10 倉庫街の悪夢
南部第三区画の倉庫街。
そこは南部マフィアが支配を許された地域だ。
アヴェルレス全体を支配するマフィアの親玉はブラッドヴァンだが、その下部組織として、実際的な活動のもろもろを地区ごとに分割して割り当てられている三大マフィア。
東部マフィア、西部マフィア、そしてこの南部マフィアである。
もともとは下部組織である四大マフィアのトップとして、ブラッドヴァン屈指の“下請け組織”を任されていたものに北部マフィアがあった。
だが、それは今ではマギルマと名前を変え、本拠地を隠して街の各地に潜伏して散らばり、青年フレッシュマンを指導者に据えてオドレイヤに戦争を挑んでいる。
その戦争に際して同じ野心を見出し、かつ、かねてからのフレッシュマンの親友が多く在籍している南部マフィアの面々は、一時的にはオドレイヤに面従腹背しつつ、最終的にはマギルマに加担することを約束した。
その見返りに武器となる魔道具の提供を受けるのだが、それがまさしく今日、この倉庫街であったというわけだ。
「この南部地域に限っては、オドレイヤの居座るブラッドヴァンよりも俺たちのほうが情報に通じている。隠そうと思えば大量の武器だって隠せてしまうし、そうなるように準備した。ここで受け取るものはコンテナぎゅうぎゅう詰めの食料品であって、ブラッドヴァンの連中に報告する書類上の偽装は完璧さ」
「いやっふぅ! 頼もしい言葉だぜ。なんたって俺はアホだから頭のいい奴は大好きだ」
上機嫌で口笛を吹いたのはマギルマの下っ端構成員キルニアだ。フレッシュマンから任命された忠実なる運び人として、ここまで移動式コンテナの運搬を担当した男である。
唯一の欠点はあまり賢くないことだが、あれこれと理屈で考えないからこそ、とっさの判断には野生的な勘が働くとの定評があった。
「ちなみに中身は三日とかからず食べつくす予定になっている。ブラッドヴァンによる想定外の査察があったとしても、そのときコンテナの中は空っぽで俺たちの腹はふくれているはずさ。いかにもマフィアの人間らしい考えなしのアホ面を浮かべて、全部食べてしまったと言えば誤魔化せる。なにしろ書類上では三日間のパーティーが催されているからな」
「よくわかんねぇが騙せるといいな。俺くらいアホだとオドレイヤも簡単に殺せるんだろうが、そうじゃない。だから苦戦する。まったく、頭のいい敵は大嫌いだ」
「……頭の悪い身内よりはマシさ。ぶっとんだネジみたいに全部を悪くする」
「お、おう?」
皮肉を言われたことにも気付かず、愛想をよくしてキルニアは相槌を打った。彼が感性で生きていると評されるゆえんだ。
そもそもキルニアがマギルマの一員に加わったのも、他の人員とは少々事情が異なる。彼には何か特別な野心があったわけでもなく、かつてのボスであるオドレイヤに対して憎悪があったわけでもなく、また、誰かに誘われたというわけでもない。
では一体どういうわけだったかというと、ただ単純に都合がよかったので身を寄せただけだった。
かつてブラッドヴァンの下っ端だった彼は、あまりの失敗続きに懲罰を言い渡され、このままでは危うく役立たずとして処刑されかねないというときにフレッシュマンの謀反を知ったのだ。
まさしく渡りに船と喜んだ彼は特に将来を考えるでもなく、一時の混乱に乗じてマギルマの傘下に入ったのである。
あまり褒められた理由ではない。
とはいえ新生勢力であるマギルマにとって使える部下の数は多ければ多いほど助かるから、アホだろうが頭が悪かろうが、無慈悲に彼を追い出すという選択肢はなかった。むしろ危険な任務の最先方として、避雷針代わりに扱き使うフレッシュマンである。
一方、頭の悪い身内は足を引っ張るから大嫌いだという南部マフィアの幹部青年は、これで用は済んだとばかりに移動式コンテナが納まった倉庫からキルニアを追い払った。まとわりつく邪魔な羽虫を追い払うように、外へ出るよう促した青年は露骨に馬鹿にした仕草だった。
下っ端に過ぎないキルニアと幹部の青年、いくら肩書の差が大きかろうと、現段階では二人の所属する組織が違うのだから、それは無礼に過ぎる対応だっただろう。
普通なら怒って立ち去っても非難される筋合いもない。
しかし、おざなりに扱われたキルニアはといえば、横柄な態度の彼を恨むこととは永久に無縁だった。むしろ感謝さえしたことだろう。
なぜならば――そう、彼の背後で倉庫が爆発炎上したからである。
あわれ火達磨となった青年幹部に追い出されるのが一足遅れていれば、きっと今頃キルニアの体も燃えていたに違いない。
「な、何が起こった?」
どうやら倉庫が内部から爆発したらしい、ということしかキルニアには理解できない。だがそれも無理はないだろう。
魔道具が誤作動したとか、倉庫の中に可燃性ガスが充満していたとか、あるいは裏切り者が爆薬を仕掛けていたとか、そういった可能性を考え出すことも不可能ではなかったが、この場合、どれも真実を射止めていない。
現実はもっと単純で、そして最も残酷だった。
「ノーマルな炎でもバンバンに燃えてくださいますわ! あらあら、簡単に焼け死んじゃってかわいそう。なんて戦い甲斐のない雑魚連中なのかしら!」
それは美しく響く女性の声。しかし聞く人間の心臓を鷲づかみにする凄みがある。敵対する状況下で耳にすれば、その印象的な声を忘れてしまうことができないだろう。
もっとも、その声を聞くまで生きていられればの話ではあるが。
炎上する倉庫から颯爽と躍り出た彼女の名は、オビリア・オドレーン。
オドレイヤの部下、通称オドレ三女神の一人で、炎の魔法使いである。年齢不詳のフーリーなどとは違い、彼女は二十四歳。
正真正銘の若年幹部であった。
「オビリア様、せめてコンテナの中身ぐらいは燃やす前に確認したほうがよろしかったのでは?」
「……それもそうね。うかつだったわ。でもいらないでしょ?」
「はい、何もいりません。私はオビリア様さえいてくだされば!」
「あらそう、それは嬉しいわ。でもくっついたら燃やすわよ」
そう言われては――と、抱きつく寸前で思いとどまったオビリアのそばに付き添う女性。
おどけた少女にも見えるが、彼女もれっきとしたブラッドヴァンの女性幹部であり、また、彼女こそオドレ三女神の残る一人である。年齢はさらに若く、二十歳になったばかりだ。
彼女の名はメイナ・シューロック。
オビリアの部下として彼女と行動を共にすることが多いが、もちろん幹部になるだけの強さを持っている優秀な魔法使いだ。
上司であるオビリアを心から崇拝しており、日常から姉妹とも同性の夫婦とも感じられるほど寄り添うメイナだが、命じられさえすれば彼女は単独行動をすることもあるし、むしろ、単独行動こそ彼女の花形である。
「あなたの情報は正しかったみたいね。メイナ、帰ったら褒めてあげるわ」
「嬉しい! ですけど、あんまりほめられてしまうと体がとろけてしまいますぅ!」
「また馬鹿なことを言って……」
オビリアは上品にくすりと笑ったが、メイナの言葉はあながち冗談と呼べるものでもなかった。
体がとろけてしまう――そう、彼女の体は本当にとろけてしまうのだ。
彼女の得意とする魔法は、自身の体をスライム状に変化させてしまう変身魔法だ。自在に形を変えられるピンクのスライム状態になって、ある程度の自由行動が可能なのだ。
もっともスライム状態になってしまうと移動すること以外には攻撃魔法も何も使えなくなってしまうが、とにかく隠密性には優れているので、密偵や潜入に役立つ魔法である。
マギルマと南部マフィアの取り引き現場を襲撃せしめたのも、昨夜の密談を盗み聞きしたメイナの手柄だ。それを称賛しないほど肝っ玉の小さなオビリアではない。もちろん本当にとろけられても困るので、彼女を甘やかすのもほどほどだ。
そんな二人に遅れて参上した男が一人。わざとらしいくらいに堂々たる足取りで現れた。
「逆らった見せしめとして潰すには、ちょうどいい無能たちだ」
その声の主は他ならぬオドレイヤである。メイナによってもたらされた裏切りの情報を聞きつけたブラッドヴァンの最高幹部が、下部組織に過ぎない南部マフィアの襲撃にわざわざ訪れたのである。
彼が言ったように、その主目的は“見せしめ”だ。
一方、事情を知らないキルニアの精神状態は恐慌を示しつつあった。
――しまった、南部マフィアの裏切りか?
灼熱地獄に遭遇したキルニアは真っ先にそう考えたが、それなら南部マフィアの人間まで殺されているのはおかしい。彼には珍しく頭の思考回路が酷使され、じわりと熱を帯びた。
「どうやらオドレイヤに情報が漏れたらしいな。こいつはやべぇ……」
いくらアホでも危険を危険と認識するだけの常識はある。
「いやぁ、それにしても助かった。とにかく俺の仕事が終わったあとでさ! ここは逃げるに限るぜ!」
他でもないキルニアの特徴は物事を深く考えることなく決断を下せてしまうことで、それが結果として何度となく彼自身の命を救ってきた。
優柔不断と逡巡とは、どうやら生まれたときに母体の中に置き忘れてきたらしく、それらとともに幼くして母を亡くしたキルニアにとって、センチメンタルな母性に甘えるということもまた無縁であった。
逃げるときは振り返らず、逃げに徹するべきなのである。
困ったときは一人で生きろ。仲間を見捨ててでも。
それがアホなりの処世術だった。
「さて、生き残りはどこにいるかな? 逃げ出すつもりがないなら、殺すのは一旦中止だ。とりあえず話を聞きたい」
このオドレイヤの呼びかけを歯牙にもかけず一目散に立ち去ったのはキルニアで、この呼びかけに希望と活路を見出したのは、かろうじて生き残った南部マフィアの若者だった。
自分に知性があると信じている人間は、とかく自分の知性を用いて状況を乗り越えたがる。
身を潜めていた暗がりから両手を挙げて出てきた青年は頭の中で謝罪の言葉を選びつつ、抵抗の意志がないことを表情によっても示しながらオドレイヤの前へ歩み出た。
もちろん死を恐れている彼は、最強の支配者と目を合わせることはない。
「お前は?」
「南部マフィアのフリッツェオです。ここでは最高責任者で……」
だからこそ生きたまま謝罪する機会を求めている、と彼は言外に訴えた。責任者の仕事の一つには釈明することも含まれているはずだと信じているのだ。
ぺらぺらと意味のないことを喋りながらも、彼は今回の“これ”が単純な意味の「裏切り」ではないことを、どうやってオドレイヤに納得してもらえるように説明するべきか考えていた。
このフリッツェオという男は何か優秀な能力があって人の上に立っているのではない。小賢しい知恵と狡猾な立ち回りによってのみ、のし上がってきた小物なのだ。
「それはよかった。責任者を探す手間が省けて。さて、では君の首をもらおうか」
「……はい?」
オドレイヤの口から飛び出した言葉が理解できず、青年は無意識のうちに尋ね返していた。真意を確かめようと一瞬だけ目をのぞきこんでしまって、慌てて目をそらす。
その様子を見ていたオドレイヤが、ある種の親切心を持ち出して言った。
「死んでくれと言ったのだよ。潔く自害するのなら手出しはしないが?」
あまりに明快な死刑宣告に、青年は飛び上がって背筋を凍らせた。
「う、裏切ったわけではございません!」
まさか自分の命が犠牲になるとは想像も及ばなかったのだろう。
ひたすら口をパクパクさせてうろたえるフリッツェオ。
対するオドレイヤは堂々としたものだ。
「お前ごときの死が裏切りの代償になるとでも? なっはっは、そんな小さなことのために貴様らをつぶすわけがないだろう。裏切ると裏切らないとに関わらず、この私、ブラッドヴァンのオドレイヤが、もはや貴様らの存在を気に入らないというだけよ。小ざかしい、だから存在さえ許せない。この気持ちがわかるかな?」
「お、お助けください! これからも我々はオドレイヤ様のお役に立ってご覧に入れましょう! ですから、なにとぞなにとぞ……」
「なに? それは、まさか命乞いか? ここにきて私に許しを請うているのか?」
手をすり合わせるフリッツェオの無様な姿。それは気高き闘争者の神経を逆撫でする。心の痛覚を弱者によって刺激されたオドレイヤは、おぞましい不愉快さに目を見開いた。
そして首を横に振る。
落胆と否定と、あるいは嘲笑の仕草だ。
「……おいおい、やめておくれ。ここに私が来たのだぞ? ほかでもないダンス・オドレイヤが、手の届く距離にいるのだぞ? わざわざ敵の親玉である私が、自力ではたどり着けない貴様らのために、ここまで足を運んでやったのになぁ?」
「敵とは! まさか敵なはずがございません! 我々は常にオドレイヤ様を崇拝しておりますゆえ、裏切ろうはずがございませぬ!」
まさしく懇願。迫真のすがりつき。
白々しい言葉をつむぐフリッツェオの本心はどうあれ、その命がけの演技は褒められてしかるべきであろう。
だが、ここは演劇場ではない。
この場で彼が納得させねばならないのはフィクションを眺める観客ではなく、ノンフィクションに生きるオドレイヤなのだ。それも悪逆非道を美徳とするブラッドヴァンのドンである。
「……あぁ、悲しい。悲しいよ、私は。我がブラッドヴァンの下部組織で飼っていた部下とは思いたくもないほどの下っ端だね。闘争心のかけらも感じられない。おお、どうしたね裏切りは? どうせ死ぬならと、敵たる私に一矢くらい報いてやろうとは思わないのかい? ええ?」
「め、滅相も――」
「ございませんか、馬鹿馬鹿しい! だから死ぬのだよ、君たちは……! その胸に意地というものがないから! 私の目を直視する度胸もないくせに!」
オドレイヤの怒気は魔法となって爆発した。
右腕が闇に落ちた紫色の光によって包まれると、その手が、容赦なくフリッツェオの顔をつかむ。
そして――絶叫。言葉にならない断末魔。
「せめて死に顔は安らかに、な。もはや聞いたばかりの名前も忘れたが。最後まで南部マフィアは固有名詞のいらない“下請け組織”に過ぎなかった、ということか」
四肢はつながったまま、顔は薄汚れた程度。しかし青年は立っていられず崩れ落ちた。
これもまた処刑魔法の一つ。
指先から瘴気と化した大量の魔力を注ぎ込んで、体内から相手を殺してしまう残酷な魔法だ。
オドレイヤの右手の中で、きっちり“頭の内側だけ”を破壊されたフリッツェオ。外見上は五体満足なままでいる死体が、あたかも糸で吊られたマリオネットのように操られて立ち上がる。
「そこで黙って立って見ていろ、“なんとか”という現場担当者。君には死んでも見届ける責任がある」
操作系魔法に長けており、死者でさえも思いのままに操ることができるオドレイヤ。いや、実際には抵抗力と意思がないため、生者よりも死者の身体は扱いやすいが、それを操ることの意味合いは異なる。
死体をもてあそぶことは、すなわち冒涜性を帯びるのだ。
「これから倉庫街に潜む君ら南部マフィアの構成員を一人残らず血祭りにご招待せねばならないからな。オビリア、メイナ、お前らもパーティーに興を添えろ」
「はっ!」
オドレイヤ、オビリア、メイナ。
たった三人だが、たかが三人でも、倉庫街に隠れて逃げ惑う南部マフィアの生き残りを惨殺するには余裕だった。
余裕――そう、彼らには裏切り者を殺す手段を選ぶ余裕があった。
なるべく生前の姿を保ったまま死ねるように、彼らは南部マフィアの構成員を実に鮮やかな手際で綺麗に殺しおおせたのである。
だが、今宵の悪夢はこれだけでは終わらなかった。
永遠の黄昏世界であるユーゲニアの夜にふさわしく、より赤く、より血みどろに、最強最悪の魔法使いが演出するアヴェルレスの悪夢はどこまでも生者を苦しめるのだ。
誰もが口をそろえて言う。
――この街に安眠など許されない。




