29:つくばの論理とバグの共鳴
「――つまり、あなたという存在は、我が特務機関の歴史において最もコストパフォーマンスの悪い負債なのです」
お札のテクスチャが空を乱舞する、鹿島・第三センターの新たな防衛エリア。
ダイブを強制され、再び境界線のバグマップへと降り立った小春の耳に、感情の温度を一切感じさせない合成音声が届いた。
視界の右側には、つくばの第一センターから『監視役』として同行してきた統括監査官のアバターが浮遊している。
その身に纏っているのは、幾何学的な光のラインが走る最新鋭の論理兵装だ。
開発班が予算を惜しみなく注ぎ込んだチート級の正規装備であり、小春のヨレヨレの初期ジャージアバターとは文字通り雲泥の差があった。
小春は懐の自作デバイスの画面に表示された『借金残高:二百万円』の文字を睨みつけ、爪で画面をカリカリと苛立たしげに引っ掻きながら、監査官へ言い放った。
「あのさぁ、監査官さん。ぶっちゃけ、よくわかんないけど世界が滅ぶよりは、私がどんなバグを使ってでもボスをハメ殺してクリアした方がマシでしょ? なんでそんなに私の不正アクセス(ハメ技)にケチばっかりつけるわけ?」
「……。悔しながら同感です。手段を選んでいる状況ではないはずだ」
夏目が大盾の重量バランスを調整しながら同意する。
しかし、つくばの国家エリートは、ホログラムの監視窓の向こうから、ゴミを見るような目で二人を見下ろした。
「我々内閣府本部の目的は、属人的な『奇跡』で世界を救うことではありません。『誰もがマニュアル通りに安全に世界を救える、完璧で最適化された防衛システムの構築』です。黒瀬テスター、あなたのバグ利用は他の隊員に再現性がなく、何よりシステムに多大な負荷と損害(機材損耗費)を与える。国家予算が動いている以上、承認プロセスのないエラー討伐など、組織から見れば『ただのテロ行為(害悪)』に等しいのですよ」
「はぁ? クソゲーに完璧なシステムなんかあるわけないでしょ。マニュアル通りにしか動けない、頭のカチカチな高難易度NPCね、あんた」
小春は大きなため息をつくと、地面に落ちていた石ころのポリゴンを蹴り飛ばした。
国家のコンプライアンスだか何だか知らないが、自分の初回ボーナスをキルパクして借金を背負わせた張本人の正論など、鬱陶しいことこの上ない。
その時、波打つブロックノイズの地面を突き破り、新たな神骸が咆哮を上げて出現した。巨大な車輪に、青白い炎のグラフィックが絡みついた、見るからに攻撃判定の大きい怪異だ。
「ならば見せてあげましょう」
監査官が最新の論理兵装の輝きを放ち、一歩前に出る。
「つくばのスーパーコンピュータが弾き出した、バグなど必要としない『完全無欠の最適化ルート(仕様通りの正しい攻略法)』を」
豪語するや否や、監査官は目にも留まらぬ流麗な動作で前線へと躍り出た。
その動きには、一切の無駄がない。
神骸が放つ車輪の回転突撃に対し、監査官は敵の攻撃範囲(当たり判定)をコンマ一秒、座標の一ドット単位まで正確に先読みし、美しい前転回避で完全に躱してみせた。
「す、凄い……。これが本庁のエースか。バグの隙間を狙うような奇行じゃない、完璧な正規の立ち回りだ」
夏目が思わず感嘆の声を漏らす。
シオンも「エイムの軸が一切ブレてない。開発者が想定した通りの、最も美しい模範解答です」と驚いている。
だが、そんなエリートのプレイを見て、桐生だけは腕を組み、鼻を鳴らした。
「フン……。無駄がないだけのマニュアル機動。あんなものは武術ではない。やはり我が師匠の『無の型(Tポーズ)』こそが至高……!」
一方の小春は、爪を噛みながら死んだ魚の目で監査官の動きを分析していた。
(あんなフレーム単位でガチガチに計算したチャート、乱数やラグが一つ発生した瞬間に全部破綻するのに。RTAエアプね、あのエリート)
監査官は、仕様通りの正しい攻略法を体現しながら、最新鋭の論理兵装から放たれるビームをボスの弱点へと的確に叩き込んでいく。
ボスのHPゲージは、計算された通りの美しい速度でゴリゴリと削られ、残り僅かとなった。
「見ましたか。これぞ『論理』による勝利です。不当なバグなど――」
監査官が勝利を確信し、大太刀を構えたその瞬間だった。
バグマップの空間に、突如として不快なエラーポップアップが大量に発生した。
(あーあ……。きっと春日部のあの寝不足プランナーが、徹夜の突貫工事で仕込んだ粗悪な対策パッチの弊害だろうね)
小春が呆れ半分で推測した通り、インディーゲームあるあるの『クソゲー特有の理不尽な仕様』が、最悪のタイミングで発動した。
ボスの車輪が、不自然にガクガクと痙攣した。
次の瞬間、ボスの周囲に炎のエフェクトが発生する『三秒前』に、なぜか少し離れた位置にいた監査官の身体が炎に包まれて大爆発した。
「なっ……、ぐはぁ!? なんだ、このダメージは!? 攻撃エフェクトはまだ発生していないぞ!?」
「攻撃判定がエフェクトより数秒早く発生する、クソゲー定番の『判定詐欺バグ(仕様)』ね」
小春が冷ややかに呟く。
しかし、理不尽はそれだけに留まらなかった。
ボスの車輪が、本来設定されているはずの移動モーションのアニメーションを完全に『スキップ』し、瞬間移動するように監査官の座標の真ん前へとワープしてきたのだ。
「なっ、バカな!? モーションが消失した!? 計算にないぞ! 当たり判定の位置がおかしい! 規定のフレームレートと違う! なぜシステムが仕様通りに動かないんだぁぁぁ!!」
つくばの理論派エリートは、想定外すぎるクソ仕様の前に完全にパニックに陥った。
スーパーコンピュータの弾き出した「正しい計算」が、粗悪なパッチの現実の前に粉々に粉砕されていく。
逃げることも防ぐこともできず、監査官のアバターは、ボスの理不尽な連続突撃をまともに喰らい、空中で何度もお手玉のように跳ね上げられ、最後は処理落ちしたポリゴンの残骸のように地面のノイズの上へと叩きつけられて転がった。最新鋭の論理兵装が、火花を散らしてショートしている。
「う、あ……、バ、バグ……、エラーが……」
地面に這いつくばる監査官の横で、夏目は胃の辺りを無意識に押さえていた。
スーパーコンピュータの計算すら粉砕する理不尽な仕様。
それを目の当たりにし、「俺たちが信じてきた正攻法とは、一体……」と、エリートとしてのアイデンティティをへし折られていたのだ。
そんな絶望の空間の中、痙攣する監査官の目の前に影が伸びた。
見上げれば、そこには両腕を左右に水平に広げた『Tポーズ』の姿勢のまま、一切の歩行モーションを計算させずに、床の上をサーフボードのようにカクカクと滑り込んできた小春の姿があった。
彼女は決してエリートを助けに来たわけではない。「こいつに恩を売って、借金二百万をチャラにさせる(あるいは機材修理代を押し付ける)」という、極めて強欲でブラックな算段が弾き出された結果の乱入だった。
「ほら言ったでしょ。このゲームの仕様自体が最初から破綻してんだから、真っ当にプレイする方がバカなのよ」
小春は【V-ARC】を高周波ブレードへと変形させ、激しく点滅するボスのオブジェクトの隙間へと、アバターを強引にめり込ませ始めた。
「システムが完璧じゃないなら、こっちもエラーで返すしかないでしょ。見ときなさい、これがいま一番『コスパの良い』攻略法(ハメ技)よ!」
手取り一千万を奪われ、二百万の借金を背負わされたフリーターの、『私の残業代を返せ』という純度百%の殺意が、ハメ技の先行入力の輝きとなってブレードに宿り始め――。




