聖女様への求婚の噂 2
城へ向かう馬車の中には、隊舎で聞かされた話もあって、主にルミナリエから発せられる、気まずいというか、ひりついた空気が漂っていた。
まあ、自分のいない時に、いきなり結婚を申し込んでくるような奴がいるところに戻らなくてはならないんだから、多少頭にくるのは仕方ないとは思うけどな。
ルミナリエ以外には俺しかいないんだから、俺が耐えればいい話ではあるんだが、やはりこのままの雰囲気でいるのは良くない。
ルミナリエの考えがどうであれ、相手方に与える第一印象が――正確には、最初の対応が悪いと感じられれば、ルミナリエの望まない展開に話を転がされる可能性もある。もちろん、ルミナリエがそんなミスをするとは思ってもいないが。
ともかく、俺は空気を刷新すべく、話を振ることにした。それが何であれ、話していればルミナリエの気もまぎれるかもしれないし、落ち着くこともあるかもしれねえ。
一応、これは旅用の馬車なんだし、置いてあると思うんだけどな。
そう考えながら馬車の棚を探せば、予想通り、多少埃をかぶっているようではあったが、この国、及びこの世界のことが描かれているらしい地図を発見できた。
「なあ、ルミナリエ。すこし、その、この国の周りのことについて教えてくれよ」
例の求婚相手のことを聞いてからずっと、馬車の中ではひんやりとした顔を浮かべて窓の外をじっと見つめていたルミナリエは、ゆっくりと俺の方へと顔を向け、じっと観察するように見つめてから、小さくため息をついた。
「……わかりました」
馬車の中なのでテーブルなどというものは備え付けられちゃいないが、ルミナリエが命じるように地図を広げて指さすと、その世界地図は空中で、まるで透明な机に張り付いたかのように、ぴたりと静止した。
「ルシオンが知りたいのは、エカルノのことについてですよね」
まあ、このタイミングで、こんな話の振り方をすれば、当然察せられることだろう。
もちろん、この世界のことについて知りたいと思ったのは嘘じゃねえが。
「これがこの神聖ヴァンブリグ魔法王国です。見ての通り、大陸の南端で、海と面しています。そしてこの国の東西で同じように海に面しているのが、クノップラとビセイユ。騎士道や武術による強さを重要視するクノップラの方は南側にもせり出してきていますが。反対のビセイユは、音楽や教育、それからロ……こほん、ロマンスの国として知られていて、私も『聖女』の役目を継ぐ前には、演奏の式典に呼ばれたことがあります。そして、その北側で主にヴァンブリグに接しているのがフォンネ。湖をふたつも領土に持つ、自然の美しい国らしいです」
そして、とルミナリエの細くきれいな指が滑るように地図の上を移動して。
「このシルー山脈とチーク湖を越えた向こう側にあるのが、エカルノです。最近――といっても数百年のことではありますが――できたばかりの国です。というのも、南のチーク湖の周りにばかり都市が密集している、砂漠の国だということで、そもそも、今までそこに建国しようなどという人間がいなかったためです」
「じゃあ、そこにわざわざ国をおっ建てたやつってのは、よっぽどの傑物か――」
「あるいはよほどの愚か者です」
俺の言葉を、ルミナリエは取り付く島もなく、ばっさりと切り捨てた。
建国したのは、その結婚――婚約を申し込んできた奴じゃなくて、そいつの先祖だろ、と普段ならそう正論を言うだろうし、ルミナリエにもわかってはいるんだろうが、多分、今はそんなことに耳を貸したりはしないだろう。
まあ、王族の結婚事情がどうなってんのかは知らないが、顔も見たことのない相手からのいきなりの結婚要求だもんな。しかも、自分がいない時に来ていたなんて(これは偶然だろうが)印象としては良くないだろう。
それに……いや、これはルミナリエの問題なわけだし、俺の事情は関係ないといえば、関係ないことなんだが。
「……その王子がどんな奴かは知らないが、そいつが本当にルミナリエと婚約するってんなら、困ったことになるかもな」
ルミナリエがぴくりと肩を揺らし。
「……そ、それは、ルシオンも私にはけっ、結婚――その方との結婚はしては欲しくないということでしょうか?」
そんな風に、珍しくもじもじとした様子で、上目遣いに俺のことを見上げる。
俺にこの世界のことはわからないけど、ようは政略結婚(ルミナリエの予想が正しければ)なんだろ?
そういうのも、あるにはあると知識として知ってはいるが、それとは別に。
「さすがに、相手の決まっているやつと同じ部屋で寝泊まりするわけにはいかねえだろ。今のところ、俺はお前の暇つぶし相手としてあの城に置いて貰っているわけだから、そいつが婚約相手にでも定まったなら、俺は出て行かなくちゃならねえだろうと思ってな」
その場合、俺のことを帰してくれるのが理想なんだが……まあ、それは今、決まってもいないうちから考えることじゃねえかもな。
「別に、俺がお前の傍にいるのは嫌ですぐに帰りたいと思っているってわけじゃねえぞ。いや、まったく思ってないのかと聞かれれば嘘になるんだが、とにかく、今のところ、俺はお前の傍にいたいと思っているからな」
ルミナリエがなんだかすごく寂しそうな顔をするので、俺は慌てて言葉を継ぎ足した。
継ぎ足したって言えば語弊があるかもしれないが、決して、無理やり付け足したわけじゃなく、俺が心から思っていることだ。
「……本当ですか?」
「ああ」
やはり不安そうなルミナリエの問いに、俺は即答した。
寂しがり屋のルミナリエの事だから、ひとりで他所へ嫁いでゆくのには不安もあることだろう。
いや、そもそも、この国から『聖女』が嫁いでゆくってのは、どうなるんだ?
人々……より正確に言えば、この国に暮らす人を守ろうとする意志が聖女としての力をどうとか言っていたが、ルミナリエが嫁いで他の国に行った場合、『聖女』の役割ってのは、別のこの国の人間に移るものなのか?
それとも、相手がこの国に婿に来て、ルミナリエが王妃の位置に収まるってことか?
やめだ。その辺りの詳しいことは考えたって俺にはわからねえ。
「もちろん、俺の立場がどうなるのかってことが気にならないわけじゃないが、そんなことより、大事なのは、お前の気持ちだろ。お前が本当にそいつと一緒になる気があるのかっていう。多分、メンデル国王も、フェリータ王妃も、お前の気持ちを無視して、無理やり結婚なんてさせたりはしねえよ」
これは俺だけの判断じゃなく、短い時間ではあったが、国王王妃と話して感じたことだ。ふたりとも、もっと言えば、レアード王子もマリエッタ王女も、ルミナリエのことを大事に思っていたみたいだったからな。
それは『聖女』としてのことだけじゃなく、ひとりの親として、弟妹として、家族として、だ。
「で、では、その……」
「なんだ? まだ何か不安か? 大丈夫だ。もし、その王子ってやつが不埒な……不貞を働くような輩なら、俺がぶっ飛ばしてやるからよ」
まあ、仮にも相手の本拠地に乗り込んできてそんな無謀な真似をするような奴が、王子って役に収まるとは思わねえけどな。
国際問題になるのかもしれねえが、俺にとってはそんなことよりルミナリエの方が大事だからな。
「そうではありませんけど……やっぱりよいです」
しばらく王子の件で興奮していた、赤い顔をしたままのルミナリエは、少し休みます、と棚から毛布を引っ張り出して、包まるようにしながら、馬車の壁に寄りかかった。




