3:彼女は野良の迷惑プレイヤー
「……湧かない。ちっ、リポップが遅すぎる」
水没した渋谷のスクランブル交差点。
小春は、ひび割れたアスファルトにTポーズのまま直立し、血走った目で周囲をギョロギョロと見渡していた。
先ほどの『特別報酬百万円』という通知が、彼女の脳を完全に作り替えていた。もはやここは恐ろしい異次元でも、静かなシェルターでもない。
一山当てれば人生が上がる、最高に効率の良い『狩り場』だ。しかもお得意のゲームと来た。
「これがあと三回続けば三百万。税金引かれても当分バイトしなくていいし、新作のVRハードも買える……。早く湧きなさいよ。私の生活費を吐き出しなさい」
システム側が検知する『エゴ』の数値だけが、カンストした計器を突き破らんばかりに振動している。その時だ。
「――そこまでだ! 無茶な真似はよせ!」
空を引き裂く轟音と共に、天から一筋のまばゆい光が降り注いだ。
光が収まると、そこには白銀の甲冑を纏った一人の騎士が立っていた。
夏目勇太。
特務機関の正規隊員であり、王道を重んじるエリートだ。
彼は剣をカチャリと鳴らし、悲壮な決意を込めて小春を指差した。
「君がさっきの新人だな!? 助けに来た! すぐにログアウトしろ、あんなバグ技みたいな動きを続ければ脳が焼き切れるぞ!」
「……え、誰? NPC??」
小春は、画面の端に映り込んだ邪魔なポップアップ広告を見るような目で夏目を一瞥した。
「ああ、ログイン時のムービーにいた人? スキップできないタイプ? 悪いけど、いまリポップ待ちで忙しいから、挨拶なら運営の掲示板にでも書いておいてくれる?」
「ムービーではない! それにNPCでもない! 俺は第二センター所属、正規隊員の夏目だ!」
完全に無視された夏目は、顔を赤くして叫んだ。
「君の戦闘ログは見た! 歩行の省略に、障害物の貫通……! 死にたいのか! それに神聖なる戦場で、あんな騎士道の欠片もない卑怯な戦い方――」
「戦場? ここ、日給五万のデバッグバイトですけど」
小春は平然と言い放つ。
「卑怯とか卑怯じゃないとか、そんなのアクションゲームの評価に関係ないでしょ。死なずに倒せばそれが正解。運営が修正してないなら、それは『仕様』なの」
「言葉を慎め! この世界は、君のような遊び半分な人間が弄んでいいものではないんだ!」
夏目が熱弁を振るおうとした、その瞬間。
渋谷の空に巨大な「ノイズの亀裂」が走った。
ズズ、ズズズ……ッ!
空間が激しくカクつき、ビル影から新たな絶望が這り出してくる。
千手観音の胴体に、歩行者用信号機が埋め込まれたような冒涜的なデザインの神骸。
『――警告。特殊個体を検知。当該個体との戦闘において、特定の行動ルールを厳守してください』
システムのアラートが響く。
同時に、小春と夏目の足元に「赤い境界線」が引かれた。
「ルール……? ギミックボスか、めんどくさい」
小春が嫌そうに顔をしかめる。
一方、夏目はキリリと剣を構え、騎士の風格を漂わせた。
「ふん、セオリー通りの特殊戦闘だ。いいか新人、正規隊員の戦い方をよく見ていろ。あの腹部のレンズが『青』の時は攻撃チャンス、『赤』の時は――」
カチリ。信号機観音の腹部が真っ赤に発光した。
いわゆる「だるまさんがころんだ」だ。
赤信号の間にわずかでも動けば、即死の制裁が下る。
「動くな! 判定が消えるまで、呼吸すら止めるんだ!」
夏目は完璧な静止姿勢をとった。
システム上の微細な入力すら遮断する、まさにエリートの鑑。
しかし、ここは『BORDERLINE』。バグを内包した崩壊寸前のクソゲー世界だ。
神骸の内部処理が過負荷を起こし、アニメーションのフレームが数十枚単位でスキップした。
本来あるはずの「青に変わる予備動作」をすっ飛ばし、極太の破壊レーザーが無数の腕から夏目へ向けて放たれた。
「なっ……!? まだ赤信号のままだぞ!? 判定の切り替わりが――速すぎる!!」
回避不可能のゼロフレーム攻撃。死を覚悟した夏目の目に、白光の渦が迫る。
「あー、やっぱり。エフェクトと実際の当たり判定がズレてるわ、このボス」
無機質な、どこか眠たげな声が耳元で響いた。
突如、夏目の目の前を「Tポーズ」の残像が横切った。
ズザザザザザッ!!
小春は、直進移動の慣性を残したまま、夏目の体を物理的にタックルして弾き飛ばした。
直後、彼女がいた場所を極太のレーザーが焼き払う。
だが、小春の体は再び砂嵐のようなノイズに変換され、レーザーを紙一重で――というより、座標ごと透過してやり過ごしていた。
「あ、危ない……死ぬかと思った……」
転がった夏目が、呆然と小春を見上げる。
「君……いま、俺を助け……? それに今のレーザー、どうやって……」
「見た目のエフェクトだけ先行してて、実際の『当たり判定の赤エリア』が出るのはコンマ数秒遅れてたからね。私の『入力遅延』でズラせば余裕でスカせる仕様なのよ」
転がった夏目が、呆然と小春を見上げる。
「あんたがこのエリアに入ってきた瞬間、視界に『パーティー自動結成』のUIが出たのよ。で、そこに『生存ボーナス:二十万円』って書いてあった」
「……」
「二十万よ? 分かってる? コンビニのバイト二百時間分よ。私のボーナスを減らすなんて、絶対に許さないから」
「……理由が生々しすぎるんだよ!!」
夏目の悲鳴のようなツッコミが、水没した渋谷に響き渡った。
「いい? 夏目とか言ったっけ。あんたはそこで大人しく『ポーズ(一時停止)』してなさい。このクソ仕様の信号機、私がバグらせて強制終了してくるから」
小春の瞳に、強欲とゲーマー特有の冷徹な光が宿る。




