15:例外承認エラー
ガラスが粉々に砕け散るような不快な電子音が、バグった江戸の町並みに響き渡った。
小春の放った、同期ズレと無敵フレームを極限まで詰め込んだスパム攻撃の前に、チーターであるVの『常時オートガード』が処理限界を超えて完全にへし折れた瞬間だった。
そのわずかな隙間に、小春は高周波ブレードの形をしたアンチウイルス・データの塊を、Vの胸のポリゴンへと容赦なく、深くめり込ませる。
『が、は……っ!? バ、グデータの、干渉が……内部演算に……ッ!?』
Vの合成音声が、激しいノイズを伴って歪んだ。
アバターの胸元から緑色のエラーログが火花のように飛び散り、空間全体のフレームレートがさらにガタガタと低下していく。
「ざまぁ見なさい! 人の時給をキルパクしようとするからバチが当たったのよ! おとなしくその奪ったドロップデータを吐き出しなさい!」
小春はブレードをめり込ませた姿勢のまま、無表情の底にギラギラとした強欲の炎を燃やして怒鳴りつけた。
『おの、れ……っ! たかが、運営の用意した仕様の穴を突くだけの、底辺ユーザーが……調子に、乗るなあっ!!』
障壁を破られたVが、明らかな焦燥と共に虚空で腕を振るった。
彼が外部ツールでチートコマンドを強制実行した瞬間、川越エリア全体の物理演算が再び歪み始める。
空を覆う巨大な歯車が不自然に逆回転を始め、地面の石畳が重力を失ったかのようにフワフワと浮き上がり始めた。
空間の重力場をツールで直接書き換え、小春ごとこのエリアのデータをクラッシュさせようという泥縄式のハッキング処理だ。
「師匠! あいつまた空間のコードを弄ってます! このままだとサーバーごと落とされますよ!」
後方で浮遊する残骸にしがみついているシオンが、天才プロゲーマーとしての直感で危険を察知し、悲鳴のような声を上げた。
夏目もまた、愛剣を構え直しながら額に汗を滲ませる。
「くっ、外部ツールによる強制的なコード破壊か! 一体奴は何が目的なんだ……。これではどんなセオリーも通用しない! 小春、一旦退くんだ!」
「退けるわけないでしょ! ここでサーバーが落ちたら、私の討伐報酬も生存ボーナスも全部データごと消滅してノーペイになるじゃない!! 消すなら私の残業代を振り込んでからにしなさいよ!!」
命の危機など一微塵も考慮していない小春は、浮き上がる石畳を足場に、さらなる先行入力を開始しようと身構えた。
◇◆◇
一方その頃、現実世界の第二センター管制室では、別の意味での狂気が爆発していた。
バランス調整・プランナー班のチーフ、鵜飼エミリーは、目の下に真っ黒なクマを作ったまま、怒り狂ってキーボードを叩き壊さんばかりの勢いで連打していた。
「許さない……! 絶対に許さないわよ、あのクソゲーマー黒瀬小春ぇぇぇ!! せっかく私が徹夜して完璧に修正した『Tポーズ滑り』を、今度は空中無限ジャンプとかいう頭の悪いスパゲッティコードで突破するなんて、私のプライドがズタズタよ!!」
「エミリー! 落ち着け! 今はそれどころじゃない、チーターのVが川越エリアの基底重力データを直接書き換えて――」
デバッグ班の車谷が止めようとするが、エミリーの耳には届かない。
「うるさいわね! チーターなんて後回しよ! まずはあの仕様の穴を悪用する不届きな小娘をハメ殺すのが先!! 今すぐこの、私が即興で作った『緊急嫌がらせ用・超高密度オブジェクト設置パッチ』を現地に直接送り込んでやるわ!! まともに動けない重さの中で、のたうち回りながらボスに踏み潰されなさい!!」
完全に私怨に狂ったエミリーが、真っ赤な承認ボタンを叩きつけた。
「バカ、やめろエミリー! 今のガバガバなサーバー状態でそんな突貫パッチをリアルタイム適用したら、どうなるか分かって――」
インフラ班の御手洗が絶叫して止めようとしたが、時すでに遅し。
運営の放った、悪意に満ちた理不尽なパッチデータが、ネットワークの境界線を越えて川越エリアへと最悪のタイミングで降ってきた。
◇◆◇
ピコンッ、ピコンッ、ピコンッ!!!
小春とVが睨み合う川越エリアの虚空に、おびただしい数のシステムアラートが乱舞した。
『緊急パッチ適用:エリア内のオブジェクト密度を千二百%に引き上げ、当たり判定を極大化しました』
「はあ!? 何これ、意味わかんないんだけど!」
小春が毒づいた瞬間、空から江戸の町並みには全く似合わない、巨大な『鉄球』や『コンクリートの壁』、さらにはグラフィックの崩れた『巨大なこけし』といった無意味な高密度オブジェクトが、雨のように大量に降ってきた。
エミリーが小春の動きを物理的に拘束するためだけに用意した、嫌がらせ以外の何物でもないゴミデータの奔流である。
だが、この理不尽なパッチが、戦場に決定的な奇跡――いや、クソゲー特有の致命的な大惨事を引き起こした。
『な……、なんだ、これは……!? 私の、チートツールの、演算が……割り込んできた、公式パッチと……クラッシュして……!?』
Vのアバターが、突然カクカクとした奇怪な動きで停止した。
Vが外部ツールで書き換えていた「重力反転コード」と、エミリーが突貫工事で送り込んできた「オブジェクト極大化コード」のメモリ空間が完全に重複し、システム側で致命的な『例外承認エラー』が発生したのだ。
チートマクロの処理が完全にスタックし、Vのアバターは両腕を真横に広げた、見覚えのある姿勢のままピタリとフリーズした。
「ぷっ、あはははは! 嘘でしょ、何あの無様な格好! Tポーズじゃん!!」
小春は降ってくるコンクリート壁の隙間ですり抜けの姿勢を取りながら、大爆笑した。
外部ツールで無敵を気取っていたチーターが、公式のガバガバな突貫パッチとの競合によって、最も原始的なバグモーションであるTポーズで固まっている。これ以上の皮肉はなかった。
「ナイス運営! 相変わらず技術力が低くてガバガバなクソパッチだけど、今回だけは褒めてあげるわ!」
『お、のれ……っ! ツールが、動かない……! アバターの、制御が――』
「動けないチーターなんて、ただの美味しいボーナス確定演出よ!! 私の百万円と、無断出勤の慰謝料と、サービス残業の恨み!! 労働の痛みを知りなさい時給泥棒おおおおお!!」
小春は【V-ARC】を高周波ブレードモードのまま、フリーズして微動だにできないVの懐へと突撃した。
歩行モーションはない。先ほどから累積している慣性と、エミリーのパッチによってバグった石畳の反発力を悪用した、奇怪な水平スライド移動だ。
ガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
完全な無防備状態のVに対して、小春は一秒間に数十回という狂気的な速度で、ブレードの突きをめった刺しにして叩き込んだ。
内部判定の多段ヒット。ただの攻撃ではない。
クソゲーにおいて「フリーズした敵の裏側に判定をめり込ませて、一瞬でヒット数をカンストさせる」という、最も慈悲のないハメ技の実行だった。
『バ、カな……っ、この、私が……こんな、バグまみれの、世界で……ッ!!』
Vの全身のテクスチャが耐えきれずに引きちぎれ、ポリゴンの隙間から真っ赤なエラーログが噴出する。
ハッキングによる絶対の優位を誇っていたはずのチーターは、小春の執念のバグハメの前に、そのプライドごと完膚なきまでに叩き潰されていた。
『……本当に、最悪のバグだ、このゲームは……ッ!!』
Vは合成音声で呪詛の言葉を遺すと、アバターのデータが限界を迎えて爆発。不正ログのノイズと共に、空間の亀裂へと強制切断(逃亡)していった。
それと同時に、彼が横取りしていた川越エリアのレアドロップデータが、光り輝く立方体の形となって、ポロリと地面に転がった。
「よっしゃあ!! ドロップアイテムの奪還、完了!!」
小春は電電公社ばりの速度で地面にスライディングし、その立方体をインベントリへと滑り込ませた。
頭の中でチーンと音が鳴る。
これで基本給の三倍、さらに前回の未払い分と合わせて、トータル五百五十万円の臨時ボーナスが完全に確定した。
「やった……。これで来月の家賃どころか、アパートの光回線を最高級の専用帯域プランに乗り換えられるわ……!」
小春が汚濁のような瞳を輝かせてガッツポーズを決める横で、夏目はハラハラと剣を鞘に収めながら、信じられないものを見る目で彼女を見つめていた。
「……チーターを公式パッチとの競合エラーでハメ殺すなんて、そんな戦い方、前代未聞だぞ。世界を救う戦いが、どうしてこうも美しくないんだ……」
「師匠! 今のめった刺し、最高にスタイリッシュでした! あれが古流武術に伝わる『無間の連突き』ですね!?」
「いや、ただのフリーズハメだから。桐生くんはうるさい」
桐生の崇拝を冷たくあしらいながら、小春は満足感と共にメニュー画面を開いてログアウトボタンを押そうとした。
しかし、彼女の指が画面に触れるより早く、川越エリア全体の地面が、これまでとは比較にならない規模で激しくグラグラと揺れ始めた。
地鳴りのような音が、地下のシステムから響いてくる。
「おい、なんだこの揺れは!? ボスもチーターも排除したはずだろう!?」
夏目が足元をすくわれ、慌てて体勢を崩した。
見上げれば、エミリーが送り込んできた『巨大こけし』や『鉄球』の山が、スパゲッティコードの過負荷によって互いにめり込み合い、あり得ない速度で増殖を始めていた。
ズズズズ、ズガガガガガガッ!!!
「あ、やば。あの寝不足プランナーのパッチ、オブジェクトのデリートコード書き忘れてるわ。データが無限にループして溢れてる」
小春が呆れたように呟いた瞬間、エリア全体のグラフィックが真っピンクの市松模様へと反転し、世界の基底現実が物理的に引き裂かれ始めた。
「全員、浮島へ飛べ! 空間が完全に崩壊するぞ!!」
夏目の悲鳴が響く中、小春たちの足元の石畳が、底なしのデータの深淵へと崩れ落ちていく――。




