聖女様への求婚の噂
「すみません。すこし寄り道をしても構いませんか?」
サンベルードからの帰り道、ルミナリエが寄りたいと言い出したのは、最寄りの特務小隊の隊舎だった。
今更必要か? すでにピエドロは引き渡し済みだったはずだけどな。
そう思いはしたものの、ルミナリエのことだし、何か考えがあるんだろう。立ち寄るといっても、何泊もするつもりじゃなさそうだし、俺に特に早く帰りたい理由があるわけでもない。
それに、今日だって王都までは帰り着けないわけだから、どこかで宿を取る必要はあるしな。
「失礼いたします」
ルミナリエが訪れると、ここでも、先日の王都でのときと同じように出迎えを受けた。
「ルミナリエ様。無事の御帰還、何よりのことと存じます。ルシオン、お前も役目は果たせたようだな」
招かれた隊舎の中で、ソファに腰かけ紅茶を啜るルミナリエの後ろに立つ俺に、この地の隊舎を任されているという薄い金髪を腰の辺りまで伸ばした、切れ長の目の――はっきり言えば、美形であるシェーン隊長は、鋭い眼光を投げつけてきた。
無事ねえ。
ルミナリエと一緒に牢の中に放り込まれて数日過ごすことになっちまったってのは、やっぱり、報告しない方が良いんだろうな。つうか、したくねえ。
まあ、ここで報告しなくても、城に戻って報告書を作成する際、ピエドロの悪事は鮮明に書く必要があり、姫様を監禁したなんてことを書き漏らすわけにはいかねえから、どうせすぐにばれるんだけどな。
「ルシオンの事を知っているということは、各地との連絡網は構築されている、機能しているということですね?」
「はっ。月毎、あるいは非常時という程度ではありますが、近隣の隊舎との連絡を怠ってはございません」
しかし、とシェーン隊長が続けたので、ルミナリエは開きかけた口から出そうになっていた台詞を飲み込んだらしい。
「近頃では、先日までルミナリエ様がお出向きになっていらしたサンベルード方面からの連絡が少々滞り気味でした。全く、嘆かわしいことです」
それには何も答えず、ルミナリエは収納の魔法で仕舞っていた報告書を取り出した。
「これは?」
「お父様――国王陛下への報告書です。私が作成したものですが、あなたに、私を信じることができるというのであれば、それを読んでいただけますか?」
若干の疑問を浮かべたような表情ではあったが、シェーン隊長は恭しい態度でそれを受け取り、丁寧に封を剥がす。
元より真剣な表情ではあったが、読み終えるころには、シェーン隊長の眉間に皺が刻まれていた。
「それを踏まえたうえで、再度お尋ねします、シェーン隊長。各地との連絡網は無事に機能していますか? もちろん、あなた達だけを責めるつもりはありません。ただ、あなた達の役目を思い出してください。あなた達のすべきことは何ですか? この地――ポトニだけの守護ですか? それとも、このヴァルブリグの国民の安寧を守ることですか?」
「我々が甘かったようです。返す言葉もございません」
シェーン隊長以下、この部屋に集まっていた隊士が、全員、深々と礼をとる。
「私も言葉がきつ過ぎたかもしれません。実際、この街は平穏無事な様子ですし、あなたたちの職務は、決してグラリアス様に誇れないことではありません。しかし、もうすこし、同じ志を持つものとしての意識を強めてください。言いたいことは、わかりますよね?」
相変わらず、9歳の物言いじゃねえ。
しかし、この場にルミナリエの言葉を、そして気持ちを理解できない人間がいるはずもなく、全員が再敬礼とでもいうように頭を下げた。
「私から言いたかったのはそれだけです。そして、それとは別に、私が留守にしている間、なにか王都で問題があったなどという噂はありましたか?」
まさに今、隣接する街との関係性を話したところだってのに、あ、いや、さすがに王都は別だろうってことなのか?
「それが……」
シェーン隊長と、加えて他の隊士も、顔を見合わせて、なにかはあったらしいが、どうもそれを知らせるのが躊躇われる事らしい。
そして、何故だか視線がちらちらと俺に向けられる。
「はぐらかさずに話してください。どうせ戻ればわかることなのですから、早いか遅いかの違いだけです。そして、大抵の場合、情報というのは早いに越したことはありません。もちろん、正確であれば猶のこと」
必要か必要でないかを判断するのは、その個人にとって、だからな。
誰それにとっては全く無関係な情報であっても、別の誰かにとっては危急を要する内容かもしれない。
「実は、現在、王城にエカルノからのお客人がお見えになっていらっしゃるようで。なんでも、姫様にご求婚なさりにいらしたとか」
「……それは、マリエッタに、ということでしょうか?」
ルミナリエには弟と妹がいる。レアード第1王子と、マリエッタ第2王女だ。
姫に求婚ってことは、ルミナリエか、あるいは、マリエッタ王女にということになるんだろうが、今はマリエッタ王女しか城にいないからな。
「いえ。先方の申し入れによれば、ルミナリエ様に、とのことのようです」
なんとも言えない沈黙が続く。
それは偏に、ルミナリエが発する空気のようなものからだろうか?
「……ルミナリエ。お前、そのエカルノってところから来る、求婚してくるような人間の心当たりはあるのか?」
「あるはずないじゃないですか!」
普段のルミナリエよりは少し強い口調。
そりゃ、まあ、そうだよな。
そんな相手がいたんなら、俺を呼び寄せた時に、国王陛下か王妃様が何か言ってくるはずだしな。
つまり、あの時点で相手の姿を知らないってことで、それは、相手もルミナリエの姿を知らないってことだ。
まあ、ルミナリエは『聖女様』だし、相手方には噂くらいは届いているかもしれないが。
それにしても。
「王子から求婚ねえ。それはまた、なんというか……」
「信じられません!」
珍しく、ルミナリエが音を立てて立ち上がる。それでも、カップの中身をこぼさなかったのは流石だが。
「会ったこともない相手にいきなり求婚するなんて、一体、どんな精神をしているのか。非常識にもほどがあります」
会ったこともない他人を当てにして、助けてくれなんて人生に関わるようなメッセージを送った自分のことは、どうやら棚上げにしているらしい。
「出発しますよ、ルシオン」
ルミナリエは立ち上がると、こちらの静止も聞かずに、馬車へと真っ直ぐ向かって行く。
「お、おい、ちょっと、一旦落ち着け、ルミナリエ。もう向こうは城に到着してんだから、今から急いだって間に合わねえだろうが。馬車だって、休む必要があるだろ」
引いている馬の体力だって無限じゃねえんだから。
ガソリンで走ってる車とはわけが違うんだぞ……って言ってもわからねえか。
「それなら、空を飛んで帰ります」
「それこそ待て! 無茶苦茶言いやがるな、お前。大体、戻ってどうすんだ」
「もちろん、お帰りいただきます。だって、いきなり求婚だなんて……」
年齢的に無理だろっても、この国の法律がどうなってんのか知らねえからな。
当のルミナリエは、不安そうに俺のことを見上げてきて。
「ルシオンは、その、私が……構わないと思っているんですか?」
「いや、構うだろ。9歳の女子に結婚とか。婚約ならまだしも」
「婚約ならばいいんですか!」
お前は何に怒ってんだよ。
「いや、だから……そうだ、多分、あれじゃねえか? 『聖女』の力を狙った政略だよ」
もちろん口から出まかせだが、ルミナリエを落ち着かせる上手い言い訳なんて咄嗟に用意できるはずがねえ。
俺が口にしたのは、直前のサンベルードの体験から考えた妄想だ。
しかし、一定の効果はあったらしい。
「だから、こっちも相手の情報を収集しながらゆっくり帰ればいいんじゃねえか?」
「そうですね……そうしましょう」
ルミナリエが少し気を静めてくれたようで、俺は、いや、俺たちは、ほっと胸を撫でおろした。




