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Tポーズの女神様   作者: 水色蛍
地方出張とハッカー組織『V』の暗躍
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31/36

31:最適化空間とつくばの地獄

「美しい……。素晴らしいな、これぞ特務機関が誇る本来の最前線、防衛ラインの真の姿だ」


 ダイブの暗転が明けた瞬間、夏目は周囲の景色を見渡して、心底から震えるような感嘆の声を漏らした。


 茨城県つくば市・第一センターの本庁直轄防衛エリア。


 地平線の彼方まで遮るものなく広がる、塵一つ落ちていない純白の論理空間。

 最新の量子スーパーコンピュータの演算能力によって完璧にレンダリングされた世界は、空気の粒子や光の屈折にいたるまで、現実以上にリアルな超美麗VR空間として構築されていた。


 夏目は感動に浸りながらも、ふと後ろを振り返り、重いため息をついた。  


 そこには、ジャージ姿で吐き気を堪えている業務委託の黒瀬小春。

 親の借金で裏バイト(アンバサダー契約)をさせられている未成年の星野シオン。

 そして、《《ただの新人アルバイト》》である中二病の桐生蓮の三人が並んでいた。


(なぜ俺のようなエリート正規隊員が、この『春日部・非正規問題児班』の引率など……。いや、正社員(リーダー)である以上、現場のバイトや業務委託を管理・監督するのは当然の義務だが……)


 夏目は無意識に胃の辺りを押さえた。

 本来、特務機関のダイバーはシフト制で毎回ランダムにパーティが組まれる。


 だが、小春という「予算を一瞬で食い潰す劇薬」が現れて以降、上層部(財前たち)は彼女の監視役として、最も真面目で勤務態度もよい正社員である夏目を専属のストッパーに任命したのだ。


 さらに、未成年保護の名目でシオンの管理を押し付けられ、極上デコイとして小春が勝手に桐生を囲い込んだ結果、現在の「正規雇用者一名+ヤバい非正規三名」という、労災認定も下りない中間管理職の地獄のようなチーム(連帯責任班)が固定化されてしまっていた。


「う、わ……。何これ、まじで最悪……。大作VRゲームのやりすぎでゲロを吐きかけた、あの暗黒期の記憶がフラッシュバックして吐き気がするんだけど……」


 完璧すぎる最適化空間に降り立った小春は、アバターの胸元を強く掴んでしゃがみ込んでいた。


 完璧な物理演算、完璧な人間関係、リアルな接客。かつてバイト生活と並行してプレイし、小春の精神をすり減らさせた『リアルすぎる大作ゲーム』の息苦しさが、この空間には満ち満ちていた。


 バグだらけのクソゲー特有の「圧倒的な偽物感」にしか安堵を見出せない小春にとって、ここは立っているだけで窒息しそうな生き地獄だった。


 その時、純白の床を割り、空間の奥底から幾何学的な結晶構造を持った神骸が姿を現した。巨大な多面体が複雑に組み合わさり、一分の狂いもないモーションで規則的に回転している。


「よし、ササッとハメて、時給五倍だけむしり取って即退勤よ!」


 小春は無理やり立ち上がると、懐から自作デバイスを引っ掴み、いつものように歩行モーションを根こそぎ省略して高速移動する『Tポーズ滑り』のコマンドを先行入力した。


 両腕を水平に広げ、滑るようにボスのテクスチャの隙間へめり込もうとする。  

 だが。小春のアバターが床を滑り出した、まさにその一ミリ秒後だった。


 ピキィィィンッ!


 空間全体に冷酷な警告音が鳴り響き、アバターの全身が不気味な青い光の格子に包まれた。


『――警告。物理演算の不整合(例外エラー)を検知。システム管理規約に基づき、アバターの座標データを正常な初期位置へとロールバックします――』


「……へ?」


 視界が不自然に暗転したかと思った瞬間、小春の身体は、滑り出す前の「元の立ち位置」へと完全に巻き戻されていた。


「嘘でしょ!? じゃあ、壁抜けは!?」


 小春は焦り、近くにある論理障壁の壁に向かってスライディングの入力を叩きつけた。


 だが、壁のポリゴンに爪先がめり込んだ瞬間に、再び『不当なめり込み判定を検知』とアナウンスが響き、バチンッと物理的に弾き飛ばされて初期位置へ引き戻される。


「フハハハハ! 言ったでしょう、黒瀬テスター!」


 頭上のホログラムウィンドウから、つくばの統括監査官が、眼鏡の奥の瞳を最高に愉悦に染め上げて見下ろしていた。


「本庁のスーパーコンピュータは、システム内のあらゆる挙動をミリ秒単位で監視している。あなたが春日部や鹿島で行ってきたような、例外エラーの悪用――『バグ技』など、発生した瞬間に検知され、一フレームで無傷の過去へと巻き戻されるのです! ここはあなたの小細工が一切通用しない、完全無欠の『論理の檻』なんですよ!」


 監査官の高笑いが響き渡る中、小春はその場にペタンとへたり込んだ。  


 バグによるモーション省略も、位置判定の悪用も使えない。

 そうなった瞬間に、小春のアバターのスペックは、ただの運動不足で剣もまともに振れない「二十二歳の底辺フリーター」そのものへと退化していた。


「ちょっと……! 普通に歩行モーション再生して走るだけで、ふくらはぎがパンパンになるんだけど! 労働環境が悪すぎるわよ、この本庁!!」


「おい小春、何をサボっているんだ! ボスが来るぞ!」


 息を切らして完全に足手まといと化した小春を尻目に、夏目が大盾を構えて前線へ飛び出していく。バグが完全に封殺されたこの空間において、夏目の放つ『マニュアル通りの正規の騎士道プレイ』は、百%の精度で機能していた。


「シオン、桐生、正規のフォーメーションに合わせろ! 仕様通りの正しい攻略チャートを実行する!」


「了解です! 物理演算が素直だから、私の正規のエイムが百%通ります!」


 シオンが天才的なプロの腕前でボスの弱点を正確に射抜き、桐生も「これぞ正統なる武術の舞台!」と大喜びで敵の攻撃を引き受ける。


 バグなしのガチ環境は、彼らにとっては自らの純粋なプレイヤースキルが百%発揮できる最高の舞台だった。


「フッ。春日部の非正規ども、なかなかやりますね。だが、」


 夏目たちが華麗に戦っている前線へ、へたり込む小春たちの頭上を飛び越え、一人の男が躍り出た。


 銀縁眼鏡をかけ、最新鋭の論理兵装を隙なく着こなした長身のダイバー。

 第一センター(つくば)のトップエース、九条慧だった。


「九条さん……! 本庁のトップランカー直々に出張るとは」


 夏目が驚く中、九条は手元のデバイスで空間の演算データを展開した。

 彼の視界には、スーパーコンピュータが弾き出した「ボスの攻撃を完璧に回避し、弱点を突くための最適化ルート」が、光のラインとなって可視化されている。  


 九条はその光のラインの上を、一ミリの狂いもなく正確になぞって滑らかに移動し、ボスの結晶の継ぎ目へ的確にビームを叩き込んでいく。


 まるでツールに操作をアシストされているかのような完璧なプレイスタイルだ。


「春日部の旧式ダイバーは動きに無駄が多い。最適化ルートから三フレーム遅れていますよ。この空間は、私のように理論値(最適解)を叩き出せる者だけが支配できるのですよ」


 九条がマウントを取りながら美しくボスの体力を削っていく。


 小春と仲間たちの残酷なまでの対比。純白の床の上で『ただの足手まとい』と化した小春を見つめ、監査官の透過タブレットを持つ指先が、冷酷なスクロールを走らせた。


「黒瀬テスター。見ての通り、バグしか取り柄のないあなたのような害悪は、我が第一センターにおいては完全なる無用の長物、ただの時給泥棒です。よって、事前の通告通り、時給五倍の特別出張契約は、この討伐の完了をもって『即時打ち切り(クビ)』とさせていただきます」


「――契約、打ち切り……?」


 その言葉が、へたり込んでいた小春の鼓膜に触れた瞬間。  

 小春の脳内で、時給五倍、交通費全額支給、最新ゲーム機三台分という莫大な札束の幻影が、ガラガラと音を立てて崩壊していくイメージが広がった。


 クビ。それは、強欲なフリーターにとって、神骸の即死攻撃よりも恐ろしい、絶対的な死刑宣告だった。


 その瞬間、絶望に染まりかけていた小春の眼球の裏側が、凄まじい執念の炎(¥)で一気に燃え上がった。生存本能が致死レベルまで跳ね上がり、ゲーマー脳の歯車が狂った速度で高速回転を始める。


(待ちなさいよ。システムが完璧で、異常を検知したら『即座に無傷の初期位置へ戻す』仕様……? 一フレームの狂いもなく、どんなエラーも過去へ巻き戻す……?)


 小春は、自分の爪をガリリと噛み砕きながら、つくばのスーパーコンピュータが誇る『鉄壁の自動修正機能(ロールバック)』のロジックを、その歪んだクソゲーマー理論のフィルターに通して再計算した。

 そして。彼女の脳内で、最悪の逆転の発想(屁理屈)がカチリと噛み合った。


「……なぁんだ。そういうことじゃない」

「黒瀬さん? ショックのあまり頭の処理落ちでも起こしましたか?」


 監査官が哀れむように問いかける。だが、小春はゆらりと立ち上がると、その顔に、この完璧な論理空間で最も不釣り合いな、あまりにも泥臭く邪悪な笑みを浮かべてみせた。


「監査官さん。あんたさっき、どんなエラーを起こしても『無傷の初期位置に戻す』って言ったわよね? ってことは、それって――どんなに無茶な特攻をして死にかけても、システム側が一瞬で安全地帯へノーダメージでデスワープさせてくれる、究極の過保護機能(安全仕様)じゃないのよ!!」


「は……? 何を言って――」


「バグが出ないなら、そのバグ修正機能そのものをハメ技のパーツとして使い倒してやるわよ! 夏目さん、盾なんか捨てて突撃しなさい! このゲーム、システムが過保護すぎて、絶対に死ねないクソ仕様よぉぉぉ!!」


 小春は【V-ARC】を構えると、一切の防御を、プレイヤーとしての常識を完全にドブに投げ捨て、幾何学的なボスの巨体に向けて、狂ったようにノーガードでの全力疾走(自滅特攻)を開始した。


「きゃははははは!! いくわよ~~!!!」


 最強の自動修正機能(バグ消し)を逆手に取った、クソゲーマーによる最悪のシステム悪用。その予測不能な狂気の幕開けに、完璧な計算で戦っていた九条の銀縁眼鏡が大きく歪んで――。

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