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Tポーズの女神様   作者: 水色蛍
日給五万の裏バイトと、第0層RTA
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17/36

17:大げさなんかじゃなかったかも……

「なっ!? このいたいけな少女がもやしで餓死しかけている極限状態において、リアルタイムで月謝の取り立てですかっ!?」

 

 シオンが絶愕の声を上げ、差し出された小春の手を涙目で睨みつけた。  


 その横で、桐生が「ふっ、さすがは師匠。一瞬の油断も隙もない、これぞ『強欲の呼吸』……!」などと的外れな感心を口にしている。  


 小春が「いいから、現ナマがないならスマホ決済でもいいよ」とさらに下種な笑顔を詰め寄ろうとした、まさにその瞬間だった。


 突如として、秋葉原のジャンク通りに、地の底から響くような不気味な地鳴りが轟いた。


 近年多発している局地的な地震か、とアキバの通行人たちが一斉に足を止めた直後、およそ現実のものとは思えない狂った光景が、小春たちの視界に広がった。


 アスファルトの地面が、まるで粗悪な液晶画面がバグったかのように、鮮やかなピンクと黒の市松模様へと変色し始めたのだ。


「な、何これ!? 電光掲示板の故障か!?」

「おい、ビルが! ビルの壁がはがれてるぞ!!」

 

 悲鳴が上がる。

 小春たちの目の前にそびえる雑居ビルの壁面が、まるで薄い画用紙のようにペラペラとめくれ上がり、はがれ落ちたその奥に、何も描かれていない真っ黒な『データの深淵』が剥き出しになっていく。


「し、師匠! これ、ゲームの中の空間崩壊と全く同じ……!?」


 シオンが顔を真っ青にして叫び、小春のジャージの袖を掴んだ。

 世界が物理的に引きちぎれていく。


 紛れもない、現実世界へのバグ侵食――『次元断層』の発生だった。


「空間のレンダリングがガバガバ……。嘘でしょ!? コントローラーがないと、Tポーズすらできない……ッ! ってか、あれ、現実……だよね!?」


 ――ズ、ズズズズズズズッ!!!


 小春は本能的に両腕を真横にピンと伸ばそうとしたが、当然ながら現実世界にはキーボードも脳波接続カプセルもない。

 ただジャンク通りのど真ん中で、スーパーの袋を両手に下げたまま奇妙なポーズをとる、不審なフリーターが誕生しただけだった。


「師匠! 古流武術の構えですかっ!?」

「違うわよバカ! バグ技の入力デバイスがどこにもないって言ってるの! つまり現実!! 逃げるわよ!!」


 地面の市松模様が侵食を広げ、触れた露店のジャンクパーツが次々とノイズに呑まれて消滅していく。


 一般人たちが押し合いへし合いしながら大パニックで逃げ惑う中、小春は高級卵の入った袋を死守しながら、シオンと桐生の腕を引いて無様に走り出した。


「痛っ!? 足がもつれる! 歩行モーションの省略ができないの、めちゃくちゃ不便だし疲れるんだけど!?」

「当たり前です! これが普通の人間の一歩ですっ! ゲーム脳にもほどがあります!!」

 

 迫り来る真っ黒なデリート判定の波。

 現実世界の物理法則に縛られた小春の足は、悲しいほどに遅かった。


(待って、これって本当に、私がクソゲーだと思ってハメ殺していたあのシステムと、全く同じバグじゃない……!?)


 リアルに起きている世界の崩壊を前に、小春の背中に強烈な鳥肌が立ち上っていた。


 ◇◆◇


 秋葉原の街を飲み込もうとしていたピンクの市松模様は、ジャンク通りの一角を完全に消去したところで、突如としてプツンと電気を切られたようにその侵食を停止した。  


 現実世界の裏側――すなわち、小春たちが『NOBLE RIDER』と呼んでいる境界防衛戦において、春日部センターの居残り組や、つくばの第1センター、鹿島の第3センターといった他拠点の正規隊員たちが、仮想空間側から命懸けでエラーコードを相殺したためだった。  


 世界の崩壊が止まった直後、アキバの街には物々しいサイレンと共に、特殊な防護服に身を包んだ警察や自衛隊の車両が怒涛の勢いでなだれ込んできた。


「おい、一般人は速やかに避難しろ! 立ち入るな!」

「カモフラージュ班、速やかにエリアの民間人を隔離誘導せよ!」


 拡声器の怒号が飛び交う中、小春、シオン、桐生の三人は、身分を証明するテスター用のアカウント端末を持っていたため、一般の群衆とは別に、近くに設営された大型トラックの特設避難所へと半ば強制的に連行された。


「はぁ、はぁ……。死ぬかと思った。二度とリアルで全力疾走なんかしないわ……」


 テントのパイプ椅子に崩れ落ちた小春は、死守した二百円の高級卵が無事であるのを確認し、ようやく安堵の息を吐いた。


 シオンはもやししか食べていない体で息を切らし、桐生は私服のシャツを泥で汚して、さすがに中二病のセリフを吐く余裕すらなさそうに肩を震わせている。


 そんな三人から少し離れたテントの影で、無線機を握りしめた自衛官たちが、張り詰めた声で交信を行っているのが小春の耳に届いた。


『――こちらアキバ特設、第二班。現地の次元断層は、つくばの本部と鹿島駐屯地のダイバーによる強行デバッグによって、辛うじて臨界前での固定に成功した。しかし、他拠点のテスターの精神負荷が限界です。脳波の焼き切れによる植物状態の発生数が、規定値を超えています……!』


 精神負荷。植物状態。防衛境界線。


 無線から漏れ聞こえる生々しい単語の数々に、小春の脳のゲーマー回路が、パズルのピースを合わせるようにして最悪の結論を導き出し始めた。


(……嘘でしょ? つくばとか鹿島とかって、あの特務機関の拠点の名前じゃん。他拠点のテスターが脳を焼かれて倒れたって……。じゃあ、あの離職率の高さや名前の黒塗りの真相って……)


 小春の額から、じっとりとした冷や汗が流れ落ちる。

 ただの出来の悪いバグだらけのVRゲームだと思っていた。


 しかし、自衛官たちの命懸けの通信が意味する真実は、ひとつしかなかった。


(あのクソ運営……! まさかゲームの空間拡張(AR)データを現実のインフラにまでリンクさせて、盛大にバグらせた(暴走させた)ってわけ!?)

 

 小春の思考回路は、どこまでも斜め上を突っ走る。なんと哀れなことか。


(しかも『脳波の焼き切れ』って……絶対あのクソゲーのチカチカするエフェクトのせいで、テスターたちが重度の『光過敏性発作(ポケモンショック)』を起こして倒れたんだわ! 完全に悪質な労災隠しじゃん!!)


 小春は震えた。


 世界を救うとか日本の技術力とか、あの昭和の所長が言ってたド正論。


 あれはつまり、『自社のクソシステムの暴走で日本が物理的に滅びる(国が傾く)危機』って意味だったのだ。


 そして大げさでも何でもなかった。


 世界が本当に滅びかけている。

 クソ運営の特大の不祥事のせいで、日本中がシステムエラーの巻き添えを食らっている。


 そのあまりにも重大すぎる不祥事の真実を察した瞬間、小春を襲ったのは、ヒロイックな正義感などでは断じてなかった。


(やばいやばいやばい!! 日本のインフラが滅びかけてるってことは、もしこのまま現実世界がエラー落ちして消滅したら、さっき私の口座に振り込まれた五百五十万円の臨時ボーナスが、銀行のサーバーごと物理的にただの電子クズの紙切れになっちゃうじゃないのよぉぉぉ!!)

 

 家賃を払い、ポテトをLサイズにし、高級卵を買って引きこもるための、命より大事な五百五十万。

 それが使う前に運営のバグのせいで消えるかもしれないという、人生最大の絶望的な危機感。  

 強欲フリーターの目が、かつてないほどの激しい怒りと焦燥で血走り始めた、その時。

 

 小春のジャージのポケットの中で、スマホが重苦しい警告音を鳴らしながら激しく振動した。

 画面に表示されたのは、経理の財前からの、全テスターへの『一斉強制緊急召集』の通知だった。

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