4:コリジョン・ループと減額
「……なぜ動いているのに攻撃されない!? いや、そもそも足のモーションがないのに、どうやって前進しているんだ!?」
水没した渋谷のスクランブル交差点。
巨大な信号機観音『シグナル・アヴァターラ』の腹部が、赤信号を煌々と点灯させている。
少しでも動けば即死する『だるまさんがころんだ』の最中、エリート隊員の夏目勇太は静止姿勢を保ちながら悲鳴を上げていた。
彼の視線の先では、黒瀬小春が無表情の『Tポーズ』のまま、ツーッと不気味に水面を滑り、怪物の眼前を堂々と横切っていたのだ。
だが、極太の即死レーザーは放たれない。
「そりゃそうよ。だって私、いま『動いてない』もん」
「馬鹿な! 現に君の座標はボスの懐に急接近しているじゃないか!」
「アバターの座標が滑ってるだけで、私の入力はゼロ。さっきあんたを突き飛ばした時の『慣性』が残ってるだけ」
「は……?」
「つまりシステム上は『停止状態』なの。歩行モーションの入力判定がないんだから、このバカな信号機には私が止まってるようにしか見えないのよ」
クソゲーマー特有の、システムの裏を突いた《《屁理屈》》。
だが、この『BORDERLINE』のガバガバな物理演算エンジンにおいては、それが絶対の真理だった。
「さてと。このボス、自分自身の無駄に多い腕のポリゴン処理のせいで、モーションをスキップさせてるわけだよね」
小春はボスの足元、崩れたアスファルトの地形ポリゴンと怪物のテクスチャの隙間を見定めると、自らその接合部へと滑り込んだ。
「だったら、もっと負荷をかけて『フリーズ』させればいい」
ズブッ、と嫌なノイズ音を立てて、小春のアバターの半分が地形とボスのグラフィックの中にめり込む。
俗に言う『壁抜け』の待機状態だ。
そのまま彼女は、視界の空中にインベントリ(アイテム欄)のウィンドウを呼び出した。
「いくよ。しゃがみキャンセル、インベントリ開閉、からの――」
ガシャッ、カチャッ、ピピッ、ガシャカシャカシャカシャッ!!
めり込んだ状態の小春のアバターが、残像を残すほどの超高速で痙攣し始めた。
彼女がやっているのは、特務機関から支給された初期武装【V-ARC(可変式アサルト・レプリカ・コード)】の銃とブレードの変形と、敵の当たり判定を可視化する【AR予測バイザー】の電源ON/OFFを、一秒間に数十回という異常な速度で繰り返すことだった。
「な、何をしているんだ君は!?」
静止を強制されている夏目が、目を剥いて叫ぶ。
「そんな意味不明な挙動を繰り返して何になる! 命を預かる支給品をなんだと思っているんだ!」
「負荷用アイテム」
「……はい?」
「こういう複雑な変形エフェクトとか、ARのUIの表示切り替えって、サーバーのメモリをめっちゃ食うの」
小春の脳内コマンドは止まらない。
壁にめり込んだ不正な座標で、激しいエフェクトと装備の切り替えがスパムのように入力され続ける。
結果、システム側は「アバターを押し出す処理」と「めり込む処理」で無限の計算を強いられた。
――『コリジョン・ループ』の発生である。
「よしよし、重くなってきた。コマ送りの世界へようこそ!」
小春がニヤリと笑う。
巨大な信号機観音の無数の手が、痙攣したようにガクガクと震え出した。
赤信号の光がチカチカと明滅し、処理落ちで周囲の水しぶきが空中で完全に静止する。
『警告。サーバーに甚大な負荷を検知。処理限界を超過しています』
『メモリエラー。コリジョン判定に無限ループが発生』
ついに、ボスの巨体が「プツンッ」という気の抜けた音と共に、完全に硬直した。
『致命的なメモリーオーバーを検知。対象のオブジェクトを強制削除します』
ボスは断末魔を上げることも、大爆発の美しいエフェクトを見せることもなく、ただの粗大ゴミのようなポリゴンの破片となって、パラパラと崩れ落ちて消滅した。
残されたのは、不気味なほどの静寂と、レアドロップの概念データだけだ。
「……嘘だろ」
ガシャンッ。夏目は剣を取り落とし、力なく膝から崩れ落ちた。
あまりにも美しくない、ゲームの根幹を破壊するボスの死に様。
自分が命を懸けてきた聖戦が『処理落ち』で終わった事実に、エリートの心が完全にへし折れていた。
「こんなの……俺たちの、誇り高き戦いじゃない……ッ!」
夏目が絶望の涙を流して四つん這いになっている横で、小春はTポーズを解除してウキウキと駆け寄り、ドロップアイテムを回収した。
「よっし! 特殊個体討伐の基本報酬で百万、ギミック破壊ボーナスで五十万、そこの《《役立たず》》の生存ボーナスで二十万……計百七十万ゲット! 時給換算なら最高効率じゃん!」
頭の中で瞬時に小銭まで計算し、目を円マーク(¥)に輝かせる小春。
だがその直後、空間全体が真っ赤なエラーログに包まれた。
『警告。空間のバグ負荷が規定値を突破。安全装置が作動しました。これより全ダイバーを強制ログアウトさせます』
「えっ、ちょ、まだ奥のエリアに雑魚モブが――」
小春の抗議も虚しく、視界は強烈な光に包まれ、彼女の意識は強制的に現実世界へと引き戻された。
◇◆◇
プシュゥゥゥ……。
ダイブカプセルのハッチが開き、小春はむくりと起き上がった。
「あー、急に切断された。ま、いっか。とりあえず口座残高の確認を……」
ダイブスーツのまま、ホクホク顔でひび割れたスマホを取り出そうとしたその時。
コツ、コツ、コツ……。
薄暗いカプセルルームに、硬質なヒールの音が響いた。
見上げると、カプセルの脇に、タイトスカートのスーツをピシッと着こなした女が立っていた。
特務機関の経理・予算管理担当チーフ、財前玲華だ。
彼女は手元のタブレット端末を親の仇のように睨みつけ、眉間に深いシワを寄せている。
「お疲れ様です、黒瀬小春さん」
氷のように冷たい声だった。
「あ、どうも。運営の人? さっきの報酬、ちゃんと振り込まれますよね?」
小春がスマホを振って催促すると、財前はタブレットをバンッと叩いた。
「いいえ。あなたの異常なプレイログによる特別報酬……経理部として、絶対に承認できません」
「はぁ!? なんでよ! ちゃんとボス倒したでしょ! ルール違反はしてないはずだけど!?」
「倒し方の問題です」
財前は冷酷に告げた。
「あなたが意図的に発生させた『無限衝突』のせいで、第二センターのスーパーコンピューターが熱暴走を起こしかけました。サーバーにかかった異常な負荷と、それを冷却するための莫大な電気代……あなたの請求額百七十万を完全に上回っているんですよ」
「で、電気代……ッ!?」
「それに、支給品をスパム入力で酷使したせいでデバイスの寿命も縮みました。機材の不正使用による減点対象です」
タブレットの画面には、『報酬:百七十万円』から、『サーバー冷却費』『機材損耗費』『予期せぬエラー発生ペナルティ』が次々と引かれ、最終的な手取りが『三万五千円』と表示されていた。
「さ、さんまん……日給の五万すら割ってるじゃない!! 労基案件でしょこんなの! 私の百七十万返しなさいよおおおおお!!」
「不服なら、次からは『適正なプレイ』を心がけることですね。それでは」
絶叫する小春を完全に無視し、財前は冷酷にヒールを鳴らして去っていった。
薄暗い地下施設に、フリーターの悲痛な絶叫が響き渡る。
神の如き怪異を圧倒したクソゲーマーも、『運営の査定(天引き)』という現実の理不尽には勝てなかったのだ。
「ふざけんなクソ運営……ッ! 次は絶対に、電気代引かれないバグ見つけて満額もぎ取ってやるからなああああああ!!」




