22:意図的オーバーフロー
「どう戦うんだ小春!? ボスのHPバーすら表示がバグっていて見えないぞ!」
『相模トラフ・ディープベース(第0層)』の最深部。夏目が大盾を構え、焦燥に満ちた声を張り上げた。
正面に鎮座する『原初の神骸』から放たれた漆黒の触手が、空間の物理法則をねじ切りながら四人へと迫り来る。
触れた瞬間に全データを消去する、殺意の塊のような即死攻撃。
世界を滅ぼす怪異の圧倒的な威容を前に、しかし小春は眉一つ動かさず、【V-ARC】を構えて極めて冷酷な指示を飛ばした。
「夏目さんは盾で一番派手な光の反射エフェクトを出し続けて! 桐生くんはとにかく攻撃力の低い、一番無駄に光る派手な奥義を虚空に向かって空撃ちしまくりなさい! シオンちゃんは画面内の描画負荷が世界一高いパーティクル弾をフルオートで乱射!!」
「は……!? ダメージを与えるんじゃないのか!?」
夏目が困惑の声を上げる。
だが、小春の狙いは最初からボスの体力を削ることなどではなかった。
「あんなバカみたいにデータ量の多いボスに、正面からまともにダメージを入れようとしたって時間の無駄よ。タイムロスは時給効率の低下に直結するの。だから、今からやるのは『重くする作業(ラグらせる作業)』。ダメージなんかどうでもいいから、とにかくこの空間の描画処理を限界までパンクさせて!」
「なるほど、これぞ師匠の直伝……! 敵の視界を光で遮る、武術の極意ですねっ!?」
状況を完璧に勘違いした桐生が、大剣を激しく振り回し始めた。
「喰らえ! 『爆裂・閃光鳳凰天駆斬』!! あと『超烈火・爆炎龍牙破』!!」
桐生がスキルを発動するたび、何の意味もない極彩色のド派手なエフェクトが虚空に乱舞する。
さらにシオンが、プロ用の超高性能液晶モニタすら一瞬でフリーズさせかねない、高密度な火花が飛び散る特殊パーティクル弾を、一秒間に数百発というプロゲーマーの異常な反射神経でフルオート乱射し始めた。
ただでさえ未実装で処理の最適化がされていない第0層のデータ領域に、無駄なエフェクトの奔流がこれでもかと叩き込まれる。
結果、空間のフレームレートは瞬く間に低下していった。
世界を滅ぼさんとする原初の神骸の即死触手は、小春たちの肉体に触れる直前で「カク…… カク……」と、見るも無残なコマ送りのような超スローモーション(処理落ち)へと追い込まれていく。
「よしよ~し、いい感じにラグってきたわね」
小春はニチャリと下種な笑顔を浮かべると、完全にコマ送り状態になった神骸の巨大なテクスチャの隙間――物理演算が追いつかずにポリゴンが引き裂かれた『継ぎ目の穴』へと、スライディング移動で潜り込んだ。
狙うは、水没した渋谷で、巨大な信号機観音『シグナル・アヴァターラ』をハメ殺したバグの完全版。
神骸の中心核の座標データが、床の判定面と激しく干渉している極限のバグエリアだ。
小春はボスのグラフィックの裏側に完全にめり込んだ状態で、【V-ARC】のガチャガチャとした武器変形コマンドと、ARバイザーの電源オン・オフを、一秒間に数百回という狂気的な速度でスパム先行入力し始めた。
ガシャ、カチャ、ピピピピピピピピッ!!!
処理落ちによって判定の一フレームが異常に引き延ばされた空間で、小春のスパム入力だけが、アキバの自作違法デバイスの限界駆動によってミリ秒単位で押し付けられていく。
アバターの輪郭が激しく明滅し、バグとバグが噛み合う不快な金属音がボスの内部で鳴り響いた。
それは、システム側に「アバターがボスの座標と無限に衝突し続けている」という誤認を強制する――最悪のハメ技『コリジョン・ループ(無限衝突)』の始動だった。
◇◆◇
現実世界の第二センター管制室は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「だ、駄目です!! 第0層サーバーの演算負荷値が、規定値の数万倍に跳ね上がっています!! メモリの消費量が指数関数的に増大中、このままではグラフィックメモリがオーバーフローを起こします!!」
サーバー運用保守班のリーダーである御手洗が、滝のような冷や汗を流しながらキーボードを叩き、泣き叫んだ。
モニターに表示されたエラーログのインジケーターは、すでに真っ赤な危険域を通り越し、エラーの文字すらバグって崩壊している。
「ま、また電気代とサーバーの液体窒素冷却費がっ……!! あの守銭奴は、この特務機関を物理的に破産させる気ですか!?」
経理チーフの財前が、これ以上ないほど現実的な『運営コスト』の爆発に青筋を立て、手元の高級タブレットをギリギリと握りつぶさんばかりに激怒していた。
彼女の思考からは、世界の終わりだとか危機だとかは吹っ飛んでいいった。
「そんなの、そんな負荷のかけ方想定してるわけないでしょぉぉぉ!!」
プランナー班チーフの鵜飼エミリーが、ボサボサの髪をかきむしりながらデスクに突っ伏した。
「私が死に物狂いで行動AIを制御したラスボスを、ただの処理落ちのラグで置物にするなんて、クリエイターに対する最大の侮辱だわぁぁぁ!!」
◇◆◇
「ほら、処理しろよクソシステム!! 私の時給一千万円分の演算を、一フレーム残さず全部計算しきってみせなさいよ!!」
第0層の深淵で、小春の狂気的なスパム連打と、神骸自身の圧倒的な過負荷データが正面から完全に衝突した。
世界を滅ぼすはずの絶対的な存在――『原初の神骸』は、「……ッ、ガ、ピ、ピピピピピ」と、悲鳴とも断末魔ともつかない奇怪な電子ノイズを放ったまま、完全にグラフィックがフリーズした。限界まで膨れ上がったメモリが、ついに決壊したのだ。
ピキィィィィンッ!!!
次の瞬間、世界のすべて――暗黒の空間も、巨大な赤い脈動も、カクついた触手も、そのすべてが唐突に静止した。
空間全体のテクスチャが、鮮やかなピンクの格子模様を通り越し、完全なる鮮血のような、あるいは致命的なシステムクラッシュを示す『ブルースクリーン』へと一瞬にして反転していく。
メモリの完全な飽和に伴う、空間そのものの強制シャットダウンが始まったのだ。
「やった、のか……!? 本当に、あのバケモノをシステムごと落としたというのか……ッ」
夏目が盾を下ろし、真っ青に染まっていく世界の中心で呆然と呟いた。シオンも桐生も、データが消滅していく光景に口を開けて固まっている。
「よし、三十分経過!! ミッションクリア、定時退勤よ!!」
小春は高笑いしながら、強制ログアウトの処理が走る視界に向かって叫んだ。
「一千万円の残業代、一円の狂いもなくきっちり口座に振り込みなさいよ、クソ運営ええええええ!!」
世界の命運を懸けた防衛戦の最深部で、日本の滅亡を止めた英雄の顔ではなく、ただひたすらに自分の時給と手当だけを叫びながら、小春のアバターが光の塵となって消え去ろうとしたその刹那――。




