表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
脳心儀  作者: 八島秦
27/38

第二十五話 異族上陸、夕暮れに染まる血

【前書き】

 夕闇が昼と夜を切り裂き、港の裏に潜む濁った澱みを覆い隠す。

 海を渡り来た古き種族が凶刃を抜き、日常の街角が生死を分かつ刑場へと変貌する。

 異域の妖気が香港の路地裏へ忍び込む時、多勢を巻き込む大乱の幕開けを告げる、最初の一滴の血が静かに零れ落ちる。


 夕暮れの残陽がヴィクトリアハーバーの地平線へ沈み、燃えるような橙光が波面を染め上げる。西環埠頭一帯は薄靄に包まれ、錆びた貨物桟橋に時の重みが漂う。日中の喧騒が収まり、潮風の塩気だけが街中を這い回る。


 国籍旗の掲げられぬ無名の遠洋貨物船が、人目を避けた停泊地へ音もなく接岸した。


 エジプト四同盟の精鋭九十余名が、濃まる夕闇に紛れ次々と船を降りる。

 全員暗殺と殺陣に適した黒の戦闘服を身にまとい、勢力を示す紋章はすべて抹消。外見は普通の外国人旅行者に過ぎない。各人は暗号化スマートフォンを携え、三人一組の戦闘ユニットごとに情報を共有し、高度な連携体制を敷いていた。


 事前の計画通り、一行は三人単位に細分化。それぞれ別の路地を辿り埠頭を離れ、西環の入り組んだ古い街並みへ深く浸透していく。


 そのうち一組の「舌狩り」部隊が人気のない裏路地へ曲がった瞬間、巡回中の制服警官五名と不意に鉢合わせた。


 警官たちは、濃い異邦人の容貌と漂う尋常ならぬ気配に警戒を強める。漆黒の戦闘服は暮れゆく街並みの中で異様に浮き、不審者と判断した警官は立ち止まるよう合図し、身分確認のため一歩ずつ歩み寄る。


 彼らは知る由もない。目の前の三人が、エジプト四同盟最悪の殺戮集団「舌狩り」の戦士であることを。


 警官が言葉を発そうとした刹那、黒い袖から三筋の冷光が奔る。

 古代エジプトの禍々しい紋様が刻まれた曲刀が抜かれ、抑えきれぬ殺意が一気に爆発。常人の反射を凌駕する速さで、警官たちに銃を抜く暇も、防御する隙も与えない。


 短い衝撃音と断末魔の叫びが、路地裏に一瞬響き渡る。

 建物の隙間から漏れる夕陽の残光は、飛び散る熱い血潮により凄惨な朱色へ塗り替えられた。


 わずか数秒。五人の警官は冷たい石畳に倒れ伏した。


 舌狩りの戦士たちは無表情のまま刀の血を拭い、衣内へ収める。周囲に目撃者がないか確認した後、何事もなかったかのように歩を進め、香港の夕闇奥深くへ姿を消す。


 西環の裏路地に血の気が収まる同時刻、千里離れた桂林の深山では濃い霧が一登寺を丸ごと飲み込んでいた。


 古寺の回廊梁には数百年の埃が積もり、軒先の鈴は重い風に微かに鳴るだけ。秦陌、秦正霆、紀慕雲、紀慕雪の四人が禅房前に佇むと、淡い金色の靄の中に半透明の残影がゆらりと浮かび上がる。これは一登大師の残された霊体であり、自ら敷いた強固な禁制に縛られ、完全な姿を現せぬままこの地に留まっている。


 紀慕雲は足元を踏み締め、眉をひそめて問い直す。

「貴殿は何者か?なぜこの古寺に囚われている?」


 一登大師の残影は空洞な瞳で四人を見渡し、中年らしい重厚な声を響かせる。老けた響きは一切ない。

「自ら定めた禁制に閉じ込められ、俗世の名はもう意味をなさぬ。お前たちが離隠大師を探す理由は承知している。だが時が来ぬ限り、その行方を語れぬ。」


 秦陌の掌の逆龍印が不気味に明滅し、体内の龍脈気が古寺の霊力と激しく共鳴。四肢に細やかな痺れが走る。悪意はないと直感するものの、重い枷を背負い何か恐ろしき存在を封じ続ける圧力が肌を刺す。


 紀慕雪は腰の剣に手を添え、中庭に聳える万年イチョウの古木を鋭く見つめる。霧の中で枝葉が蠢き、深く根を張る姿は寺の秘密の根源に思えた。


 秦正霆は長年の経験から関連性を見抜く。

「もしや離隠大師の行方は、このイチョウの古木と切り離せぬのか?」


 この言葉をきっかけに残影の体が激しく震え、金色の靄が大きく渦を巻く。抑え込まれた凶悪な怨念が一瞬溢れ出すも、すぐ禁制に飲み込まれる。


「真実を早く知れば、千年の因縁の災いに巻き込まれるだけだ。徐福の間者は華南山間に深く浸透し、この地ももはや安全ではない。」


 声が途切れると、深山からフクロウの甲高い鳴き声が響き、霧の流れが急加速する。寺門外から、徐福配下・魂操使徒特有の青白い邪気が忍び寄る。


 紀慕雲の目つきが冷え切り、霧に包まれた山門を睨む。

「跡を追って、ここまで来たか。」


 長き静寂が打ち砕かれ、四人が核心情報を得ぬまま、徐福の刺客が桂林の奥深くへ迫りつつあった。


 視点は香港・大浪湾の龍隠山荘へ移る。闇が街を覆い、潮風が塩っぽい冷気を運び長廊を吹き抜ける。


 月化娘は月の結界を張り終えた後、奥の静かな部屋へ入り、戸に錠を下ろし外界の争いを遮断する。


 胸元に巻いた白い布を解くと、ひび割れ乾ききったイチョウの枯れ枝が掌に現れる。桂林の大木から切り取られたこの枝こそ、離隠大師の主たる残魂が宿る器である。


 室内の灯りが揺れ、壁に歪んだ影が踊る。気温が下がり、太古の濃密な霊気が枝から滲み出し、月化娘の周囲を不気味に漂う。


 耳に届かぬ思念が、直接彼女の心に響き渡る。


 銀灰色の髪をなびかせ、月化娘は枯れ枝を見つめ心の声で問う。

「一登大師に千年封じられながら、私の手を借りて香港へ来た。貴様はこの街で何を企んでいる?」


 枝の木目がゆっくりと蠢き、永き眠りから目覚めるように。千里離れた一登寺のイチョウ大木も無風のまま激しく枝葉を揺らし、山霧が荒れ狂う。


【結末の伏線】

 西環の血痕が乾かぬうち、エジプト四同盟は都市の隅々へ潜伏を進める。

 桂林の古寺では魂操使徒が迫り、一登大師は封印を守り続ける。

 一方、龍隠山荘の奥深く、千年封じられた離隠大師がイチョウの枯れ枝を媒介に香港へ降り立った。


 多勢の勢力が港湾都市に集結し、二千年に及ぶ陰陽の盤上戦が、ついに全面的な幕を開ける。


 ――第二十五話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ