27:描画領域オフと盲目の狙撃手
ガガガガガ、ピ、ピピピピピピピピピィィィンッ!!!
視界のすべてが、猛烈な速度で増殖する真っ白なお札のポリゴンによって埋め尽くされていく。
ピエロのマスクを被った未知のチーターが走らせた不正マクロは、ただでさえ過負荷だった鹿島サーバーのグラフィック処理能力を完全に飽和させていた。
数万枚に及ぶお札オブジェクトが画面内を隙間なく埋め尽くし、小春たちのダイブギアは極限のフリーズ状態に陥る。
フレームレートは一桁にまで叩き落とされ、アバターの動きは完全にコマ送りとなった。
「あ……、あ、ああ……っ」
ずっと後方から狙撃を続けていたシオンの身体が、恐怖でガタガタと激しく震え始めた。アサルトライフルを握る細い両手が完全に硬直していく。
ピエロのアバターに刻まれた、あの邪悪なハッカー組織のエンブレム。
それは、かつて彼女が人生のすべてを懸けて挑み、血のにじむような努力でたどり着いた公式世界大会の決勝戦を、無敵チートという薄汚い手段でめちゃくちゃに破壊して潰した悪魔たちの印だった。
どんなに練習しても、どれだけエイムを極めても、理不尽なツールの前には無力――脳裏に蘇る最悪のトラウマに、十四歳の少女の心は完全に押し潰されかけていた。
だが。そんな弟子の深刻なる心のケガなど一ミリも考慮せず、パーティの先頭で大マジギレしている人間が約一名いた。
「ちょっとおおお!! あと一ミリでボスのHPを削り切れるのよ!? 私の初回限定インセンティブ二重取りっていう最高のリザルト画面を、こんなクソマクロのフリーズで邪魔しないでくれる!?」
彼女の怒りの沸点は、世界の危機でも弟子の悲痛な過去でもなかった。
純度百%、己のボーナスに対する、ただの利益妨害へのマジギレ。
そこにはヒロイズムの欠片もない。
「グラフィックの異常な処理落ちでダイブギアがクラッシュしそうなら……、グラフィックなんか描画しなければいいのよ!」
小春はコマ送りの腕を無理やり動かし、懐の自作デバイスの裏コマンドを先行入力で叩いた。
自分たちのダイブギアが受信している『視覚データ描画機能』の回路を、不正パケットによって内側から強引に遮断する。
フッ、と電子音が消え、四人の視界は一瞬にして完全なる漆黒へと転じた。
「うわあああ!? な、何だ、急に画面が真っ暗になったぞ!? 視覚が消失した!」
暗闇の中で夏目が大パニックの悲鳴を上げる。
だが、視界がお札のグラフィックで窒息しかけていた最悪の処理負荷がゼロになった瞬間、アバターの『操作ラグ(入力遅延)』だけは、嘘のように完璧に解消されていた。
「よし、入力遅延ゼロ。これでぬるぬる動けるわね」
「確かに動けるようにはなったが、完全に盲目じゃないか! ボスどころか敵の位置すら一ミリも分からないぞ! おい小春! いくら処理が重いからって、命懸けの戦闘の真っ最中にモニタの電源を切ってゲームをする馬鹿が、この世のどこにいるんだぁぁぁ!!」
夏目が闇の奥で、プレイヤーとしての――いや、常識ある大人としてのド正論を叫ぶが、小春はそんなツッコミを華麗に一蹴し、隣でガタガタと震えているシオンの肩を強引につかみ寄せた。
「シオンちゃん。あんた、FPSの元世界ランカーのプロゲーマーでしょ。目が見えなくても、敵の足音と環境音の3Dオーディオだけで、敵の頭を正確に撃ち抜くくらいできるわよね?」
「え……? で、でも、あのピエロは、私の人生をめちゃくちゃにした組織のチーターで……。私、怖くて、もう手が……っ」
「あんたの過去のちゃちいトラウマなんか知ったこっちゃないわよ」
小春の死んだ魚の目が、暗闇の向こうでシオンを冷酷に射抜いた。
同情も、優しさも、慰めもない、あまりにも自分勝手で、だからこそブレない俗物の言葉だった。
「親の借金を返すために、この《《裏バイト》》やっているんでしょ? だったら泣いてる暇なんてないでしょ。チーターなんて、ただの営業妨害の障害物よ。プロの意地を見せて、さっさとハメ技のガイド(ソナー)になりなさい!! あなたはナンバーワンランカーでしょ!!」
「――ッ!」
どこまでも徹底された小春の強欲さと生々しい俗物感こそが、シオンを縛り付けていた恐怖の呪縛を、一瞬にして綺麗に吹き飛ばしたのだ。
(……そうだよ。何がトラウマだよ。目の前のクソ師匠のほうが、あのハッカー組織より何倍も理不尽で、強欲で、汚くて、タチが悪いじゃないですか……!)
恐怖よりも、呆れと怒りが勝った。シオンの瞳に、ゲーマーとしての凄まじいキレ(意地)が戻ってくる。
「……やってやりますよクソ師匠!! 耳を澄ませば、敵のデータ位置なんて、全部音で視えてるんですよぉぉぉ!!」
シオンは完全な暗闇の中でアサルトライフルを構え、ギュッと目を閉じた。
お札のポリゴンが擦れ合うノイズ、そしてフリーズしているボスの処理落ちの電子音。
彼女は、3Dオーディオの残響を脳内のマップへと変換し、天才的な『音響エイム(ブラインドショット)』の引き金をフルオートで引き絞った。
ドガガガガガガガガガガガガガッ!!!
漆黒の空間へ向けて放たれた銃撃が、正確に神骸のムカデの足を撃ち抜き、その硬質な金属反響音がソナーとなって小春の耳へ届く。
「エイムガイド確認。そのまま撃ち続けなさい!」
小春はシオンの弾道音だけを頼りに、暗闇の空間を【V-ARC】を抱えて突進した。
音の反響からボスの正確な三次元座標を算出し、地形ハメの隙間へと滑り込む。神骸の中心核の真裏へとアバターをめり込ませると、【V-ARC】の高速武器変形スパムによる『無限衝突』を再開した。
ガガガガガガガピピピピピピピピシィィィンッ!!!
『ギャ、ア!? バカな、視界ゼロの暗闇の中で、なぜ正確にハメ技の判定を押し付けてこれるんだぁぁぁ!?』
ピエロのチーターの狼狽した声が響く。
小春の放つ異常な多段ヒットバグが、チーターが増殖させた数万枚のお札オブジェクトのど真ん中で大衝突を起こし、サーバーの処理負荷はさらに限界を超えて爆発した。
「チートツールで無制限にオブジェクトを出したら、それを受信して演算しているそっちのPCのメインメモリも重くなって、自滅するに決まってるでしょ! 自分のクライアントのスペックも計算に入れないで無茶なマクロを組むからそうなるのよ! この三流チーターが!!」
小春の、いっそ清々しいほど冷酷なゲーマー的説教が突き刺さる。ネットの向こう側にいる絶対的だった悪意は、ただのスペック管理もできない素人に成り下がっていた。
『う、嘘だろ!? 俺のツールが、処理落ちでフリーズ……。タスクマネージャーが応答してな――ギャアアアアアッ!!』
ピエロのチーターは、自身の仕掛けた増殖マクロの圧倒的な重さに耐えかねて、自分のPCごと強制クラッシュ(エラー落ち)して空間から無様に消滅していった。 と同時に、地形の隙間に挟まれていた神骸のHPバーが完全にゼロを記録し、ドサリと巨大な音を立てて消滅する。
四人の視覚データ暗転が解除され、ブルースクリーンが消え去った世界に、待ちに待った鹿島拠点の『初回限定インセンティブ・リザルト画面』が白く輝きながらポップアップしてくる。
「よっしゃあ! ボーナス確定、二重取りよぉぉぉ!!」
小春が歓喜の雄叫びを上げ、リザルトの数字を見つめた、まさにその瞬間。
ポップアップしたリザルト画面の『支給額』の欄が、見る見るうちに奇妙なノイズで書き換えられ、信じられない文字へと変貌し始めて――。




