32:デスワープと理論値の破壊
「きゃははははは!! いくわよ~~!!!」
一切の防御をドブに投げ捨て、幾何学的な多面体で構成されたボスの巨体に向かって、小春は全力でダッシュした。
結晶の隙間から放たれるのは、かすっただけでアバターを一撃大破させる超高威力の範囲レーザーだ。
直撃コースをそのまま突き進む小春の身体を、まばゆい熱線が完全に消し飛ばす
――その直前だった。
ピキィィィンッ!
『――不整合を検知。データを正常な初期位置へとロールバックします――』
事務的なシステム音声と同時に青い光の格子が走り、小春の視界が一瞬だけ暗転する。次の瞬間、彼女の身体はダメージを受ける前の無傷な状態のまま、戦闘開始時の立ち位置へと強制的にワープさせられていた。
「よし、ノーダメージ! ってことは、戻される直前の数フレームだけ、攻撃判定が残るってことよね!」
小春はワープした瞬間に息を整えることもなく、再びボスへ向かって猛ダッシュを開始した。
結晶の多面体が次のなぎ払い攻撃を繰り出す瞬間、その懐へ飛び込み、【V-ARC】のブレードをペチッと一枚の結晶へ叩き込む。
そして直後、ボスの反撃がアバターのHPを削る寸前に、再び『不当な座標エラー』を検知したスーパーコンピュータの安全装置が作動した。
バチン、と視界が弾け、小春は再び無傷で初期位置へと巻き戻される。
「突撃! ペチッ! ワープ! はい即突撃!!」
死んでは戻り、死んでは戻る。
システムの自動修正機能のロジックを最悪の形で逆利用した、完全無敵のゾンビアタック(デスワープ)の敢行だった。
「な、何なんだあの狂気は……。安全装置のロールバックを、ノーリスクの死に戻り(デスワープ)として戦闘チャートに組み込んでいるというのか……!?」
監視窓の向こうから見下ろす監査官が、常識を遥か彼方まで置き去りにしたクソゲーマー理論に戦慄の声を上げた。
引率役の夏目も、信じられないものを見る目でその場に硬直している。
だが、この最悪の屁理屈ゾンビプレイには、致命的な落とし穴が存在した。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……っ! ちょっと、これ、移動の手間がかかりすぎて時給効率が絶望的に悪すぎるんだけど!!」
バグによる歩行モーション省略(Tポーズ滑り)を封じられているため、小春は初期位置に戻されるたびに、自分の生身の足(運動不足の二十二歳女性)で毎回ボスまで全力疾走しなければならなかった。
ペチッと一発小突いては初期位置に強制送還され、また重い剣を抱えてゼェゼェと言いながら走り直す。与えるダメージは微々たるものなのに、肉体的な疲労だけが秒単位で蓄積していく。さらに最悪なのは、前線で戦う仲間たちへの影響だった。
「おい小春、不規則に消えたり現れたりするな! お前の不条理な座標エラーのせいで、ボスの感知ルーチン(ヘイト)の乱数がめちゃくちゃに狂い始めてるぞ!」
夏目が無意識に胃の辺りを押さえながら、大盾を構えて悲鳴を上げた。
ボスの結晶多面体が、小春がデスワープを繰り返すたびにターゲットを急激に切り替え、予備動作を完全に無視した妙なタイミングで大技を周囲に撒き散らし始めたのだ。
「師匠、駄目です! ボスの向きがガタガタにブレて、予測線(光のライン)が完全にバグってます! 正規のエイムが全く定まりませんっ!」
「我が古流の型も、これでは間合いが測れん……!」
シオンが狙撃銃を構えたまま引き金を引けずに立ち往生し、桐生も不規則に飛んでくる結晶の破片を躱すだけで手一杯になり、完璧だったつくばの攻略フォーメーションが一気に崩壊しかけていく。戦場は、一人の地雷プレイヤーのせいで最悪の混沌に陥っていた。
「――計算を乱すな、春日部のイレギュラー」
その時、前線の混乱を完全に切り裂くような、機械のように感情を排した声が響いた。 第一センターのトップエース、九条だった。
彼は、小春の無茶なデスワープによって陣形が崩れていく状況に苛立つどころか、手元の透過デバイスの画面を驚異的な速度でフリックし、つくばのスーパーコンピュータをフル稼働させていた。
「なっ、九条さん、何をする気ですか!?」
夏目が叫ぶ。九条の銀縁眼鏡の奥の瞳が、膨大な文字列のログを反射して青く輝いた。
「彼女の巻き戻しによって生じるボスの不規則な感知バグ、および座標移動の乱数。そのすべてを『既知の変数』として今、リアルタイムで再計算(パッチ適用)しました。――乱数調整、完了です。最適化ルート、再構築完了しました」
九条が淡々と告げた瞬間、純白の床の上に、小春の残像やボスの奇行を完全に先読みした新たな【最適化ルート(光のライン)】が、幾何学的な光の軌道となって美しく浮かび上がった。
「あなたはただの、予測可能な『不規則なヘイト稼ぎの置物』に過ぎない」
九条の身体が動いた。小春が「ハァ、ハァ」と死にそうな息の下で、初期位置からボスへ向かって泥臭く走っている、まさにその横を、九条は一ミリの狂いもなく光のラインの上を滑るように疾走していった。
小春がボスに突撃して消え去る瞬間の隙、ボスのヘイトが小春の消失によって一フレームだけ宙に浮くその『死角』を完璧に突く。
九条は、一フレームの無駄も、一ドットのエイムのブレも存在しない。まるで映像を早送りしているかのような、人間離れした『最適化された理論値の連続攻撃』を、結晶の継ぎ目へ向けて淡々と叩き込んでいった。
ドガガガガガガガガバキィィィンッ!!!
小春がゼェゼェと喉を鳴らし、再びデスワープで初期位置に戻されて白目を剥きかけている間に、九条は一切のラグを許さない圧倒的な『理論値のプレイスキル』によって、ボスの巨大なHPゲージの残りを一瞬にして消し飛ばしてしまった。
断魔の光を放ちながら、幾何学的な結晶構造の神骸が、綺麗なポリゴンとなって美しく砕け散っていく。完全なる、圧倒的なまでの秒殺・討伐だった。
「ふぅ……。これが第一センターの『理論値』です。バグなどという泥臭い小細工は、ただ美しくない」
九条は乱れた髪一つない涼しい顔で大太刀を収めると、ボスが落とした最高級のレアドロップ(概念データ)の輝きを、手元のデバイスでスマートに回収した。
あまりの格の違い、正攻法のガチ勢による徹底的な蹂躙に、夏目たち春日部班の面々は言葉を失うしかなかった。
一方、ふくらはぎを激痛に震わせ、床に両膝を突いていた小春は、ボスが完全に消滅した光景を見て、慌てて懐のデバイスを引っ掴んだ。
「は、はあ!? ちょっと待ちなさいよ! 私の討伐手当は!? 時給五倍の成果報酬のリザルト画面はどこにいったのよ!?」
画面を血眼になってスクロールする小春の頭上へ、ホログラムの監視窓から監査官の事務的な声が、無慈悲に突き刺さった。
「黒瀬テスター。今回の討伐における、あなたのログをスーパーコンピュータで精査しました。結果、あなたの与えた総ダメージ量は全体の『零・一%』未満。あなたはただ無駄に特攻しては戻されていただけで、討伐への貢献度は実質ゼロです。よって、事前の規約通り、今回のインセンティブおよび出張手当は――『天引き相殺により、¥0』とさせていただきます」
「――¥0……っ!? ちょっと待って、じゃあ私が何十往復も走らされたこの筋肉痛は!? っていうか、電車代(交通費)も全額自腹ってことぉぉ!?」
画面に非情に表示されたゼロの並びと、残酷な現実を前に、小春の顔から本当にすべての血の気が引いた。
バグが一切使えないガチの環境。そこでは、自分の小細工などエリートの圧倒的な計算力の前にただのデコイとして利用され、手柄を百%横取りされてタダ働きに終わる――それこそが、つくばの第一センターが隠し持っていた、クソゲーマーにとっての『真の地獄』だったのだ。
時給五倍の甘い蜜に釣られ、自ら最悪の強制労働空間へサインして飛び込んでしまった強欲フリーターが、絶望のあまり白目を剥いて床の白磁を掻きむしり始める、最悪の因果応報の結末を迎えて――。




