聖女様とエカルノの王子 2
翌朝、ヴァイオリンの音が聞こえてきて目を覚ますと、部屋のテラスでルミナリエが何やら難しい表情で弓を構えていた。
朝の日の光を浴びて輝くその姿は、思わず写真に残したいところだったが、しかし、鞄とスマホを取りに行く間もなく、ルミナリエがこちらを振り向く。
「おはようございます、ルシオン。起こしてしまいましたか?」
そういうルミナリエは、いつもと同じようで、しかし、どこか疲れているようにも見えた。
昨日帰って来たばっかりで、いきなりあんなことを聞かされたんじゃ無理もないかもしれないけど。
「いや。丁度起きたところだから」
朝食にはまだ早いだろうし、昨日までとは違って、俺が用意する必要もないだろう。多分、いつも通り、俺が日課の鍛錬を済ませるころには、こっちに食事も運ばれてくる頃合いになるだろうからな。
着替えを済ませて外に出て、ルミナリエがヴァイオリンの練習をしているテラスの下あたりで、演奏を聴きながら、鍛練に励む。
小隊の人たちには稽古をつけて貰えたから、城の方でも、騎士団とかの人たちの訓練を見学からだけでも参加させて貰いたいところではあるけど、いきなり、今日からってわけにもいかないだろう。
とりあえず、朝は自分だけで、食事なんかが済んだら、ルミナリエにここを離れる許可を貰って、騎士団の訓練場の方へと顔を出させて貰おう。
そう思いながら、しばらく汗を流していると。
「おや。誰かと思えば、姫の護衛くんじゃないか」
どうしてここに近寄っているのかわからないが、やってきたのはユーク王子だった。
「……滅多なことではここへ近寄らないよう言われてねえのか?」
仮に、昨日まではここへ近寄ることができていたとしても、ルミナリエが帰ってきている今日、ここへ無暗に近づくことはしないようにと言われているはずだが。
「たまたまだよ。美しい旋律に誘われてね。可憐な花が、虫に荒らされてはいないかと心配になって見に来たってわけさ」
眩しそうにルミナリエのいるテラスを見上げていたユーク王子は、自分が上位者だと思っている目で俺を見て。
「そうしたら、案の定だよ。やはり、ここへ来て正解だったみたいだ。俺の花を食い荒らす虫は駆除しないとな」
そんなことを言いながら、構えを取る。
「一応聞いておくが、何のつもりだ?」
嫌な予感しかしないんだが、こういう時の勘ってのは、得てして当たっちまうもんなんだよな。
「勝負をしようじゃないか。君と俺のどちらが彼女を守るに相応しいか」
「え? 嫌だけど」
俺が断ると、ユーク王子は意外そうに目を瞬かせた。
「えーっと、俺の聞き間違いかな。今、嫌だと聞こえたんだが」
「いや、聞き間違いじゃねえぞ。たしかに俺は断ったからな」
なんで俺がこいつと戦わなくちゃならねえんだ。理由もないし、面倒の方が多そうだ。
「お前、仮にも王子なんだろ? そんな奴に理由もなく手を上げたとなっちゃ、問題になるだろうからな」
ルミナリエの護衛としてならば問題はなかっただろうが、ここへ無事に帰り着いた時点で、その任は解かれている。今の俺は、ルミナリエの暇つぶし相手だ。
もし、こいつがルミナリエを襲いにここへ来たってんなら、対抗したとしても問題にはならないだろうが。
「鍛錬がしたいなら、後でにしてくれ。ここじゃなく、騎士団の人たちが使ってる訓練場ってのがあるらしいから、そっちの訓練に混ぜて貰えばいいだろ。俺もそうするつもりだし」
「つまり、こういうことかな。俺と戦った後のことが怖いから、立ち会うことはできない、と」
挑発的な物言いだが、実際に、挑発してきているのだろう。
それにわざわざのせられてやることはない。
「ああ。俺の評判はルミナリエの評判になるってんなら、あんまり下手なことはできねえからな」
「じゃあ、こうしよう。今からここで起こったことは、決してどんなことであっても、俺は問題にしない。それとも、それも書面にでも残さないと安心できないかな?」
どうやら、どうしても俺と立ち会いたいみたいだな。
そもそも、俺はあいつを守るためにここにいるわけじゃないんだがってのは、ややこしくなりそうだから言わねえ方が良いんだろうな。役割としては似たようなもんだし、実際、護衛の任にも就いていたからな。
「ルシオン」
いつの間にやらヴァイオリンの音は止んでいて、ルミナリエが俺たちの間にそっと、文字通り、飛び降りてきた。
「ルミナリエ。お前、飛び降りてんじゃねえよ。危ねえだろうが」
「わかりました。では、今度からはあなたの腕の中に飛び込むことにします」
そういう話をしてんじゃねえんだよ。つうか、それは飛び降りるなって言った件の解決にはなってないからな?
「そんなことより、ルシオン。良いではないですか、立ち合うくらい」
お前まで何を言い出すんだ。
「あのな――」
「あなたの懸念しているだろう全てのことは問題ありません。何故なら、私が立会人を務めるからです」
本格的に頭が痛くなってきたかもしれねえ。
この世界にも頭痛薬くらいは売ってるんだろうな?
「なにより、あなたのことを馬鹿にされたままというのは許容できません。ですから、この程度の余興くらい、構わないだろうと判断しました」
ルミナリエの宣言を受け、ユーク王子は大仰に頷き。
「ほら。ルミナリエもこう言っていることだし。それとも君は、ここまで言われて逃げ出す臆病者なのかい?」
「あー、もう、わかったわかった。やりゃいんだろ、やりゃ」
ルミナリエも安い挑発に乗ってんじゃねえよ。
まあ、最後まできちんと拒絶しきれなかった俺も俺だが。
「余興――暇つぶしだってんなら、断ることはできねえしな」
それが俺の務めだし。
そんな俺の呟きが聞こえたのか、聞こえていないのか、ユーク王子は首を傾げ。
「何を言っているんだい? まあいいや。ともかく、やる気になったというのなら、さっさと始めよう。場所はここでいいかな。元々、俺はそのつもりだったけど」
元々ってことは、ルミナリエのヴァイオリンの音色に惹かれてってのは口から出まかせか。いや、本音ではあるのかもしれねえな。
「それも本心だよ。思わぬ……いや、本当に素晴らしいものだった」
ルミナリエが俺たちの間に立ち、確認するように、俺たちの顔を見る。
「さあ……ん? どうしたんだい、ルシオンくん」
「あー、いや、念のため確認させてくれ。何があろうと問題にしねえんだな?」
後になって、暴力を振るわれたとか、因縁を付けられるのは勘弁してもらいたいからな。それも王子を相手に。
「ああ。誓おう。仮に、何かあった場合でも、俺は何も問題にしない。この、ユーク・ライオタリの名に懸けて誓おう」
ルミナリエの方を見れば、ルミナリエも頷いていて。
「この場で起こった事は、問題になった際、私が証言します。ルシオン、あなたは何も気にすることなく、存分に」
その言葉からは、確固たる信頼が伺えた。
どうやらルミナリエは、俺が勝つと信じて疑っちゃいないらしい。
その信頼には応えたいと思った。
「ああ、わかった。他に俺からは聞くことはない」
そっちはどうだと顔を見れば、王子の方も首を横に振る。
「よろしいですか。では、はじめ」
ルミナリエの合図……より、一瞬早く、王子が俺の懐に飛び込んで来る。
拍を盗むのはいいけど、下手したらフライングだぞ。まあ、実践だと考えれば、そんなツッコミは野暮なんだが。
しかし、ただそれだけだ。
特務小隊の人たちと比べれば、虚実も何もなく、実に分かりやすい。
「な……」
さすがに転けさせるのは勘弁してやったが、避けられるとは思ってなかったのか、絶句したように隙を晒す。
もしかして、わざとやってんのか?




