9:業務委託
(やばいやばいやばい! 完全にやらかした、終わった、逮捕される……!!)
特務機関支給のダサいジャージ姿のまま応接室に呼び出された小春は、豪華なソファの端にちょこんと腰掛け、ガタガタと膝を震わせていた。
しがないフリーター(テスター)相手に、組織のトップである『センター長』が直々に面談を行うなど、異例中の異例だ。
(どさくさに紛れて財前さんに二百万円のふざけた請求書を送りつけたのが、詐欺未遂とか恐喝罪で立件されたんだ! 現場のバグを悪用して国家機関を脅迫した罪で、前科一犯のクソゲーマーになっちゃうんだわ……!)
パニックが限界に達した小春は、正面に座る二人の人物に向かって、まだ何も言われていないのに勢いよく頭を下げた。
「す、すみません!!! 領収書なら全部あります!!! 二百万の請求は取り下げるし、なんなら今回だけ手取り五千円にまけるんで、逮捕だけは勘弁してください……!」
「……お、おいおい、落ち着きなさい、若者よ。何も君を御用にしようというわけではないかね」
慌てて小春をなだめたのは、内閣府から出向(天下り)してきたという第二センター長、岸泉廉
高級そうなスーツを品良く着こなした、いかにも現場を、そもそもVRゲームなど経験もしたことがなさそうな「ザ・昭和の常識人」である。
その隣では、経理・予算管理担当チーフの財前玲華が、冷徹な目でタブレットを睨みつけていた。
「あ、逮捕じゃない……? じゃあ、コンプライアンス面談って?」
小春が恐る恐る顔を上げると、岸泉は小春のこれまでの滅茶苦茶なプレイログ――Tポーズでの高速移動や、サーバーを熱暴走させかけた『無限衝突』の資料を眺め、深くため息をついた。
「黒瀬くん。国家の危機……いや、我が社の極秘デバッグという栄誉ある任務に対して、時給換算だの手当の上乗せだのと、そんな情けないことを言うな! 誇りというものは無いのかね!」
小春は一瞬気圧されたが、生活費がかかっているため、すぐに不満げに口を尖らせた。
「んえ?? 誇りじゃ家賃は払えません。それに昨日、あのチーター(V)に目の前で百万円相当のデータをキルパクされて、私の労働環境を荒らされたんですよ?」
「ち、ちーたー……? 動物園から猛獣でも脱走したのかね? 空間のハッキング? バグ ? よく分からんが、そういう害虫の類なら駆除業者を呼べばいいのではないか?」
VRやゲームの仕組みを一ミリも理解していない、見事な天下りポンコツっぷりだった。
横から財前が「所長、そういう意味ではありません。不正な不正パケットを用いた空間データの改ざんです」と冷たく訂正し、岸泉は「あ、あぁ、そうなのかね。いや、最近のITは難しくてな……」と小さく咳払いをした。
岸泉は気を取り直すように、昭和の精神論が詰まった笑顔を小春に向けた。
「そこでだ、黒瀬くん。君のその……『てぃーぽーず』という不気味な特技を見込んで、我が特務機関の『正社員(正規ダイバー)』への昇格を推薦してあげよう! 安定した基本給に、社会保険も完備だ! どうかね、やりがいがあるだろう!」
「絶対嫌です」
「うぐぬう!! 秒で拒否!?」
岸泉は衝撃に目を見開いた。
「なんでいきなりそういう展開になったのか意味わかんないですし、正社員とか責任重いし、どうせ『会社のため』とか『やりがい』とか言って、サービス残業や休日出勤させられるんでしょ。現に今だって休日に呼び出されて、春日部までの交通費四百円自腹ですし、超絶ブラックじゃないですか。私は気楽なバイトがいいんです」
「えっ、あ、いや、我が社はホワイトな労働環境をだな……」
「電気代をテスターに請求する会社が、ホワイトなわけないですよね?」
「うっ……」
ド直球のブラック企業批判に、お飾り上司の岸泉は「そんなつもりでは……」と涙目でぐぬぬと黙り込んでしまう。
それを見た小春は、相手が現場の仕様を理解していないポンコツだと確信し、即座にどす黒く染まった脳みそを回転し、悪知恵へと頭を切り替えた。
「三倍など、経理として絶対に認めません!」
交渉の気配を察した財前が、先手を打ってタブレットを叩く。
しかし、小春は応接室の豪華なソファの背もたれをポンポンと叩きながら、胡散臭い笑顔で岸泉を見つめた。
「でもぉ〜、あのチーター(V)にまともに対抗できる『先行入力』ができるの、春日部じゃ私だけですよね? 私がここでバイト辞めたら、次のエリアがハッキングで崩壊して、所長さんの管理責任が問われちゃうんじゃないですか? 内閣府には戻れなくなっちゃいますよ?」
ゲーマー特有の「敵のヘイトと弱点を正確に見抜く眼」で、保身の急所を的確に突かれた。
財前が小春の失礼極まりない発言と態度に注意をするが、岸泉の顔面がみるみるうちに青ざめていく。
ここでこのイカレたクソゲーマーにバックれられたら、自分のキャリアが終わる。
「うう、胃が……」
岸泉は胸ポケットから出した胃薬をカリカリと噛み砕きながら、震える声で言った。
「財、財前くん……背に腹は代えられん……承認だ、ハンコを押しなさい……!」
「所長!? 予算が破綻します!」
「私が内閣府に戻れなくなる方が破綻だっ……! 頼むからハンコを押してくれ!!」
(……。所長……。多分あなたは一生涯戻ること出来ませんよ)
涙目で懇願する上司の姿に、財前は最大級の深いため息をつき、タブレットの承認ボタンを叩いた。
こうして、小春の要求通り、Vの絡む現場への出撃は基本報酬の三倍、さらに今日の往復交通費四百円はここで現金支給という『完全歩合制の業務委託契約』が成立した。
「交渉成立。クソゲーのバグ処理なら私に任せなさい」
「ちっ……!」
小春がドヤ顔で契約書の控えを引ったくった、その瞬間。
ウーーーッ!!
ウーーーッ!!
センター長室のスピーカーから、けたたましい緊急アラートが鳴り響いた。
『緊急警報。千葉・幕張エリアにて、大規模な次元断層の拡大を検知。空間の論理崩壊が始まっています。不正ユーザーの干渉の可能性大。付近のダイバーは直ちに出撃してください』
室内の大型モニターに、千葉エリアのリアルタイム映像が映し出される。
そこは、重力が完全に反転し、本来あるはずの空に海が広がり、ビルのグラフィックが消しゴムで消されたように引きちぎれた、地獄のようなバグ空間だった。
「ひ、ひえぇ……なんだこの世の終わりみたいな空間は……!」
岸泉が書類を抱えてガタガタと震え出す。
財前も「なんてエラーログの量……」と絶句していた。
しかし、その横で、黒瀬小春だけは目を輝かせていた。
「うわー、テクスチャの貼り忘れだらけ。最高に『時給三倍』が高そうな、ホワイトな職場じゃん!」
小春の目が、明確な円マーク(¥)に染まる。
その背中に、財前が冷酷な声を投げかけた。
「勘違いしないでくださいね、黒瀬さん。完全歩合制の業務委託ということは、労働基準法の適用外です。あの空間であなたの脳が焼き切れようが、精神崩壊しようが、労災は一切下りません。もちろん、ボスを倒せなければ給料はゼロですからね。 あとサーバーに負担や他のプレイヤーに……——」
その言葉に、小春はアサルトライフル【V-ARC】を肩に担ぎ、フッと不敵に笑ってみせた。
「はいはいはいです!! 望むところよ。私の時給を舐めないでよね」
時給三倍の超絶ホワイト(?)な戦場へ向かって、最悪のフリーランス・デバッカーが今、ダイブカプセルへと歩き出す。
「あれ、財前さん。黒瀬さん、今日シフト日じゃないですよね?? 出動させちゃってよいんですか……??」
「え、ああ……って、あの子!!」
勤務表を眺めていた職員が財前に声を掛けたが……、しかし時すでに遅し。
「あの守銭奴おおおおお!!」




