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3話 浩介の場合

浩介の場合


 ヒソヒソヒソ。

大抵の場合、噂話というものは本人のいないところで言われているものだ。そして、言っている本人たちはそれが聞かれていないと思っていっていることが多い。

だが、この場合は違った。

「浩介君って、明るいっていうよりうざいよね。」

「ああ、いっていることもつまらないしな。」

「自分じゃ、おもしろいと思っているんじゃないの?」

「結構、うっとうしいよねぇ。」

 ひそひそひそ。

 たまたまその日、忘れ物を取りに学校に戻った浩介はその噂話を偶然にも耳にしていた。

 浩介はさすがに、平然とした顔をしてドアを開けることはできずに、そのまままっすぐ帰宅した。泣けもせずに、ただひたすら落ち込んでいた。噂話をしていたのが、いつも自分が、それも小学校の頃から一緒にいた人たちだったなら、なおさらだろう。


 翌日。

 できる限り浩介は平静を装って、学校に行った。すると、仲間たちはまるで何事もなかったように、いつも通りに会話をしていた。浩介はぞっとした。あの噂話が夢であったかのように、なにも変わらなかったからだ。

 昼休み、弁当を持ってきているにもかかわらず、仲間と長く平気な顔をして側にいる自信がなかったせいか、浩介はパンを買いに出かけた。すると、目の前で売り切れてしまった。「なんだかなぁ……。」

「ああ、買いそびれ?じゃ、これ一個やる。」

 急に大きな体の生徒が言った。

「オレ、もう三つ買ったから。ハイ。」

「あ、どうも、いくら?」

「いいよ。それよりも、うち、弁当屋なんだ。学校の近くの『あおぞら弁当』ってところ。気が向いたら、買ってね。じゃ。」

 彼はそれだけ言うと、そのまま去っていった。

「なんだぁ?」

 浩介はとりあえず、パンを持って仲間の元へ戻った。黙って、食べていると、一人が言い出した。

「なんだ、やけにおとなしいな。」

「そう?」

「熱でもあるのか?」

「いや。」

「なんか、変な感じがするわねぇ。」

 浩介は苦笑いをするしかなかった。


 帰りもちょっと用があるからと断って、しばらく教室に残った。やることのない放課後はやけに無駄な時間に思えた。

「おい、岡本。」

 振り向くと、そこには担任の先生がいた。

「ちょっと時間あるか?」

「あるけど。」

「じゃ、プリント折るの手伝ってくれ。明日の進路説明会で使うんだ。急ぐんだよ、頼む。」

「えー。しょうがねぇなぁ。」

 しぶしぶながら、手伝いに行くと、もう手伝っている生徒がいた。

「あれ?パンくれた人じゃん。」

「ん?黒田と知り合いなのか?」

「いや、しらねぇ。」

「まぁ、とりあえず、お前はこれを二つ折りにしてくれ。」

 なにやら、ほかにも何人かの生徒が残っている。

「機械はどうしたんだよ。」

「故障したから頼んでるんだ。」

 それだけいうと、先生はどこかへ行った。浩介は近くから椅子を引っ張ってくると、二つにたたみ始めた。しぶしぶやっているせいか、几帳面とはかけ離れたことになっていた。

「隆史、どうだ?」

「ああ、まだあるよ。手伝って。」

「一年生なのに、進路ねぇ。しょうがねぇなぁ。玲は?」

「バイト。」

 浩介はぼんやりとその話を聞いていた。

「おい。おいってば!」

 やっと、浩介は自分が話し掛けられていることに気がついた。

「なに?」

 声のしたほうを見ると、大柄な生徒に声をかけた生徒が言った。

「そのプリント、折るの逆だよ。ほら、お手本。」

「え?」

 たしかに、よくみると、お手本と間違っていた。そのまま、折りつづけてしまったようで、結構な枚数になっていた。

「あー……。すりなおしたほうが早いかも。」

「あ、無理。」

 大柄な生徒が言った。

「コピー機が壊れて、いま、古い印刷機を出してくるってさっき、先生が言っていたから、それくらいなら、折りなおしたほうがいいよ。」

「えー。面倒だなぁ。」

 浩介は渋い顔をした。

「じゃ、そこどいて。」

「え?」

「俺がやる。いてもやらないなら、帰れば?」

 浩介は無言でどいた。カバンを持って、そのまま帰った。なんだか、無償に腹が立っていた。


 翌日に配られた進路の資料は、ちゃんと直されて配られた。

「お前、どうする?進級だろ。」

 目の前にいた仲間たちはなにやら、話している。

「ああ、どこの高校に行くかはまだ決めてないけどな。」

「俺、決めたもんねぇ。」

「行けるのか?」

 なにやら、ああでもない、こうでもないと話している。しかし、誰も浩介にどこに行くのか聞く者はいなかった。そのことに初めて気がついた。誰も自分のことに関心がないんだということに。急に独りぼっちになったような気がした。

「あ、おまえは?」

 やっと仲間の一人が聞いた。

「え、あ、ああ、まだ決めてない。」

「あっそ。」

 それだけだった。なんだか、憂鬱な気分になった。


「進路?好きにすれば?」

 母は言った。

 浩介はぼんやりと考えていた。進路指導室にも行ってみた。すると、なにやら、隣から声が聞こえてくる。

「いいか、坂本、お前なら、もっと上にいける。どうして、この高校なんだ?」

「第一希望です。」

「しかしなぁ。」

 なにやら出した希望の高校のことで、先生に説得が行われているようだ。なぜか、浩介は落ち込んだ。自分には誰も説得どころか、気にもされていない孤独感が襲ってきた。

 指導室を出ると、廊下で、あのがたいの大きい生徒と、帰ればと言った生徒がなにやら、話している。

「お、一緒の高校希望か。」

「うん、あそこなら家の手伝いにもそんなに影響しないしね。」

「ああ、大事だよなぁ、それは。」

浩介は、彼が弁当屋だということを思い出していた。そして思った。行きたいという希望があるということ、なにかに縛られている幸せを。

「お、出てきた。」

 説得されていた生徒が、出てきた。振り返ると、なるほど、秀才と言われている奴がいた。「玲。どうだった?」

「ん?問題ないってさ。」

「いいなぁ。」

 三人仲良く、なにやら話している。説得さえもされていたくらいだ。たしかに、問題はないのだろう。しかし、なぜか浩介はこのとき、意地悪を言いたくなった。

「俺、聞いたぞ。もっと上の高校にいけるんだってな。」

「そうなのか?」

「ああ。でも、行きたい高校を希望として出しているんだ。君は、どこに行くんだ?」

 浩介は言葉に詰まった。

「別に。」

 それだけいうと、その場から離れていった。後ろから笑い声が聞こえてくる。どうやら、浩介の言葉は、なんの影響ももたらさなかったようだ。自己嫌悪に陥った。


 食事中に母親が言い出した。

「なんか、あんた最近、静かね。」

「そぉ?」

「どうかした?」

 母親でさえ、聞くと言うのはかなり静かだったのだろう。

「別にぃー。ご馳走さまー。」

 そのまま、月日は流れ、二年に上がると、仲間たちとは見事にクラスが別れた。誰もいない。その代わりに、進路室の前であった三人と一緒のクラスになった。まだ、浩介の憂鬱は続いていた。

 しかし、偶然とは恐ろしいもので、化学の実験と体育の時間が同じ班に分類された。浩介はひたすら、黙っていた。当然、会話を聞くことになる。言いたいことを言って、なにやら楽しそうだ。科学の時間は、玲の言うことに行動し、体育の時間は進の言うように行動していた。

 そんなある日。


「あ。」

 また手前でパンが売り切れた。となりにはあの時と同じように隆史がいた。

「あ、いる?」

「黒田。いや、いい。」

 教室までの道を歩き出した。当然同じ教室に戻るのだから、一緒に歩くことになる。

「でも、腹減るよ?」

「お前の家、弁当屋だろ、なんでパンなんだ?」

「ああ、余ったら弁当にも持ってきているよ。けど、パンが多いかな。岡本君だって、普段は弁当だろう。」

「なんで知ってるんだ?」

「だって、広場の隅で食ってるじゃん。」

「それは、そうだけど……。」

 普通、人がなにを食べているかなんて見ているものだろうか?

「昔からの知り合いなのか?」

「え?」

「あの二人と。」

「ああ、玲と進?いや、中学入ってから知り合った。」

「ふーん。」

 そこに、去年のクラスメイトが通った。同じような仲間で。そのうち、一人だけ気がついてちょっと手を上げて笑った。声もかけることもなく、そのまますれ違った。浩介もちょっと手を上げた。

「友だち?」

「前のクラスメイト。」

「ああ。いいね。」

「なにが?」

「俺、前のクラス、友だち、玲だけだったから。」

「お。パンは買えたかー。」

 進は手を振った。

「うん。で、黒田君のぶんがなくなった。」

「ええ?お前、食いすぎなんだから、やれよ。」

「いや、いらない。」

「だけど、次、体育だよ?」

 玲も言った。

「いいんだ。」

 浩介はそのまま教室に戻っていった。そして、机に伏して寝た。たしかに、腹が減った。しかも、そんな日に限って、マラソンだった。やけに太陽が強いような気がするのは、きのせいだろうか。

「あっちぃー。」

「やけるー。」

 あっちこっちで、生徒から悲鳴のように聞こえた。

「ほら、行くぞ!」

 先生の号令でぞろぞろと走り出した。だらだらしながらも生徒がついていく。学校の周りを走るのだ。外に出る分、景色もいいが、道は悪い。

 浩介は、なんだか、気分が悪かった。しかし、そんなことも言い出せずに、走り出した。

 だんだん、視界が白くなっていくような気がした。どこかで、誰かが何かを言っているようだったが、頭に入ってこなくなった。そして、意識が途切れた。


 目をあけると、そこは保健室だった。

「あ、目、覚めた?」

「俺は?」

「マラソン中に倒れたの。暑さでやられたのね。昼ご飯、食べた?」

「いえ、なんだか、食欲がなくて。」

「だからよ。そうそう、あなたを運んできてくれた子がカバンも持ってきてくれたわよ。ここにあるからね。」

「運んだ?」

「そう。なんだか、調子が悪そうだったからって、後ろを走ってくれていたみたいよ。倒れそうになったところを支えたから、顔とか打ってないんだからね。あとで、お礼を言わないとね。」

「誰でした?」

「同じ、体育のチームだといっていたけど?」

 ノックされ、がらりとドアが開いた。

「お、生きているか?」

「林田君。」

「おい、岡本、生きてるぞ。」

 廊下に誰かいるのか、声をかけた。

「勝手に殺すなよ。」

 聞いたことのある声がしてきた。

「大丈夫だったか?」

 玲と、隆史がやってきた。

「なんで?」

「なにが?」

「なんで、ここにくるんだよ。」

「放課後だし。」

「いや、意味わかんねぇし。」

 浩介が言った。

「うーん。お前が重かったからかな。肩こっちゃって。ま、運んだの、隆史だけど。」

「なんで、お前の肩がこるんだよ。あ、黒田、運んでくれて、ありがと。」

「いや。調子の悪いのに気がついたの、進だし。」

「いーや、玲が調子が悪そうに見えるって言うから、見てただけ。」

「はいはい、仲良しはいいから、調子が良いなら帰って頂戴。ここは保健室なの。」

 先生に追われるように追い出された。

「じゃ、俺は帰る。」

「おー。」

 玲は走っていった。

「急いでたのか?」

「バイトがあるからね。俺も先に行く。店の手伝い、あるし。」

「おー。」

 そして、進と浩介だけが残った。

「なんで、助けたのさ?」

「いや、俺、なにもしてないし。」

「……。まぁな。」

 ふと見ると、窓の外を前のクラスメイトが帰っていっていた。ため息をついた。

「なんだ?まだダルイのか?」

 横を見ると、進が見つめていた。浩介は無意識に笑った。

「いや、平気。」


 浩介は、自分を心配してくれるような友が手に入った、と思った。

 そして、自分もなにかしようと思った。

 浩介はちょっと、幸せになった。



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