12:パッチノート
関東の地下深く、第二センター。
重苦しい空気が支配する会議室で、小春は手元のタブレットをドンッとテーブルに突きつけた。
「というわけで、前回の未払い分二百万と、今回のウイルス回収&命の危険手当一千万。合わせて『千二百万』。一括で振り込んでよね」
財前は額に青筋を立ててタブレットを握りしめている。
その横で、法務・コンプライアンス部の男が眼鏡を押し上げ、冷酷な声で告げた。
「却下だ。規約第四十二条により、チーターの干渉はユーザーの自己責任であり、取得したバグデータに換金価値は認めない。よって我が社に払う義務はない!」
「ふーん。あっそ」
小春は視界の空中にインベントリ画面を呼び出し、ポンポンと指を滑らせる。
「じゃあこれ、ダークウェブのチート販売フォーラムに『特務機関の裏口アクセス権』として流そっかな。一千万より高く売れそうだし。あ、それか今ここでこの超高圧縮ウイルス、『ドロップ』しちゃおっかな〜」
「待て!! 今ここでその圧縮データを実体化させたら、この第二センターのサーバーが物理的に爆発して関東圏のネットワークが死ぬぞ!? お前はテロリストか!! 普通に逮捕案件だぞ」
同席していた夏目が、たまらず頭を抱えて絶叫した。
センター長の岸泉も、顔面を蒼白にしながら胃薬をボリボリと噛み砕く。
「やめたまえ! 第二センターが吹き飛んだら私が内閣府に戻れん!!」
法務の男の顔から血の気が引いたその時、会議室のドアがバンッと勢いよく開け放たれた。
「待て待て待てぇっ!!」
デバッグ・QA班の変人チーフ、車谷が大興奮で乱入してくる。
「解析用にそのデータ、特別研究費で買う! 現金三百万と前回の二百万、さらに特注の最新VRデバイスも無償提供だ!」
破格の条件。ダイバーなら泣いて喜ぶ特注品だ。しかし、小春の顔はピクリとも動かなかった。
「デバイスとかいらないんで、その分を五十万として現金で上乗せして。トータル五百五十万で手を打つわ」
「……」
どこまでも現ナマ至上主義の小春に、車谷も財前も乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
◇◆◇
交渉成立のデジタルサインを終え、ホクホク顔で廊下に出た小春を待ち受けていたのは、中学生の制服を着た小柄な少女だった。
「師匠おおおっ!!」
星野シオンが、磨き上げられた廊下を滑るようにスライディング土下座で迫ってくる。
「あ、シオンちゃんだ。って……師匠??」
「はい!! 師匠です!! ノーとは言わせません!! それより、私にあの『システムエラーのバグ』と『正規仕様の無敵フレーム』を完璧に使い分ける技術を教えてください!」
「なっ!! おい待てガキんちょ!!」
シオンの言葉を遮るように、廊下の角から、無駄にスタイリッシュなポーズを決めた桐生が飛び出してきた。
「俺の師匠だぞ!! 新参者のくせに、弟子入りなら一番弟子の俺の背中を見てからにしろ!」
「はぁ? 私、FPSの世界ランカーですけど。変なポーズのダサいお兄さんに教わることなんてありません!」
「なんだと!? ガキには俺の古流武術の動きが見切れ――」
「待て待て待て……!」
バチバチと火花を散らす二人を前に、夏目が呆れたように口を挟んだ。
「それより、なぜ天才プロゲーマーの君が、ここにいるんだ? まだ中学生だろ?? 親御さんはどうした?? ってかなんで人事は……。」
夏目が尋ねると、シオンは桐生から視線を外し、涙目で重い口を開いた。
「広報部に『安全な最新VRのアンバサダー』として高額ギャラで騙されたんです……。親が事業に失敗して多額の借金が……。黙認というか、送り出されたというか……」
「はぁ……。全く……。正規職員でありながら組織の風通しの悪さにはうんざりする。知らなかったとはいえ申し訳ない」
夏目が天を仰いで呆れていると、そんな空気を一閃するように。
いや、まるで関係ないかの様に、小春がずいっと前のめりにシオンの前に出る。
「へえ。で、その広報部からもらってるギャラはいくら? ……ふんふん。なるほどね」
小春は仏のような胡散臭い笑顔を浮かべた。
「じゃあ、月謝制十万で教える。口座引き落としでいいよ。あ、桐生くんもついでに取るから」
「……。っておい!! 中学生から搾取するな!! 犯罪だぞ!! ったく。なぜあんな俗物がカリスマ扱いされているんだ……」
少女からリアルで集金システムを確立する小春を見て、夏目は深刻な胃痛に顔をしかめた。
そんな茶番を断ち切るように、けたたましいアラートが鳴り響く。
『緊急警報。埼玉・川越エリアにて、次元断層の発生を検知。ポップした神骸の討伐に向かってください』
「行くわよ極上デコイ(桐生)! 金ヅル(シオン)!」
小春は二人の弟子(囮)を引き連れ、ウキウキとダイブカプセルへ向かう。
「……。今回は俺も行く。君たちだけでは何をしでかすか分かったもんじゃないからな……」
「夏目さんシフトじゃないのにいい~んですか??」
「私は正規職員だから融通が利くのだ!! それより、お前こそ連続で行こうとしてるじゃないか!! それに今日は休みのはずだろう!!」
「なんか、もう私。今なら二十四時間戦えますって感じ……」
「くそ!! なんでこの第二センターには風紀を乱す奴らばかり……。他のセンターはどうなってるんだ?? 他のセンター羨ましい……」
完全に金しか映っていない、汚濁のような瞳をして笑う小春に、夏目は深い溜息をつき、共にプラグスーツを着込んでダイブした。
◇◆◇
埼玉・川越エリア。
そこは、古い江戸の町並みと巨大な歯車が複雑に融合した、奇妙なバグ空間だった。
空を覆う歯車の隙間から、鎧武者と絡繰り人形が混ざり合ったような神骸が姿を現す。
「まずは手っ取り早く、Tポーズ滑りで内部判定から……」
小春はいつものように無表情で両腕を広げ、慣性を利用して滑ろうとした。
しかし――動かない。
「……ん?」
ピコンッ、と小春の視界にシステムアラートが表示された。
『緊急パッチノート適用:特定のモーションキャンセルを利用した不正な慣性移動を修正しました』
「は?」
現実世界の管制室では、バランス調整・プランナー班の鵜飼エミリーが、目の下に濃いクマを作りながら狂気じみた笑い声を上げていた。
「フフフ……アハハハハッ! 大至急コリジョン判定の穴を完全に塞いでやったわ!私の技術と意地を舐めんじゃないわよ小娘! これで真っ当に、死にそうになりながらプレイしなさい!ぐひゃひゃひゃ!!」
(はあ……。これじゃ敵が誰で味方が誰かわかったもんじゃないな……)
川越エリアで、からくり武者の神骸が巨大な大太刀を振り上げる。
「小春! ついに君のバグ技が封じられた! 今度こそ俺たちのように、正統派の剣術で戦うしかないぞ!」
夏目が剣を構え、絶叫する。
しかし、小春は全く焦る様子もなく、呆れたようにチッと舌打ちをした。
「バカね。突貫工事で仕様の穴を無理やり塞ぐとどうなるか、教えてあげる」
小春が視線を向ける先――江戸の町並みに設置された『看板のテクスチャ』や『歯車のオブジェクト』が、不自然にガクガクと震え、互いにめり込み合って激しい処理落ちを引き起こしていた。
「別の致命的なバグ(スパゲッティコード)が三つ増えるのが、クソゲーの基本でしょ? 運営の技術力で完璧な修正ができるわけないじゃん」
「「し、師匠!!」」
Tポーズに代わる「新たな仕様の穴」を見つけ、小春は不敵な笑みを浮かべて駆け出した。




