2話 隆史の場合
隆史の場合
「デブ。」
「近づくなよ!」
中学生の頃の隆史はひたすら、いじめの対象になっていた。その日もあれこれ、言われて、隆史は落ち込んでいた。海のように深いため息をついた。
「はぁー。」
学校の屋上からの夕日がきれいだった。金網の向こう側がやけに広く感じられた、そのときに、チャイムが鳴った。
「そろそろ、ここも閉まるよ。」
急に声がして振り返ると、同じ制服を着た男の子が立っていた。どうやら、本を読んでいたようだ。隆史は、ドアを開けて、そのまままっすぐ進んでいったために、彼の存在に気がつかなかったようだ。彼はそれだけ言うと、出て行った。しばらく夢でも見ていたのかとぼんやりしていると、制服をきたガードマンがやってきた。
「閉めますよ?」
隆史は慌てて、屋上から出て行った。
次の日。その男の子がクラスメイトにいた。
「やぁ、ども。」
「どうも。」
「俺、黒田。坂本君だよね。」
「そうだけど、何か?」
「え、えっと。」
隆史がもごもごしている間に、誰かが隆史の肩を叩いた。
「おいおい、デブが秀才になんのようだー?」
「え、えっと。」
「なにか、用があったとしても、君には関係ないだろう。」
普段は大人しい玲が言ったせいだろうか、からかった生徒も、面食らったようで大人しく離れた。
「あ、あの。」
「チャイムだよ。」
玲がそう言うと、きっかりに鳴った。
「あ。」
隆史は慌てて、席に戻った。下に落ちて、ちらばっている教科書も拾い集めた。ぶつかったと言って、ついでに机の中の教科書をばら撒いていくのだ。机の上にも、文字がたくさん書かれている。ひどいものは、油性ペンでかかれていた。
昼休み。
「玲。めしー。」
「ああ。」
隣のクラスから進がやってきた。
「君も来る?」
玲は隆史に声をかけた。
「い、いいの?」
隆史は進のほうを見つめた。
「俺は別にいいけど。」
「うん。」
隆史は嬉しそうにパンを取りにロッカーに行った。こっそりと、聞いてみた。
「なんかあったのか?他の人を誘うなんて珍しい。」
「いや、この間、ここで本を読んでいたら、深いため息をついていてね。ちょっと心配になった。死んだら、困る。」
玲も小声で答えた。
「よし、広場で食うぞ。」
そこは、広い空間があって、昔あった教室の椅子や机がそこに置かれていて、誰でも勝手に利用してもいいように置かれている場所だった。
「ど、どうも。俺、黒田 隆史。よろしく。」
「俺、林田 進。玲とは小学校からの付き合いだ。それにしても、そんなに食うのか?」
進は目を丸くした。
「う、うん。太っているせいか、お腹がすくんだ。それに、お腹が鳴ると……。」
隆史は言葉を濁した。どうやら、クラスメイトにからかわれるようだ。パンがつぶれているのが印象的だった。おそらく、誰かにつぶされたのだろう。しかし、味に問題はないようだ。隆史はパンを開けて食べ始めると、急に玲の持っている弁当を見つめて言った。
「あ、うちの弁当!」
「うちの弁当?」
「彼のうちは弁当屋だ。ほら、学校の近くにあるだろう?「あおぞら弁当」って、店だ。」
玲が言った。
「知っているの?」
「俺は毎朝、あそこで弁当を買っている。うまいんだ。親が働いているんで、弁当を作る暇はないし、学校の弁当はいまいちだからな。」
自分の家の弁当を誉められたせいか、やけにうれしそうだが、隆史は続けていった。
「で、でも、それ、「青弁当」じゃないか!先着五人までしか買えないんだよ?」
「そうなのか?」
進は初耳だったようだ。
「さぁ。」
玲も知らなかったようだ。
「え、それ、いつ買ったの?」
「今日の朝。」
「朝……。俺が起きてくる時には売り切れてるんだよ、それ。」
「ああ、新聞配達の帰りに買うんだ。」
「新聞配達……。」
「で、なんで弁当屋なのに、パンなんだ?」
進が聞いた。
「え、あ、ああ。その、家で弁当のおかずを食べてくるから、昼はパンと思って。」
「へぇ。夜は?」
「夜も、おかずなんだ。次の日まで弁当を残しておけないし。」
「やっぱり、そうなんだ。」
「う、うん。そのせいか、ちょっと油っぽい匂いがするんだけど。ごめんね。」
「ん?気にするな。から揚げとか、コロッケのせいだろう?」
そのコロッケを食べながら、玲が言った。
「うん。男性をターゲットにしているから、つい、がっちりしたメニューになりがちになるんだ。」
「おい、早く食べないと、そろそろ鳴るぞ。」
「やばい、こいつが言う時は本当に鳴るんだ。早く食え!」
「う、うん。」
三人は黙々と食べた。
「あと、三分で鳴るな。教室に戻るぞ。」
「あー、じゃ、またな。」
進は慌てて走っていった。
「ああ。」
「そういえば、林田君はクラスどこ?」
「七組だけど、次、生物室に行かなきゃいけないみたいだから。」
「ああ、それで、急いでるんだね。」
隆史は納得したようにいった。教室に戻りながら、二人は歩いていた。急に後ろから声がかかった。
「あれ、デブ、どこにいたんだよ。」
「え、えっと……。」
「俺と一緒に飯に。なにか?」
代わりに玲が返事をした。
「い、いや。」
声をかけたクラスメイトは、そのまま素通りしていった。
翌日。昼休みに、祈祷と同じ広場で進と玲の二人が仲良く、弁当を食べていた。
「休み?」
「ああ。急にな。」
「店は?」
「通常どおり、やっていた。」
玲は弁当をちょっと持ち上げて見せた。
「さぼりか?」
「かもな。いままでさぼってるのを、一度も見たことないけどな。」
「……なんか、嫌な感じがすんだけど?」
「俺もだ。彼のことを一番からかっていたやつが、殴られたような頬をしていたんだ。」
「ケンカかなぁ。」
「かもな。帰りに弁当屋によって見る。」
「俺も行く。」
「いいのか?」
「別に家に帰ってもなにかあるわけじゃないからな。」
進は肩をすくめてみせた。
外見はとても隆史に似ていて、恰幅のいい感じのおばさんがそこにいた。店のおばさん、つまり、隆史の母親は玲のことを覚えていたようだ。
「ああ、毎朝、買っていってくれるお客さん。息子と同じ学校の子だったのかい。」
「あの、隆史君は?」
「……入院してね。」
「入院?!」
自然に二人の声が大きくなった。
「ど、どうして?」
「ケンカをしたらしいんだけど、相手の人数が多くてね。たいした怪我じゃないみたいでね。ちょっと内蔵を調べるための入院だから、すぐに学校に出て行くよ。」
「どこの病院ですか?いまから見舞いがてら、行きます。」
「あら、行ってくれるの?」
「はい。」
「あ、じゃ、これお願いしても良いかしら?ちょっと店が忙しくてね。」
おばさんは荷物を渡した。ついでに病院と病室も聞いた。
「これ、渡せばいいんですね?」
「頼むね。」
「はい。」
二人はそのまま病院へと向かった。病室を覗いてみたが、いなかった。カバンを置く。
「いないな。」
「トイレか?」
「ん?ここのでっかい男の子かい?」
急に入り口から入ってきたおじさんが言った。
「はい。」
「あの子なら、上に行ったよ。」
「上?」
「ああ、エレベーターで上がっていったぞ。誰か知り合いでもいるのかもな。」
進は無意識に例のほうを見ていた。どうやら、二人して同じことが頭に浮かんだようだ。
「急げ!」
どたばたと二人は走った。
「病院の中は走らないでください。」
後ろから看護士の声が聞こえたが、気にせずに、二人は屋上に向かっていった。すると、隆史はドアの前で座り込んでいた。
「く、黒田君。」
隆史は顔を上げた。息を切らしている二人を見て、目を丸くした。
「ど、どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。入院なんかして。大丈夫か?」
「う、うん。平気。明日には出られるって。」
ほっとしたように、玲はいった。
「そうか。で、ここでなにしてるんだ?」
「え、えっと、屋上に行こうとしたら、閉まってるんだ。安全のために。」
「じゃ、病室に戻るぞ。お母さんからの荷物を持ってきたからな。」
「う、うん。」
隆史は素直に、歩き出した。病室に行くと、母親がいた。
「どこ行っていたのよ?」
「あれ?どうして?」
「おじさんが手伝いに来てくれたのよ。で、あんたが心配できたの。どう?体は。」
「うん、ちょっと足を捻挫したみたいだけど、それだけ。」
「じゃ、明日から学校にこられるな?」
玲が言った。
「捻挫じゃ、入院はできないよなぁ。」
進も言った。
「じゃ、また明日な。」
肩に手を置いた。
「う、うん。」
「よし。」
進と玲はちょっと手を上げて、病院から出て行った。
「ドア、開いてなくてよかったよな。」
ポツリと進が言った。
「ああ。飛び降りていたかもしれないよな。」
「明日、くるかな?」
「よし、明日、朝弁当買いがてら、起こして一緒に学校に行ってもいいな。」
「お。いいかも。」
二人は夕日の中を歩いていた。
一方、隆史は夕方には退院できた。
「いい友達がいるのねぇ。」
母親がぽつりと言った。
「うん。明日、一緒に弁当を食べるんだ。」
「怪我は平気なの?」
「うん。ほら、俺、おじさんに柔道、習っているから、結構頑丈だし。」
「そうね。」
母親はちょっと笑った。
隆史もちょっと笑って見せた。
怪我のことは、誰もなにも聞かなかったし、隆史も言うことはなかった。しかし、それ以来、隆史をからかう人は誰もいなくなった。




