聖女様とエカルノの王子 8
立ち並ぶ木々の回廊、モザイクのような細い枝と、そこからの木漏れ日の下で、長い金の髪が、しなやかに揺れる。
それは時にお転婆に跳ねたり、大きく翻ったり、裾の長いドレスだということも気にしていないかのように駆けるマリエッタ姫によく似ている。
あの部屋にずっといるせいか、ルミナリエは大人しいイメージで、実際にその通りだが、マリエッタ姫の方はあの年頃の女子にありがちで、体力も有り余っている様子だ。
しかし、いくら相手が城の構造を熟知していて、魔法まで併用しているからとはいえ、さすがにこちらも魔力を使うことに集中すれば、純粋に体力差の方が大きくなる。
裏庭にある噴水の辺りで、俺はマリエッタ姫に追いつき、回り込んで手を広げる。
「さあ、捕まえ――」
普通の鬼ごっこならばこれで終わりになるはずだったが、この魔法王国では、まだ逃げ道が残っていた。
「まだ捕まらないわよ!」
マリエッタ姫は、引き返すでもなく、その場で地面を蹴って、空高くへと浮上する。
そういや、空も飛べるんだったな。
しかし、俺はまだ空を飛ぶ魔法はルミナリエに教えて貰ってないしな。
独学でっていっても、限界はある。
勝ち誇った笑みを浮かべて飛び去ってゆくマリエッタ姫を見送り、俺がそのまま引き返していると、マリエッタ姫はそっと俺の前に降りたってきて。
「……もしかして、空を飛ぶのはお姉様にまだ習ってないの?」
マリエッタ姫が言うには、どうやらレアード王子とマリエッタ姫には座学の他にも、魔法を教える先生が付いているらしい。
この国にも学院というのはあるらしいが、そこで教えているのと同じように、王宮勤めの教師という枠だという。
「まだというか、戦闘――護衛に必要な防御とかの方法は習ったけど、それ以外は、時間もなかったしな」
アンリエッタが囚われていたのは屋敷の地下だった。
つまり、アンリエッタの救出において、飛行の魔法なんて使う機会など訪れるはずもないだろうというのは、考えるまでもなく自明なことで、あの時はそんな使わないとわかっている魔法の練習に割く時間はなかった。
マリエッタ姫は少し考え込むように、立てた人差し指を頬に当て。
「私が教えてもいいんだけど、やっぱり、その役目はお姉様に譲ってあげなくちゃいけないわよね」
そこは「お姉様の手を煩わせるわけにはいかないわ」とはいかないんだな。
多分、これも乙女心のなんたるかってことに関わってくるんだろうから、ここで何故とは聞かないようにしておくか。
「とにかく、約束は約束だし、追いかけっこなんて久しぶりで随分楽しかったから、あたしがルシオンに、魔法じゃなくて、女の子の秘密なことを色々と教えてあげるわ」
マリエッタ姫は随分と上機嫌な様子で、俺のことを城の本棟(この言い方が正しいのかはわからないが)まで引っ張ってゆき。
「おい。大丈夫なのか? さっきから、妙に視線を感じるんだが」
通りがかりのメイドさんとかから。
俺がいるってことは、この前、国王様王妃様に会いに来た時に、見られているはずなんだけどな。まあ、全員にってわけではなかっただろうから、仕方ないか。
「大丈夫よ。あたしと一緒にいるんだから。それに、あたしが捕まっているんじゃなくて、あたしがルシオンを捕まえているんだし」
鬼ごっこの結果、捕まえたのは俺だが、今はマリエッタ姫に手を掴まれて引っ張られているような恰好だ。
たしかに、姫様の方が捕まえているんだから、他の人間にあれこれと言われることはないと思うが。
「それじゃあ、その辺りに座って」
連れてこられたのは、マリエッタ姫の部屋だった。
ルミナリエの寝室とは違い、本じゃないものに溢れているというか、クティスやファルの部屋を物凄く豪華にしたらこうなるんだろうなって感じの部屋だった。
天蓋付きのベッドや、そんなにたくさん必要かと思えるほど大きな衣装ダンス、俺が全身を映してもまだまだ余りそうな鏡、それ以外にもたくさんのキラキラした箱や、装飾品入れの棚。
さすがに、年齢的なことなのか、化粧台はあるだけで、物品――化粧道具は置いていなかったが、およそこの年頃の女子に必要そうな、あるいは欲しそうなものは、大抵が揃っているのではないかと思わせられた。
「何で本当に座っているのよ」
言われた通り、丸い机の傍にあった椅子に腰かけると怒られたが、これはちょっと理不尽なんじゃねえのか?
「いや、だって、座れって言ったじゃねえか」
「もうレッスンは始まっているのよ? ルシオンは女の子のエスコートの仕方を学びに来たんでしょう?」
それはその通りだし、マリエッタ姫はこの場では先生なので、言われたことには素直に従う。
「まずは椅子を引いて女性の方を先に座らせてあげるの」
そういえばそうか。
そのくらいは俺でもわかるっつうか、サンベルードではそうやったしな。
「わかっているだけで、実際にできないんじゃ意味ないわ。まあ、お姉様が特別だからっていうんなら、許してあげてもいいけど」
そういうわけにもいかないだろう。
今後、ルミナリエ以外の相手に椅子を引く場面がないとも限らないわけだし。特に他の『聖女』に会いに行ったときには。
俺は立ち上がって、椅子を引いてから、マリエッタ姫の手を取る。
「はい、よくできました。その調子よ、ルシオン」
マリエッタ姫には、姿勢から立ち位置、気の持ちようや気遣い、雰囲気作り、言葉の選び方だとか、その他、色々と女性の心理についてなんかを教えてもらった。
日がすっかり暮れるまで付きっきりで教えてくれていたんだが、どうやらそれでもまだまだ、入り口付近でしかないらしい。
「それからね。これが一番重要なんだけど、いつだってお姉様を最優先に考えなくちゃだめよ。もし……ルシオンはまたお姉様と、他の『聖女様』に会いに行くんでしょう? そうでなくても、他の女性と会うこともあるわよね? それでも、お姉様のことを真っ先に考えているのよ?」
「ああ。でも、今度でかけるときには、マリエッタ姫も一緒にいた方がルミナリエも喜ぶんじゃねえか?」
表には出さないだろうが、ルミナリエもきっとそう思っているはずだ。
マリエッタ姫もそれを望んでいるだろうと思っていたんだが、表情は少し陰りを見せた。
「……でも、お姉様は『聖女』だから。ルシオンは特別にしても、あたしが傍にい過ぎるのは問題だって……」
「それは、今代の国王様、王妃様の考えだろう? まあ、先代からを踏襲してのことかもしれないけど。その理由にしたって、この前、俺とルミナリエが行ってきたサンベルードじゃ、そこの『聖女』様はもっとフレンドリーな感じだったっつうか。とにかく、ルミナリエも、マリエッタ姫に会いに来てもらえれば嬉しいはずだ。それは絶対、保証する」
俺に保証されるまでもなく、マリエッタ姫にだってわかっているだろうけどな。
まあ、国王様と王妃様にはあまり歓迎されないことかもしれないけど、それはあのふたりの、この国の王と王妃としての考えであって、家族としてはどうしたいのかってのとは別の話だし。
「わかったわ。あたしもお姉様と一緒にお出かけできるのなら嬉しいし。でも、ルシオン。そう提案したっていうのは、お姉様に言っちゃだめよ? もし話すときは、あたしから言い出したって風に話すのよ?」
「それはどんな意味があるんだ?」
本人の口から伝えたいって場合もあるだろうってのは理解できるが、そのくらいは伝えておいた方が、ルミナリエとマリエッタ姫の接する時間なんて限られているんだし、スムーズに運ぶと思うんだが。
「そんなの、ルシオンがあたしとも一緒に行きたいって思っているように聞こえるからに決まっているでしょう? とにかく、絶対話しちゃだめだからね」
「あ、ああ。わかった」
理由の方はいまいちわからなかったが、マリエッタ姫が黙っていて欲しいってことだけは十分に伝わった。
「じゃあ、今日はここまでね。またね、ルシオン。今日は楽しかったわ」




