6 そして暗黒街アヴェルレスへ
ほんの数日、たった数日のことだった。
俺たちに許されていた平和と幸せの時間は。
「何事ですか!」
「わからない――けど!」
慌てて廊下に出た俺とイリアスは、お互いの部屋の前で顔を見合わせる。
いくつかの魔灯光によってのみ薄暗く照らされた深夜。突然に生じた振動と爆発音によって、それぞれの部屋で眠っていた俺たちは飛び起きたのだ。
自分の感覚を信じるなら、二階にある部屋のどれかが襲撃を受けたことは疑いようがなかった。
そしてそのどれかとは、あえて考えるまでもなく想像が追いついた。
保護対象である二人の部屋が襲われたに決まっている……!
「きゃあっ!」
俺とイリアスがちょうど向かっていた部屋から爆音がした。内側からの激しい衝撃によって扉が大きく開かれて、中から一人の人物が転がり出てくる。
見間違えるはずもない。
そこにいたのは血に濡れたカズハだ。
「テレシィ!」
「マカセテ!」
デビルスネークとの一件以来、あたかも俺の使い魔のような存在になった妖精の名を叫びながら駆け寄って、俺は大急ぎで大怪我を負っているカズハに治癒魔法をかける。
おとなしく治癒魔法を受けるカズハは虚空から姿を現した肩代わり妖精のテレシィに驚いたようだったが、今はゆっくりと説明をしている場合ではない。
「カロン師匠が中に!」
治癒魔法が完了するころ、パッと顔を上げた彼女の視線につられて部屋の内側を見る。
外から窓ガラスをぶち破り、彼女たちの眠っていた室内へと“それら”が侵入したのだろう。人間であって、人間ではないものたち。
それはいくつもの動く死体――怪物だった。
再び小規模な爆発、炎上が広がる。
不気味な襲撃者は次の獲物を狙っているようだった。
「待って、今部屋の中へ行っては危険だよ!」
やみくもに駆け出そうとしたカズハの体を、俺は無理矢理に押しとどめた。
二人が寝ていたであろうベッドは爆風によって吹き飛ばされ、立ち込める煙以外には何も残っていなかった。いや、正確には一つだけ元の形を保ったまま残されていたものがある。カロンが着ていた服の燃えカスに覆われた、あの不思議な剣だ。
そこには巨大な鳥が止まっている。しかも半分腐りかけた奇妙な鳥だ。
その名状しがたき鳥は落ちていたカロンの剣をくわえると、割れた窓から夜の空へと飛び立った。
「ああっ、返しやがれ!」
しかし窓から侵入して室内に溢れつつある複数の敵は、すでに俺たちの目前まで迫っている。のんびりする猶予はないし、これらを切り抜けて逃げた鳥を追いかけるのも難しい。
どこにも姿の見えないカロンの無事を確認したいのも山々だが、より大切なのは生きているものの命だ。
奪われたらしい剣にしてみても、カズハの命に比べれば……。
「イリアス、一階だ! 一階から外に出よう! 俺がカズハを抱えていくから、イリアスは先導してくれ!」
「わかった!」
「あ、兄貴、離してくれっ!」
戦わずして逃げることを承諾しかねたらしく、俺の腕の中で聞き分けのない赤子のように暴れるカズハ。なんとか落とさないように抱えて俺は走った。
敵に追いつかれれば激戦は必死である。
いくら肩代わり妖精のテレシィがいるといっても、まだ俺の治癒魔法は完璧なものではない。死を取り消すことまではできないのだ。
逃げるべきときは逃げるに徹する。
目指すは一階、外へと続く扉だ。
「アレスタ、止まって!」
先頭を走っていたイリアスがそう言って足を止めた。
目指していたギルド一階の扉はすでに開かれており、そこには夥しい怪物の姿があった。正体不明の襲撃者の数は、とどまることを知らず未だ増えつつあったのだ。
このままでは囲まれるのも時間の問題である。窮地を前に俺は固唾を呑んだ。
すると冷静さを取り戻したらしいカズハが弱々しく口を開いた。
「兄貴。この状況で助かる方法がありやすぜ……」
「方法が? その方法って?」
神妙な顔をしてカズハはうなずく。
「とにかく、二人は静かにしていてください。しばらくは絶対に声を出さないで。二人がアタシを信じてくれるなら、このピンチを切り抜けることができるはずだから」
「……わかった、そうする。カズハを信じるよ」
「ありがとう。……それでは失礼して! ヘブンリィ・ローブ!」
ガバッ――と。
俺とイリアスはカズハに抱き寄せられて、引っ張られるようにして壁際へと連れられていった。壁に背を当てて、カズハは俺とイリアスを自身の小さな胸に押し当てるように抱え込んでいる。
まるで慈愛溢れる母親が、幼い子供二人を腕の中に優しく包み込むように。
「カ、カズハ?」
事情がわからず、なされるがままだった俺は少女の顔を覗き込んだ。
彼女は目を瞑っていて、その表情は懸命に祈りを捧げているかのようだった。
「どうか静かに……。そうすれば危機は立ち去るから……」
ささやく言葉もどこか慈悲深い。
この状況で全員が無事に助かるためには他にどうしようもなかったし、なにより、理屈以外の部分で俺はそのカズハの言葉を信じることが出来た。
不思議と彼女に身をゆだねることが正しい方法だと思えたのだ。
三人とも息を潜めて、ぴくりとも動かずに危機が去るのを待つ。
どうやら襲撃してきた敵は人間のように頭がいいというわけではないらしい。壁際にいる俺たちの姿が見えないらしく、しばらくさまよった後に姿をくらませた。
「カズハ、これは?」
「ヘブンリィ・ローブ。天使の羽衣なんて名前もありやすが……」
少しだけよろめいて、それでもカズハは立ち上がる。
「こいつは目に見えない魔法のベールをアタシの周囲に発生させて、その内側にいる人間の気配を消しちまう隠遁魔法だぜ。こちらの姿が見えなくなるから便利なんだけど、術者であるアタシの魔力が続く間だけしか効果は発生しないし、隠れる人間が増えるほど必要な魔力が多くなるから大変なんだ」
「それでもこうして助かったんだ。ありがとう」
「……礼はいらないぜ、兄貴」
そう呟いてカズハは天井――すなわち二階を見上げた。何を考えているのかは聞かなくてもわかる。消えてしまったカロンのことに違いない。今は彼女にも時間が必要だろう。
自分で自分の頬を叩くと気を引き締めて、俺はイリアスに尋ねる。
「二階の火事は?」
「去り際に消火用の放水装置が作動していたので、おそらく大丈夫かと。それより……」
「ああ、まずは急いで今後の対応を考えるべきだね」
ギルドを出た俺たちは城を訪ねた。
まだ外の街を覆い隠すほどに夜は深かったが、城門の前で警備に当たっていた取次ぎの夜勤騎士から事情を聞いた領主は、わざわざ俺たちのために面会の時間を作ってくれたようだ。
「襲撃だって? それで、被害の状況は?」
「正体不明の敵集団の攻撃によって、ギルドの二階が少し燃えました。ただしこれは無事に消火されたので結果的に私たちは無事でしたが、その、カロンさんは……」
そこまで報告したイリアスは、後ろに控えたカズハを気まずげに横目で確認した。
彼女はうつむいたまま口を固く結んでいる。その表情は見えない。
「わたっかよ、イリアスちゃん。その先は言わなくていい。……襲撃者の目的は、やっぱり二人の身柄だったのかな?」
「いえ、それが……」
答えに窮したイリアスが思考を伴って口を閉ざしたとき、その隙間を埋めるように口を開いたのはカズハだ。
「奴らの目的はカロン師匠が持っていた魔法の剣だよ。アタシらの身柄なんかじゃない」
「魔法の剣だって?」
これに対する答えはすぐに返ってきたが、それはいつも無邪気な彼女に似合わず重々しい口調だった。
「剣の名はハクウノツルギだ。次元の壁を切り裂く魔法の剣だよ。……もっとも、ハクウノツルギの威力は使用者の魔法適正レベルに左右されるから、誰もが自由に次元の壁を切り裂けるようになれるわけじゃない。でも、向こうの世界にとって重要性は大きいはずさ。なにしろ、異次元世界ユーゲニアを取り囲んでいる壁を壊すことだってできるんだからね」
「なるほど、あの剣にはそれだけの力があったんだね。……とすると、敵はそのハクウノツルギを奪うために君たちの身柄を追っていたということかな?」
「ああ、そうだぜ。異次元世界を抜け出すため、異次元の壁にゲートを開くためにハクウノツルギが必要だったのさ。だからアタシらはあの剣を盗んで逃亡した」
そう告白したカズハに、驚きを隠せなかった俺は口を挟んだ。
「盗んでってことは、まさかハクウノツルギってもともとは”敵”の所有物だったの? どうしてそんな危険なことを……」
「盗んだことは認めるよ。だけど、アタシにとっては奪い返したつもりだった。あの剣ハクウノツルギは、そもそもアタシのお母さんが残した唯一の形見だったんだぜ。だからあいつらが占有しているのを許せなかったってのもあるけど……」
丁寧で詳細な説明を諦めたのか、脚で床を踏みつけたカズハはここで語気を強めた。
「とにかく渡しちゃ駄目なものだ! 暴力的な支配者である奴らが持っていちゃいけないものなんだ、なんとかして取り戻さなくちゃ! だから、どうかアタシに力を貸してくれ!」
俺が何かを答えようとしたとき、それを制して口を開いたのは領主だった。
あえて感情的にならぬよう意識しているのか、思わせぶりなことが多い彼にしては珍しく無機質的なトーンだ。何を考えているのか真意が見えてこないような声色である。
「実は帝国政府から連絡があってね、今回の件については手を出すなと警告されたよ。帝国政府としては、ユーゲニアとその都市アヴェルレスは過去に切り捨てた土地だから、今さら関わることを許さないって。それと、異次元世界と戦争状態になった場合の不確定要素が帝国全土に影響を及ぼしかねないから、公式には何も行動するなとね」
「それじゃ……」
「領主である私の立場としては、君が取り戻したいと言っているハクウノツルギについてだけれど、諦めろとしか言えないね。でないと、ここベアマークとアヴェルレスの間で本格的な戦いが勃発しかねないのだから」
ね? と言って、こちらに同意を求めてくる領主。
理屈では正しいとわかっていても、カズハの感情を考慮せずにもいられない俺とイリアスはとっさの返答に困った。ただ曖昧にうなずくのみだ。
すると、浅いため息を漏らしたカズハは諦めたように肩を落とした。
「……覚悟してたんだ。こういうときが来るって。アヴェルレスの呪縛からは逃れられないんだって。アタシらに自由と平和は不似合いだって」
感情を殺したつもりで淡々と語るカズハは、幼さの垣間見える少女の顔をして、名残惜しげに羽根の首飾りを握り締めた。
それはチークとおそろいのネックレス。
そして首を横に振り、今までの日常が夢であったかのように振り切った。
「兄貴、これは弔い合戦だ。お母さんとカロン師匠、二人分の敵討ちをやらなくちゃ。そして形見のハクウノツルギを取り戻す。たとえ相打ちになってでも、アヴェルレスの悪しき親玉を自由にはさせない。……だから、さようなら。さようならを伝えてくれ」
言い切って、くるりとカズハは身を翻す。
間違いない、覚悟を決めた彼女はたった一人で異次元世界ユーゲニアへと赴くつもりだろう。
「待って!」
俺は引きとめようとカズハの腕をつかもうとして、けれどそれは成功しなかった。確かに彼女へと伸ばしたはずの指先の行方が定まらず、どこへともなく宙をさまよった。
ヘブンリィ・ローブ。またの名を、天使の羽衣。
姿と気配を完璧に消してしまう魔法の力によって、俺はカズハが立ち去るのを止めることが出来なかったのだ。姿の見えない相手を正確に追いかける手段はない。
扉がひとりでに開いたときには、すでに手遅れだった。
彼女は走り去ったのだ。
やがて扉が反動で自然と閉まった音だけが、静寂に満ちていた室内に響く。
それを契機にして、気まずさを咳払いで打ち消した領主は目を輝かせた。
「さて、私から新しい依頼をいいかな? もちろんこれは領主としてではなく、あくまでも私個人の依頼として、君たちに頼みたいことがあるのだが……」
「聞きましょう」
「すまないね。これは先ほども説明したが、異次元政府ユーゲニアは不干渉地帯のため、ベアマーク政府や騎士団の人間は手出しすることができない。だが、帝国政府が警告を発したのは我々公的な人間に対するものだけだ。つまり、この状況で今の私が頼れるのは、君たち民間のギルドだけということでもある。厳しい場面もあるかもしれないが、どうか彼女を助けてあげてくれないだろうか」
「任せてください。あえて依頼されるまでもありませんよ」
ここまで深く関わり合った以上は見捨てておけない。
一人立ち去ったカズハを追いかけて、俺とイリアスは異次元世界ユーゲニアへ侵入することを決めた。
念には念を入れ、土地勘のない敵地に向かうからには味方の人数は多いほうがいいからと、寝ぼけ眼だったニックを連れて――。




