5:弟子は歩く50万円
「三万五千円……手取り、三万五千円……」
関東の地下深く。
巨大地下水路に偽装された第二センター(春日部・地下神殿バッファ)の休憩室。
パイプ椅子にだらしなく座った小春は、シャワーを浴びて着替えた特務機関支給のダサいジャージ姿で、自販機の安い缶コーヒーを両手で包み込みながら、死んだ魚のような目で虚空を見つめていた。
(くそ!! なんで会社の電気代をテスターが負担してんだよ!!)
なんとか来月の安アパートの家賃は払える。
だが、それだけだ。命懸けでバグボスを倒したのに、新作のVRハードを買う夢は、経理の財前玲華によって無残に打ち砕かれた 。
「ふん。自業自得だな、新人。神聖なる支給品を不正利用し、あまつさえ空間のサーバーに甚大な負荷をかけたのだから」
落ち込む小春の前に、私服姿の夏目勇太がコーヒー片手に現れた。
彼は小春に助けられた借りは感じつつも、誇り高き騎士道ゲーマーとして、彼女の「ゲームの根幹をバグで破壊する」戦い方がどうしても許せなかったらしい 。
「いいか。敵のモーションをしっかり見て、セオリー通りに回避し、的確に弱点を突く。それがダイバー本来の戦い方であり、最も安全で確実な――」
「はいはい、次から電気代節約しまーす」
「俺の話を聞いているのか!?」
小春は右から左へ受け流し、缶コーヒーをすする。
「お疲れ、夏目クン。相変わらず堅苦しいねー。新人ちゃん、いじめちゃダメだよ?」
そこへ、ペロリと棒付きキャンディを舐めながら、小柄な人影が近づいてきた 。
身長は百五十センチあるかないか。ダボダボのパーカーを着たその姿は、どう見ても迷子の小学生にしか見えない 。
「誰この子。見学者?」
「……失礼な。俺たちの先輩隊員であり、この第二センターでトップクラスの成績を誇る、猫山愛先輩だ」
夏目の紹介に、小春は「マジで?」という顔をした。
「それは、その……す、すみません……」
猫山は小春の隣のパイプ椅子にぴょんと飛び乗り、あぐらをかいた 。
「いやー、さっきの渋谷でのダイブ、見事だったよ! 歩行モーションの全カットからの、壁抜けからのコリジョン・ループ! あんな完璧な意図的フリーズ、RTA走者だった私でも実戦じゃなかなかキメられないよ。あんたも走ってたクチ?? ただの変態ゲーマーじゃん!」
「……いえ、私はそういうのは」
猫山の口からスラスラと飛び出すマニアックなゲーム用語に、小春の目が少しだけ輝きを取り戻す。
「でも、あんな派手なバグ技使ったら、そりゃあ運営に怒られて報酬減額されちゃうよ。電気代もサーバーのメモリもバカ食いするしね」
「うっ……。じゃあ、どうすればいいんですか。まともに戦ったら時間かかるし、面倒くさいし」
「ふふん、そこで先輩の出番ってわけ。うちらダイバーは脳への負担を減らすために厳格なシフト制だから、限られた時間でいかに効率よく稼ぐかが勝負なんだよ。財前に怒られない『エコなバグ利用』を教えてあげる」
「エコな……バグ?」
「そう! エフェクトを過剰に出すから重くなるの。だから、純粋な『物理判定のハメ』だけで完封すればいい。例えば、敵の攻撃モーションの死角になる地形のポリゴンにスライディングで挟まって、安置から一方的に殴るとかね。これならサーバー負荷も電気代もゼロ! 満額もらえるよ!」
「なるほど! アンチに怒られない『仕様の範囲内のハメ技』ってことですね。最高!」
二人のクソゲーマー同士の危険な共鳴に、夏目が頭を抱えて叫んだ。
「先輩! 新人に何を教えているんですか! それのどこが『エコ』だ! 根本的に騎士道を間違えているでしょうが!」
「なに騎士道って、夏目クンも痛いよね~~」
夏目の悲痛なツッコミを流して盛り上がる二人の背後から、突如としてやかましい声が響き渡った。
「おおおおおお!! ここにおられましたか、我が師よ!!」
バァン! と休憩室のドアが勢いよく開き、長身の若い男が飛び込んできた。
今どきの男子大学生といった風貌だが、やたらとポーズをキメたがり、目をキラキラさせて小春に突進してくる。
彼の名は桐生蓮。
最近配属されたばかりの新人ダイバーだ 。
「え、誰?」
「桐生蓮です! 先ほど渋谷での戦い、ログで拝見いたしました! あの、一切の予備動作を省いた直進移動……ッ! まさか、あの究極の古流武術『無の型』を体得されている方がいらっしゃるとは !」
「……は?」
「どうか、俺を弟子にしてください! 姐さん!! いや、 師匠 !!」
小春はドン引きした。
「……夏目さん。この中二病、誰 ?」
「俺に振るな。最近入った新人の桐生だ。アニメや漫画に影響されすぎていて、無駄にスタイリッシュな動きを好む困った奴でな…… 」
夏目がため息をつく。
(うっわ、一番関わりたくないタイプの面倒くさい奴じゃん。まだ同じ中二病でも夏目さんの方が辛うじてマシなレベル……)
小春は全力で拒絶しようと口を開きかけた。
しかし、ゲーマーとしての「観察眼」が、桐生のプレイスタイルの特徴を瞬時に分析し始める。
(いや待てよ? 安置から一方的に殴るハメ技の唯一の弱点は、ボスのターゲットがこっちに向いてハメが解除されちゃうこと。でも、こいつみたいに無駄にアクションが大きくてエフェクトを乱発する奴は、敵の『ヘイト』を一番集めやすい……! つまり、こいつが勝手に動き回って囮になってくれれば、私は安置から一歩も動かずにエコなバグ技を成立させられる!)
小春の脳内で、悪魔的な計算が弾き出された。
(つまりこいつは、放っておいても勝手に敵の注意を引いてくれる、天然の『極上デコイ(囮)』ってことじゃない! こいつを前衛に立たせて、私は安置からエコなバグ技で安全に殴る。完璧な省エネ戦法だ!)
さらに、小春の視界の端、特務機関の端末に表示されたシステムメニューが目に入った。
『新人保護特別規定:ランクの低い新人ダイバーと同伴し生還した場合、パーティー生存ボーナスに上乗せして手当を支給』
小春は素早く手元のスマホで電卓アプリを叩く。
『新人保護・パーティー生存ボーナス:計五十万円』
その文字を見た瞬間、小春の死んだ魚のような目が、円マーク(¥)に輝いた。
「いいでしょう」
小春は仏のような、胡散臭さ満点の笑顔を浮かべ、桐生の肩をガシッと抱いた。
「私の背中……いや、動きを見て、しっかり学びなさい」
「し、師匠おおおお! 一生ついていきます!!」
感動で涙ぐむ桐生。
夏目は信じられないものを見るような目で小春を見た。
「君……絶対に何か良からぬことを企んでいるな?」
その時、第二センター内にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
『緊急事態。新宿エリアにて、新たな次元断層の拡大を検知。ポップした神骸の討伐に向かってください』
新たな次元断層発生のアラートが鳴る。
小春は「ほら、出番よ桐生くん!」と桐生の首根っこを掴んでダイブカプセルへ向かう。
「待て新人! 君はさっきダイブしたばかりだ! 連続出動など脳が焼き切れるぞ!」
夏目が血相を変えて止める。
「は? 何言ってんの。稼げる(ボーナスが出る)時に連戦するのはゲーマーの基本でしょ」
「そういう問題じゃない! 規定のシフトを守れ!」
「うるさいなぁ、私の歩く五十万円が逃げちゃうでしょ! 行くわよ!」
「だから理由が生々しすぎるし、命をなんだと思っているんだ!!」




