サンベルードの『聖女様』 5
「その前に、しっかりと魔法、あるいは魔力の使い方を教えておいた方が良さそうですね」
こっちに来てください、とルミナリエが自分の腰かけているベッドの隣を叩く。
そこに座れってことか?
「以前、魔法を見せた時のことは覚えていますか?」
こっちにきて、最初に見せられたやつだよな。
覚えてるといえば覚えているんだが、あんまり自信はねえな。何しろ、生まれて初めての経験だったわけだし。
「そうですか。では、もう一度、しっかりと教えますので、今度は覚えてくださいね」
「ああ」
相手は9歳の女児。
しかし、それはつまり、魔法に関して俺よりも9年先輩だってことになる。
「教えるといっても、感覚的な問題で、使い方さえ覚えてしまえば他の技能に関しては個人の努力の範疇ですから。まずは、基本……いえ、魔力そのものを感じるところから始めましょう」
手を出してください、と言われ、俺が両手を差し出すと、ルミナリエは俺の右手を自身の両手で包み込むようにして握ってきた。
「いいですか?」
そして、ルミナリエの身体がまた光ったように見え、握られている手の先から、なにか温かいものが俺の中に流れ込んでくるような感覚がある。
「感じますか、ルシオン」
「ああ。温かいものが流れ込んでくる感じだ」
やがてそれは全身へと広がり、そして、身体の中心に集まってきたように感じられる。まるで、器官が増えたかのように。
「今、あなたに流したものが魔力です。それを実際に放出、出力することで意味のある魔法になります。もちろん、私たちは普段それを意識していることはありませんが」
要するに、この魔法王国の人間には生まれつき『そういうもの』として備わっている感覚ということだろう。
俺たちだって、普段、息を吸うときに、横隔膜が収縮してとかなんて、いちいち考えたりしねえからな。
「一応、学院で使用されている教科書には、あるいは城の図書室には、それらを解説したような記述のある本も存在していますが、生憎、今は持ち合わせていません。ですから、気になるようでしたら、お城に戻ってから確認していてください。とりあえず、今は『そういうもの』と思っていてください」
私が解説しても構いませんが、と尋ねてくるルミナリエに、それは大丈夫だと断った。
今は必要なのは知識ではなく、使い方を学ぶことだから、そして、実際に使ってみた、使えるという体験だ。
詳しい仕組みを知らなくちゃ使えねえってことなら、仕方ないとも思うが、そうではないというのなら、今はとにかく時間が惜しい。
自分で魔法が使える(かもしれない)ってところに感動して、思わず舞い上がってしまいそうになるのを、なんとか自制する。
「では、簡単なところから……必要なところから始めましょう。魔法を使った防御の方法です」
一般的なものは、と言いながらルミナリエが作り出したのは、透明な壁だった。
いや、今ならわかるが、魔力による壁だ。つまり、魔法の壁ってことだな。
「これが最も単純な方法で、一般には障壁やバリア、シールドなどと呼ばれているものです」
それから、一定の空間を――正確に言えば、ベッドまでを完全に包み込むような形で、障壁が大きく広げられたようなものが展開される。
「このように範囲が広くなると、結界だとか、フィールドなどと呼ばれるようになります。違いとしては、シールドの方が範囲は狭くなる分、構造的には強固なものになります。そして、シールドは一度形成すればそれ以降の魔力消費は――壊されて、作り直すのでない限り、必要ないという利点があります。一方、フィールド、結界では、作り続けている限り、たとえ衝撃が加わらずとも、使用者の魔力を消費し続けるという欠点があります」
でもその強度なんかは、多分、魔力を加える量とかにも関係してくるんだろ?
それなら『聖女』にとっては、シールドの方を作り出す利点はないようにも思えるが。
まあ『聖女』自身が戦闘をすることを想定してってんなら話は別だけど。多分、結界の方だと、内部からの攻撃もできなくなるんだろうし。
「そうは言いますが、ルシオン。これを使うのはあなたですよ?」
そういえばそうだったな。ルミナリエはわざわざ俺のために講義してくれているんだった。
「そうだったな。口を挟んで悪かった。続けてくれ」
もちろん、魔法ってのはこの世界、あるいはこの国の仕組みそのものであり、とてもこんなわずかな時間なんかですべてを習うことは不可能だったので、教えて貰えたのは、あともうひとつだけで、攻撃する際にも使える、身体に魔力を纏わせるというものだった。
もちろん、単純打撃であっても、使用者の魔法の出力を上回る威力が出せれば、素手でも障壁を破ることは可能であるらしかったが、魔力を纏った方が容易になるということだった。
「では、実践です。最初は私が防御側を受け持ちますから、あなたは私に攻撃してきてみてください。もちろん、先程も申しましたが、遠慮も、手加減も不要です」
「ああ」
そう返事をして向かい合ったはいいものの、このまままともに攻撃を仕掛けても、ルミナリエに触れることすら叶わずに、障壁の効果で弾き飛ばされるのは目に見えている。
訓練とはいえ、実践だ。
とにかく、ルミナリエから一本取るつもりでいかなくちゃならねえ。
「……ごちゃごちゃ考えても仕方ねえ。とりあえず、試し、だからな」
ルミナリエの座るベッドから少し離れたところで、構えを取る。
「いつでもどうぞ」
ルミナリエの様子は変わらずで、余裕、ってわけじゃないんだろうが、心配など微塵もしていない感じだ。
まあ、彼我の魔法の扱いにおける実力を考えれば、それこそ、大人と赤ん坊くらいの差があることはわかっているんだが。
とりあえず、体術をもって、ルミナリエの近くまで飛び込む。
どうやら離れた結界は作っていなかったらしく、眼前にまでは迫ることができた。
しかし、突き出した拳は、魔力を纏っていたにも関わらず、ルミナリエに触れることはできずに障壁で受け止められる。
「マジか」
俺は全力で突いたつもりだった。いや、つもりではなく、実際に全力だった。
しかし、結果は今の通り。魔力を纏わせてなお、ルミナリエに触れるどころか、小動もさせることはできなかった。
「それなら」
今度は少し助走をつけて、前方宙返りからの踵落とし。もちろん、今度は足に魔力を集中させている。
これだけの衝撃を以てすれば、と思ったが、今度もルミナリエは眉のひとつすら動かさずに障壁だけで受けきった。
驕っていたつもりはなかったんだが、これは自信を無くすな。
「落ち込むことはありません、ルシオン。私、いえ、聖女の魔力は他の人と比べることができないほどですから。実際、今の衝撃でしたら、並みの障壁は突破できていたことでしょう」
「本当かよ……」
当の防ぎ切った『聖女』本人に言われても説得力がないんだが。
「ルシオン。あなたはまだ魔法に触れて数日。しかし、私は『聖女』になる前、生まれた時から9年も魔法に触れ続けています。それだけの経験の差がありますから」
それを言うなら、俺だってそのくらいは武術を習ってた(あるいは習っている)んだけどな。
しかし、こうまで仕方ないと言われると、どうにかして障壁の向こう、ルミナリエに手を届かせたくなってくる。
打撃が駄目なら。
俺はルミナリエの傍まで歩いてゆく。
魔法を行使する速度にも自信があるのか、隣に腰を下ろしても、ルミナリエはまだ魔法を使うことはなかった。
「疲れましたか? あなたにとっては無理もない、ほとんど初めてといえる魔法の体験でしたからね。すこし――えっ」
俺はルミナリエと向かい合うと、ゆっくりと、そして優しく、その肩に手をかける。
驚いたように、ルミナリエの頬が赤くなる。
「あ、あの、ルシオン。だめです。そういうことはまだ私達には早いといいますか……」
その宝石のような金の瞳を真っ直ぐに見つめながら腰を引き寄せると、自然と上体が反れ、ベッドの上にあおむけに倒れ込む。
「ル、ルシオン、あなたの気持ちは嬉しく思いますが、私はまだ、心の準備が――」
真っ赤になったルミナリエの、薄い胸の辺りに手のひらを重ね――
「チェックメイトだ」
「は?」
俺がベッドから起き上がると、ルミナリエは茫然とした様子で目をぱちくりとさせていた。
「いや、あの距離からなら俺の方がさすがに速いだろ。ゼロ距離から打ち込む、無拍子とか、浸透とかって技法があってだな……」
小学生くらいの女子にやられっぱなしは癪だからな。
「どうだ、ルミナリエ。これで俺も一本――」
振り向いてみれば、黙ったままのルミナリエの肩がプルプルと震えている。
いや、まあ、たしかに今のは少しずるかったかもしれねえが、当然警戒するべき案件で。
「あの、ルミナリエ……?」
つい、口調が及び腰になってしまう。
急に顔をあげたルミナリエは、
「――っ、ルシオンは馬鹿ですっ!」
と真っ赤な顔のまま、ベッドの中に潜り込んでしまった。
一応、魔法を使って、ルミナリエの防御を突破したんだけどな。




