26:オカルトサーバーと置物デコイ
「ポク、ポク、ポク、ポク、チーン……。オンマニペドメフム、オンマニペドメフム……」
「ちょっと! そこ、木魚のテンポが微妙に走ってるわよ! じゃなああい!! システムに宗教を持ち込まないでって言ってるでしょ!!」
茨城県・鹿島神宮の地下に広がる第三センター『要石駐屯地』の薄暗いカプセルルーム。
ダイブ直前のカウントダウンが鳴り響く中、小春はハッチの中に上半身を突っ込んだまま、周囲の現地デバッカーたちに向かって激怒していた。
カプセルの周囲では、白装束に身を包んだオペレーターたちが数珠をジャラジャラと鳴らし、ものすごい熱気で読経のコーラスを響かせている。
一定のリズムを刻む木魚の「ポク、ポク」という音が、小春の脳内で行われている厳密なフレーム計算――インプット・ラグの先行入力を走らせるコンマ数秒のタイミングを、絶妙に狂わせていた。
「木魚の四拍子と、私の自作デバイスの内部クロックが干渉して、先行入力のラグ計算がズレるのよ! これじゃあ最速フレームでのバグ回避ができないじゃないの!!」
「ええい、うるさい! これこそが我が第三センターに伝わる『電子厄除け・不祓マクロ』の波動である! 神聖なる祈祷のリズムをもやしっ子の理屈で汚すな!」
隣のカプセルから、修験者姿の特攻隊長が暑苦しい声を張り上げた。大太刀をアバターに同期させた男は、自信満々に不敵な笑みを浮かべる。
「いいか春日部の軟弱者ども、我が鹿島の不屈の精神力と、要石の祈祷の力……特と目に焼き付けよ! 気合だ、気合を入れろ!!」
ガチャン、と特攻隊長のカプセルのハッチが豪快に閉じられ、彼はそのまま仮想世界へとダイブしていった。
「はぁ……。まるで昭和のゲーム脳っていうのかしらね。ま、どうでもいいわ。財前に上限付きでケチられた分、この別管轄の鹿島サーバーで新規アカウント扱いとして、現地の経理から『初回限定インセンティブ』を根こそぎ二重取りしてやるんだから」
小春は己の強欲な野望だけを燃料にして、不敵な下種顔のままハッチを閉じた。
横に並ぶ夏目、シオン、桐生の三人も、それぞれのカプセルへと滑り込み、四人は同時に深い暗黒へと意識を加速させた。
◇◆◇
ズズ、ズズズズズズ……ッ!!
仮想空間の鹿島防衛エリアに降り立った瞬間、四人の視界を埋め尽くしたのは、春日部とは比較にならないほど最悪なグリッチの嵐だった。
小春が第0層から流した意図的オーバーフローの余波は、この第三センターのデータ領域を完全に汚染していた。
本来なら神聖な神社仏閣が描画されるべき背景のグラフィックは、テクスチャが完全に剥がれ落ち、お札のデータ画像が空を無数に乱舞している。
地面はピンク色の格子模様とブロックノイズで不規則に波打ち、立っているだけでアバターの座標軸がガタガタとブレる極限のバグマップだった。
「グオォォォォォォォラァァァァッ!!!」
ノイズの嵐を突き破り、データ領域の奥底から新手の神骸が姿を現した。
巨大な狛犬の頭部に、幾何学的なテクスチャで構成された無数のムカデの足が蠢く、見るだけで脳のニューロンが消滅しそうなバグの怪異。
「出たな、境界を脅かす異形のデータめ! 我が要石の精神力、喰らえぇぇぇい!!」
そこへ真っ先に突撃していったのは、他拠点のエースである特攻隊長だった。
彼は大太刀を大上段に構え、エフェクトをバチバチと撒き散らしながら、神骸の脳天へと真っ向から飛びかかる。
ダメージ効率も判定の隙間も一切計算に入れない、純粋な精神論による王道の特攻戦法。
だが、ここは一フレームの読みが命を分ける超高負荷のバグ空間である。まともな物理演算が通用するはずもなかった。
神骸が漆黒の触手を迎撃のために振り上げた、まさにその瞬間。
ピキィィィンッ!
「……あ、れ? う、動――」
空中で大太刀を振り下ろそうとした姿勢のまま、特攻隊長のアバターが「カク……カク……」と露骨に処理落ちし、そのまま虚空で完全にフリーズした。
激しいパケット詰まりによる通信切断寸前の完全停止。
大上段に構えた、ひどくマヌケなポーズのまま空中へ取り残された。
「やられたのか!? クソッ、なんて理不尽な判定の強さだ!」
夏目が大盾を構えながら焦りの声を上げる。
だが、その横で【V-ARC】を弄んでいた小春だけは、フリーズした特攻隊長を見上げて、ふっと邪悪な笑みを漏らした。
「あーあ、だから精神論はダメなのよ。まともにボスの描画負荷を脳で処理しきれなくてパンクしたわね。……でも、いいわ。最高のリソースが手に入ったじゃない」
「リソースって……おい、小春、何をする気だ!?」
「夏目さん、よく見てみなさいよ。あの暑苦しい隊長、サーバーの同期ズレを起こしたせいで、位置情報が完全に固定されてる。つまり、今のあの人はダメージを一切受け付けない上に、そこから一ミリも動かすことができない――『完全無敵の属性を持った置物デコイ(障害物)』よ」
小春のゲーマー脳が、他拠点のトップエースのフリーズという絶望のシチュエーションを、一瞬で『ハメ技の道具』として再定義した。
「桐生くん! そこのバグった鳥居オブジェクトの真下で、一番無駄に光る挑発スキルを空撃ちしてボスのヘイトを集めて! シオンちゃんは一フレームの狂いもなく、ボスのムカデの足をフルオートで狙撃してノックバックを発生させなさい!」
「はっ! 師匠の構築する、陣形ですね!」
「了解です、師匠! エイム位置固定、一フレーム単位でノックバック判定を押し込みます!」
桐生がド派手な光を放って神骸を挑発し、シオンが天才的なエイムでボスの部位を正確に撃ち抜く。
小春の狙いは完璧だった。ノックバックによって後退した神骸の巨大な巨体を、空中に完全固定された『特攻隊長の無敵の当たり判定』と、すぐ横にある『バグった鳥居の壁』の狭間へと、強引に誘導していく。
ズズッ、ズブブブブッ!!!
次の瞬間、神骸の巨体が、動かない特攻隊長の肉壁と鳥居の隙間に完全にすっぽりと挟まり、物理演算の計算がスタックして一ミリも身動きが取れない『地形ハメ(嵌め殺し)』の状態へと陥った。
ボスは目の前の桐生に向かって咆哮を上げるが、位置座標が固定されてしまい、攻撃判定をこちらに届かせることができない。
『な、何事だ!? 春日部のダイバーども、我がセンターの隊長をハメ技の土台にするとは何事だぁぁぁ!!』
現実世界の祈祷室のスピーカーから、現地のオペレーターたちが「非道なるバグ使いめ!」と大パニックで悲鳴を上げているが、小春はそれを鼻で笑い飛ばした。
「安全な安置が完成したわね。さあ、ここからは楽しい楽しい初回限定ボーナスの回収時間よ!」
小春は【V-ARC】を高周波ブレードモードへと変形させると、完全に置物と化した神骸の剥き出しのコアへと歩み寄った。
春日部の経理に上限をつけられた恨みを晴らすため、別管轄である鹿島のシステムから、横領まがいの二重取りボーナスを確定させるための、一方的なめった刺しが始まった。
ボスのHPゲージが、ゴリゴリと音を立てて減少していく。勝った。現地の経理サーバーから大金を毟り取れると、小春が勝利を確信したその刹那。
ビキ、ビキビキビキィィィンッ!!!
空間のテクスチャが激しく歪み、真っ黒な空間の亀裂から、紫色のハッキングノイズが爆発的に走り出した。
この不快な電子の濁流には、見覚えがありすぎた。
「またチーターのストーカー!? しつこいわね! 私のボーナス回収の邪魔を――」
小春が悪態をつきながら亀裂を睨みつける。
しかし、空間のバックドアから這い出してきたのは、あのVのシルエットではなかった。
不気味なピエロのマスクを被り、全身にノイズの走るスーツを着た、全く別のアバターだったのだ。
『ヒャハハハッ! V様が開けた鹿島のバックドア、俺のツールで有効活用させてもらうぜぇ、運営の犬ども!』
耳障りな合成音声が響き渡る。未知のチーターの登場に夏目が戦慄する中、ずっと後方で狙撃を続けていたシオンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「嘘……。あのアバターのエンブレム、Vじゃない! 私が出場していたFPSの公式世界大会を、無敵ツールでめちゃくちゃに荒らして潰した、あの悪質ハッカー組織の幹部です!!」
シオンの悲痛な叫び。それは、今まで単独の愉快犯だと思われていたVが、実は凶悪な『ハッカー組織』のリーダーに過ぎないという、絶望的な事実の露呈だった。
『まずはご挨拶だ! この重たいオカルトマップ、俺のマクロでさらに負荷をかけてやるよ!』
ピエロのチーターが不気味な文字列を走らせた瞬間、空間を舞っていた大量の「お札オブジェクト」のデータが、物理演算を完全に無視して、画面全体でネズミ算式に『自律増殖』を開始した。
一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が数万枚へ。
視界のすべてが、真っ白なお札のポリゴンによって物理的に埋め尽くされていく。
それはダメージによる攻撃ではなく、描画負荷を極限まで暴発させることで、小春たちのダイブシステム(視界)ごと物理的に窒息させ、フリーズ(エラー落ち)へと追い込もうとする、組織の幹部による最悪の画面暗転トラップ(物理ラグ)の始動だった。
視界が完全な白に染まり、アバターの操作が完全に停止する極限の恐怖の直前で――。




