24:疑惑と税金の悪魔
巨大なホログラム広告が真昼の空中を乱舞し、電子の喧騒が五感を圧倒する西暦二〇四五年の新宿。
先日の震災の爪痕を残す剥き出しの耐震鉄骨と、それらを覆い隠すように輝く最新鋭のネオン看板が入り混じる、歪で熱気にあふれた復興都市の休日の風景だ。
行き交う若者たちがホログラムのアクセサリで着飾る中、耐震鉄骨で補強された超高層ビル群の狭間にたたずむ、最新鋭のVRアミューズメントタワーの前で、小春は待ち合わせていた先輩の猫山と合流した。
小春はいつも着ているヨレヨレのジャージではなく、お気に入りのパーカーのフードを深く被り、両手をポケットに突っ込んでいたが、その鼻息はいつになく荒かった。
「お待たせしました、猫山先輩! さあ、今日はとことん遊び尽くしましょう!」
「やっほー、新人ちゃん。随分と威勢がいいね」
猫山が口の中でキャンディの棒を器用に転がしながら、不思議そうに小春の顔を覗き込む。
そんな先輩に対し、小春は顔いっぱいに下種な大金持ちの笑みを広げると、胸を張って豪語した。
「ふふん、今の私は一味違いますよ。口座残高一千五百万円超えの完全なる資産家ですからね! 奢ってもらうつもりで来たんですけど……。やっぱり気が変わりました!! 《《日頃お世話になっている》》猫山先輩に、ゲーム代から飯代から、ここにあるすべての最新鋭VRコンテンツを私が全部奢ります!」
「えっ!? あの徹底して一円の損も嫌う守銭奴の新人ちゃんが!? 天変地異でも起きるんじゃないの、それ……」
猫山が目を丸くして驚愕する中、小春は意気揚々とタワーの自動ドアをくぐり抜けた。
二人が最初に乗り込んだのは、今期最大の予算を投じて開発されたという、超美麗グラフィックの王道ファンタジーVRゲームだった。
最新型のダイブギアを装着し、仮想世界に降り立った瞬間、猫山は「うわぁ、凄いね。草の一本一本のレンダリングまで完璧じゃないか」と感嘆の声を上げた。
だが、その横でアバターを操作していた小春の表情は、一瞬にして死んだ魚のそれへと退行していった。
「……ハァ。何これ、本当につまんない」
「えぇ!? 何が不満なのさ。どこを見てもエラーログなんて一枚も出てないし、現実と見紛うばかりの完成度だよ?」
猫山が呆れたようにツッコミを入れるが、小春はコントローラーの手応えを確かめながら、不満げに眉をひそめた。
「そこがクソ仕様なんですよ。物理演算がちゃんとしてて、歩行モーションに一切のバグがないなんて不自由すぎます。壁に向かってダッシュしても、コリジョンがしっかり設定されてるからすり抜けられないじゃないですか。Tポーズで床をスライド移動することすらできないなんて、ただの出来の悪い盆栽ゲームね」
「ふふっ。普通の人はすり抜けられないのが楽しいんだよ、この変態クソゲーマーめ……」
猫山は楽し気に、しかし生粋だと分かるや完全に呆れ顔になりながらも、バグの穴を探して壁に頭を何度も打ち付けている小春の奇行を見守りつつ、最新のVRアトラクションを一通り楽しんだ。
◇◆◇
数時間のプレイを終え、二人はゲーセンに併設された高級VRカフェへと移動した。
ネオンが淡く光る静かな空間で、小春はこれまでの貧乏生活では決して注文できなかった、一杯二千円もする最高級のサイバーパンク・プロテインシェイクと特製パンケーキを堪能した。
「あぁ……金持ちの味って最高。最新の合成甘味料の暴力……労働の後のタダ飯……じゃなくて、自分の金で食べるご飯は格別ですね」
猫山が苦笑しながら、伝票をテーブルの端に置いた。
会計の瞬間が訪れる。
小春は待ってましたとばかりに、ドヤ顔でスマホ型端末を引っ掴むと、胸を張って立ち上がった。
「さあ先輩、ここは私の奢りですから! 完全なる資産家の財力、その目に焼き付けてください!」
「はいはい、ごちそうさま。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
小春はスマートにレジへと進み、店員が提示した決済端末に、一千五百万円が眠るメイン口座の電子決済アプリをかざした。ピッと小気味よい音が鳴り、決済が完了するはずだった。
しかし、端末から響いたのは、冷酷で無機質な電子警告音だった。
『――エラー:該当口座の取引は一時凍結されています。別の決済方法をお試しください』
「……へ?」
小春の動きがピタリと止まった。後ろに並んでいたカップルの客が、「えっ、残高不足?」と訝しむようなヒソヒソ声を漏らす。
レジの店員が申し訳なさそうな顔で「あの、お客様、カードか口座に何らかのロックがかかっているようですが……」と告げる。
「お、おかしいわね。端末の読み取りエラーかしら? もう一回お願いします」
痛いような視線を背中に浴びながら、再度スマホをかざす。
だが、結果は同じだった。無慈悲なシステム音声が、カフェの店内に静かに響き渡る。
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、小春は慌てて銀行アプリを起動し、ログインパスワードを叩き込んだ。
画面が切り替わった瞬間、彼女の視界に飛び込んできたのは、燦然と輝く残高の数字ではなく、画面全体を覆い尽くすデカデカとした『真っ赤な警告文』だった。
『銀行AIセキュリティ警告:実態不明の法人からの急激な巨額送金を検知しました。マネーロンダリングおよび不正資金移動の疑いにより、規約に基づき本口座の機能を完全凍結します』
「完全……凍結……!?」
小春の顔面から、一瞬にして血の気が引いた。
西暦二〇四五年の高度に電子化された社会において、マイナンバーと直結した国のAI監視システムは、底辺フリーターの口座へ突如として振り込まれた一千万円という異常な大金を逃さなかったのだ。
特務機関という名の、実態を持たないダミー会社からの送金。
それは銀行の防犯システムから見れば、完全に黒い組織のマネーロンダリングの挙動そのものだった。
「あの、お客様? お会計、どうされますか……?」
「手持ちの……現金、数十円しか……ないです……」
一瞬にして大富豪から無一文への転落。
白目を剥いて硬直する小春の後ろから、猫山が深いため息をつきながら財布を取り出した。
「やっぱりこうなったか……。いいよ、ここは私が払っておくから。ほら、席に戻りな」
結局、ドヤ顔で奢ると宣言したはずの小春は、呆れ顔の先輩に全額を支払ってもらうという、人生最大の大恥をかくハメになったのだった。
◇◆◇
「私の一千五百万が……下ろせない……ッ! 私のピザ代が、来月の光回線のプラン代がぁぁぁ!!」
カフェの隅の席に舞い戻った小春は、テーブルに額を擦り付けんばかりに突っ伏して、真っ白に燃え尽きていた。
そんな絶望のどん底にあるクソゲーマーに対し、猫山は新しく取り出したキャンディの棒を舐めながら、さらに容赦のない現実の追い打ちをかけた。
「あのさ、新人ちゃん。口座凍結だけで済んでると思ったら大間違いだよ。そもそも君、完全歩合制の『業務委託』になったんだよね?」
「それが、何か関係あるんですか……?」
涙目で顔を上げた小春に、猫山はニヤリと悪魔のような笑みを向けた。
「大ありだよ。業務委託ってことは、会社が税金を天引きしてくれないから、来年自分で確定申告をしなきゃいけないんだよ。いい? 一千五百万円の所得があった場合、日本の累進課税システムだと、所得税と住民税、それに社会保険料の増額を合わせたら、再来年に『半分近く』国に持っていかれるからね」
「は……半分!? 七百万も!?」
小春の絶叫がカフェの隅に響く。
「なにそれ、えげつないキルパクじゃん!! 何の手出しもハメ技もしてないのに、後ろから総取りしていく国のシステム暴利すぎるでしょ!! 神骸ってのよりタチが悪いわよ!!」
「そんなつい最近できた決まりとかじゃないんだけどな……。ま、国のシステムは壁抜けできないからね。ちなみに、その凍結を解除して税金の手続きを正常に行うには、振込元のダミー会社……つまり特務機関に、それが『正当な労働対価であるという支払調書』、要するに身元保証書を発行してもらうしかないよ」
「身元……保証書……」
背に腹は代えられない。小春は震える指でスマホを操作し、休日の財前へ向けて
「大至急、身元保証の書類をください」と涙目のメッセージを送信した。
だが、一秒で返ってきたのは、あまりにも冷酷な一言だった。
『休日に業務連絡をしないでください。不愉快です』
メッセージはそこで途絶えた。
このままでは口座は凍結されたままで、数日後にあるアパートの家賃の引き落としすらできず、小春は越谷の地で餓死して野垂れ死ぬことになる。
小春は猫山から「出世払いでいいよ」と手渡された、なけなしの往復交通費を両手で固く握りしめると、血走った目で立ち上がった。
「……行きます。春日部の、第二センターへ直接乗り込みます!!」
◇◆◇
一方、その春日部・第二センターの長官室。
小春の無茶な請求のせいで『今期の予算が完全に枯渇』し、血走った目で赤字の帳簿と睨み合っていた経理チーフの財前玲華の端末に、受付からのアポなし来訪の通知が届いた。
用件は『大至急、身元保証の書類をください』。
それを見た瞬間、経理の鬼の口角が、三日月のように吊り上がった。
「……フフッ。いいでしょう、黒瀬さん。身元保証書を出してあげますよ」
財前は、あらかじめ用意していた『最悪の条件が書かれた出張命令書』をデスクに叩きつけ、冷酷極まりない笑みを深めた。
「私の提示する『新たな労働条件』を、すべて呑むのであれば、ね」
予算を削られた運営による、強欲フリーターへの最悪の逆襲の準備が完了したところで――。




