聖女様とエカルノの王子 9
マリエッタ姫を部屋まで送ったついでに土産を持たされ、ルミナリエのいる別棟まで戻ってくると、2階の窓のところからヴァイオリンの音色が聞こえてきていた。
こんな時間に練習しているのは珍しいな。
いつもは朝早くに、俺が鍛錬にでるのと同じくらいにやっているのに。
俺が鍛錬から戻ってくるときには、大抵ルミナリエも練習しているから、演奏自体は何度も耳にしてはいたが、この、胸の内を掴まれるように感じる物悲しい響きは今までに聞いたことがなかった。
邪魔をしちゃ悪いとは思っていたが、俺が入り口の扉を開いたところで、ぴたりと演奏が止まる。
だからといって、2階のテラスに直接飛び込むような真似はせず、そのまま歩いて中の階段を上り、いつもの部屋まで向かう。
「ルミナリエ。入るぞ」
レディの部屋に入るときには必ずノックをすること。
ルミナリエが着替え中だったりしないことは、ついさっきこの目で確認しているが、このことはマリエッタ姫からも散々聞かされていることだ。
そうでなくとも、妹の部屋の出入りにも、言われていたことだから、そこを間違えたりはしなかったけどな。
「……どうぞ」
中からはパタパタと片付けているかのような音が聞こえてきていたが、しばらくして了承が得られたので、ゆっくりと扉を開いた。
ルミナリエはテラスには出ておらず、椅子に座って本を読んでいる様子だったが、ヴァイオリンのケースはベッドの上に出しっぱなしだった。
「ど、どうだったんですか、ユーク王子とのナンパは。女の子と仲良くなったのなら、律儀に私のところに戻って来なくとも構わないのですよ。以前にも言いましたが、あなたを縛るつもりはありませんから」
昨日の夜にあれだけ言っておきながら今日も出かけたっていうんだから、弁解の余地がないことはわかっているが、俺にも目的があってやっていることだ。
もちろん、街中で女性に声をかけることなんかが目的じゃない。
そのことは、ルミナリエにもはっきり説明しているんだけどな。
とはいえ、今日は偶然にも――とも言い切れないが――ユーク王子とのナンパには出かけていないし、一緒にいたり、仲良くなったりしたのは、たしかに女子だが、マリエッタ姫だ。
「いや、今日はユーク王子とは出かけなかった。マリエッタ姫が――あー、遊び相手がいなくてつまらないからって言うんで、それに付き合って遊んでいたんだ」
嘘はついてねえ。
ルミナリエがちらりとだけ本から視線を上げ。
「いや、言いたいことはわかるぞ。俺はお前の暇つぶし相手だってのに、なんでマリエッタ姫の相手をしているのかってことだろ?」
「……そんなことで怒ったりはしません。マリエッタは私の大切な妹ですから。ルシオンがマリエッタと仲良くなったというのなら、喜ばしいことです」
たしかに『聖女』だからということを抜きにしても、怒っている感じはしない。
しかし、拗ねてはいるみたいだな。
わずかだが、声の調子からそう感じられるのは、こうして一緒に過ごしてきた成果だ。
「……大方、マリエッタのところに女性の扱いについて尋ねに行っていたのでしょう。ルシオンの性格を考えれば、真面目に私の期待に応えてくれようとしたはずですし、しかし、変なところで遠慮もするはずなので、城のメイドには尋ねられなかったはずです。となると、候補はお母様かお父様、あるいはマリエッタの方から訪ねてきてもらえた、という状況ですが、あなたの行動範囲で出会えそうで、そういうことを率先してしたがるのは、マリエッタくらいではないかと」
ルミナリエの推測は、ほぼ完璧に近い形で正解だった。
この部屋から――正確にはテラスには出ていたみたいだから、この建物から――外へと出ない状況で、どうしたらそこまでの推測を立てられるのか。それとも俺が馬鹿だからそう思うだけで、普通はそのくらい簡単にできるものなのか。
これはルミナリエの、『聖女』とは関係ない能力だろうが、素直に感心する――って、感心している場合じゃねえ。
これじゃあ、マリエッタ姫とした『あたしから教えてもらったってことは話しちゃだめよ』って約束は、守れそうにないな。
しかし、それは予想済みだった。なので、もちろん、対策も用意してある。
「誰から聞いたってのは、問題じゃねえんだろ? いつ、どこで、誰に対して使うかってのが問題なだけで」
度々この引用を利用しているが、それは、ルミナリエ本人が言っていたことで、これなら説得しやすいだろうと踏んでいるからだが。
「……では、ルシオンはマリエッタに対しては何もしなかったということですね? エスコートの練習に付き合ってもらったのではありませんか? ひとりでできるはずもありませんし」
「うっ……」
それはそうなんだが。
いや、そんなことを言い出したら、何もできなくなるだろうが。
こういう言い方は押し付けがましいというか、あれなんだが、ルミナリエを守るため――守るのに役立っている武術の鍛錬だって、元の世界の師匠や同輩、この世界に来てからも、特務小隊やこの城の騎士団の人たちにも稽古をつけて貰っている。
「冗談です。私はそこまで怒っていません」
そう言って振り向いたルミナリエは「本当ですよ?」と、わずかながら微笑みを浮かべていた。
さっきとは声の感じも違って聞こえる。
今の会話の中に、どうしてこうも感情の切り替わる瞬間があったんだ? それとも、最初のが演技なのか?
こうして向かい合っていても、たしかに今の言葉や表情から、嘘は感じられないが。そもそもルミナリエは『聖女』だし。
「じゃあ、何か嬉しいことがあったのか?」
「その理由を勉強するために、マリエッタのところへ行っていたのではないのですか?」
つまり、それは正解か。
しかし、たとえ機嫌が悪くはなさそうに見えても、やはり、答えを教えてはくれないらしい。
まあ、いわば宿題の答えを先生に直接聞くようなもんだしな。それも当然か。
そう思っていたんだが。
「ですが、そうですね。私が出してしまった宿題のようなものですから、答え合わせというか、私の気持ちを教えるのが、きっと、あなたに対して真摯であるということなのでしょうね」
そう口にしたものの、ルミナリエにしては珍しく、言いにくそうに「ですから」とか、「つまりですね」などと、前置きをした。
「ルシオンがそんな風に私のためにと思いながら色々としてくれたのが嬉しかったんです」
へえ。
それで?
しかし、待てど暮らせど、ルミナリエは頬を朱に染めて黙ってしまって、それ以上の台詞は紡がれない。
「……それだけか?」
まだ何か黙っていることでもあるんじゃないかと探ってみただけなんだが。
「ほ、他に何があるというんですか。まったく、ルシオンは……」
ルミナリエは一瞬身体を硬直させて、焦った様な口調でそう続けた。
それはあきらかに、何もないって態度じゃなかったが……誤魔化されたか。
「ルシオンの方こそ、報告はそれだけですか?」
「ああ、俺の方は……いや、そういえば、マリエッタ姫から色々と土産を預かっているぞ」
流れのままで忘れるところだった。
俺は、こっちに戻ってきてから教えてもらった収納の魔法で仕舞って運んできた、マリエッタ姫からのお土産を、ベッドの上に広げた。
お姉様と一緒にやってね、と渡されたのは、双六やら、カルタやら、ふたり用の遊具で。
「そういえば、宿題としてこの双六をやってくるように言われてたな」
それは、男女がペアでやるようなものらしく、なぜマリエッタ姫が所持しているのか――対象年齢的な意味で――疑問に思うところのあるようなものだったが。
「……恋愛双六ですか? マリエッタは何を考えてこれを渡したのでしょう?」
「本当にな」
恋やら愛やらじゃなく、女性の扱い方についてのものなら、やって見ても良かったとは思うが。
「……で、ですが、せっかくのマリエッタからの差し入れですから、やってみましょう」
ルミナリエはそんなものに興味はないと思っていたんだが。
まあ、国王様と王妃様が黙認しているのなら、対象年齢はあまり気にしなくてもいいのかもしれないな。
結果だけ言えば、タイトルの通り、その双六は、主に恋人同士が楽しむようなもので、俺たちは駒に代わりにやらせたのも多かったんだが、マリエッタ姫には、ルミナリエはベッドの上で終始真っ赤になって震えていたとだけ伝えておこう。




