ。
手元もうずうずとしている感じだし、いつでも、どこでも、遊びたい盛りなんだろう。
「今日はたくさんで、にぎやかで、嬉しいな。いつもは、セルカ、家にひとりだから。双六も、カードも、ひとりじゃできないし」
セルカは、ごそごそとベッドの下を漁って、宝箱みたいな箱を引っ張り出してくる。
ベッドの上のぬいぐるみたちとは違い、結構埃を被っていたその箱の中には、セルカが言っていた通り、双六やら、カードやら、ひとり遊び向きではない玩具が綺麗に詰め込まれていた。
そういう玩具はこっちの世界にもあるのか。
ルミナリエの部屋にはなかったからな。まあ、ひとりで遊ぶやり方もあるとはいえ、大抵、ひとりでいる分には必要ないものだし。
「あの、大変申し訳ありませんが、私たちは別に遊びに来たという訳では――」
「そ、そうなの……?」
せっかく久しぶりに同年代くらいの子と会って楽しみだったのか、セルカはあからさまにがっかりとしたような表情を浮かべた。
それは、ルミナリエが、ついフォローしそうになるほどで。
「で、ですが、他にすることもありませんし、お腹が空いているわけでもありません。どのみち、ここへはもうしばらく滞在させていただこうと思っていましたから、あなたに付き合って遊ぶのも、悪くはありません」
「本当! ありがとー!」
セルカは感極まった様子でルミナリエに抱き着き。
「構いませんから、少し離れてはくれませんか」
と、少し照れた様子のルミナリエがセルカを引き剥がそうとしているところに、
「ずるーい。あたしも」
マリエッタ姫も一緒になって、ルミナリエの首元に抱き着く。
「お兄様はいいの?」
「そ、そんなことできるか。み、みだりに女性に抱き着くなど」
そこは家族なんだから構わないんじゃ、とも思ったが、まあ、レアード王子くらいの年齢の男子には、少し恥ずかしくも感じられるのかもしれない。
そんなことは、気にしなくてもいいと思うけどな。
「ルシオンも私に抱き着いてみる?」
隣で同じように子供たちの様子を見つめていたシスネが、急にそんなことを言いだすので、俺は思わず振り向き、ついつい、じっくりと見てしまう。
シスネの恰好は、お城のメイド服であり、この旅の途中にも隠そうとしている雰囲気ではなかった。
メイドとしての仕事だと誇りを持っているのか、それとも、単に目立つし、わかりやすくということなのか。
それはともかく、シスネはメイド服の上からでもわかるくらいに良いプロポーションをしていて、誘われれば男として受けるのが当然とも思えたかもしれないが。
「いや、いい」
俺が断ったのは、シスネに魅力がないとかそういうことじゃなく――むしろ逆だ――今が仕事中だからだ。
仕事中じゃなかったらどうなんだと聞かれるかもしれないが、それについてはあえて答えるまでもないだろう。
別に、ルミナリエの視線が気になったわけじゃない。
そのルミナリエはと言えば、さっきまでは一緒になって子供同士で楽しそうに話しているところに混ざっていたんだが、今は俺のことをじとっとした「不潔です」とでも言いたげな視線で見つめてきていた。
「お姉様? またルシオンがどうかしたの?」
またってなんだ、とは思ったが、マリエッタ姫に向かってそんな風に問い質すわけにもゆかず、ルミナリエも。
「……何でもありません」
とすぐに顔を逸らしてしまった。
「ルミナリエ様って、やっぱり……」
遊び始めた子供たちを見つめながら、シスネがそんなことをつぶやく。
「ルミナリエがどうかしたのか?」
「ううん。なんでも。ただ、可愛い方だなあって。『聖女」になられる前は、お城でもあんなに感情を露にされているところなんて見たことがなかったもの。やっぱり、ルシオンが来てくれたことが良い方に繋がっているのね」
そんなシスネの表情からは、ルミナリエのことが――もちろん、レアード王子やマリエッタ姫のことも――大好きなんだなってのが伝わってくる。
それはもちろん、『聖女』がどうとか関係はなく。
しかし。
「感情を露に? そんな風には見えなかったけどな」
いつも通り、静かに、まるで今この部屋にも飾られている人形みたいだったように見えていたけど。
そう言うと、何故だか憐れみを帯びた、悲しい人を見るような目で見つめられた。
「はあ。ルシオンって、残念ね……」
「何で急に残念とか言われなくちゃならねえんだ」
しかも、溜息までつかれたし。
何なんだ一体。
考えても分からなかったし、ルミナリエと同じように、シスネも答えを教えてはくれそうになかったので、諦めて子供たちの方へと視線を戻せば、何か言いたそうな瞳でじっと俺たちのことを見ているルミナリエと目が合った。
しかし、ルミナリエは俺と目が合うと、ついっと、顔を逸らしてしまい。
ますますわからねえ。いや、何か納得のいかないことに怒って、あるいは、拗ねているんだとは思うけど、その理由が何なのかってことだ。
前は放っておいて拗ねられたけど、今ルミナリエは、マリエッタ姫やレアード王子、それにセルカと、見る限りじゃ、一応は楽しそうに遊んでいるわけだし。
「ほら、お姉様。次はお姉様の番よ」
「ええ」
結局、それからもルミナリエはちらちらと俺たちの方を見てきたが、何かを言ってくるようなことはなく、俺はそんな様子に内心で首を傾げていた。




