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脳心儀  作者: 八島秦
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第十七話 砂の城陥落、流言の出所不明

【前書き】

 碁盤の勝負は強者だけの独り舞台ではない。

 闇に潜む駒が音もなく一手を打ち、盤外から運命を覆す殺し合いの陣だ。

 徐福は太古の帝魂を取り込み、千年に渡る覇気を掌中に収め、乱世を以って世を統べようとする。

 月化娘は身を隠して流言を撒き、先手を打って裏界の均衡を乱す。

 砂漠に戦火が突如燃え上がり、二大勢力は骨肉の争いを繰り広げる。

 出所不明の流言、痕跡残らぬ計略。

 真の駆け引きは戦場にあらず、人の心の奥に潜む陰謀の中にある。


 富士山に残った凶気は元朗の万人古墳へと漂い落ち、徐福は無事に太古帝魂の本源を摂り、霊体を変貌させた。遥か万里離れた西土砂漠では、両陣の死闘が白熱の極みに達していた。砂嵐が空を覆い、赤みがかった暴風が荒原全域を薙ぎ払う。獵舌者教団の黒衣大軍は墨の如き濁流となり、砂岩を掘り抜いて築かれた蝕沙之盟の地底総本山を次々と襲撃し続ける。以前より蝕沙之盟は意図的に偽情報を流し、わざと敵を誘き寄せ、戦乱の混乱に乗じて砂漠深部に散らばる脳心儀の破片を探そうと、砂仕掛けの陣と幾重もの砂壁を張り巡らせ、完璧な防備を敷いていた。


 開戦当初、土地の利と砂の仕掛けを活かし、蝕沙の門下は砂を操って敵を阻む。舞い上がる黄沙は縛り絞め殺す凶器となり、一時的に黒衣軍の進撃を食い止めた。だが獵舌者が修める専門の魂狩り呪術は、地脈の陰砂を練気の源とする蝕沙之盟に先天的に相性が悪い。呪詛の音が響くたび砂の気は霧散し、砂兵は機能を失い、防線は次々と崩れ落ちる。時が経つにつれ、実力差はあらわになる。蝕沙の末端門下は命を懸けて奮闘するも砂礫の上に屍を横たえ、数名の幹部は砂系秘術を心得ていても、首領率いる獵舌者幹部団の包囲攻撃には敵わず、幾重の砂盾は霊力で砕かれ、砕けた砂玉の法器は熱い砂に埋もれる。全局を読んで戦を餌にしていた蝕沙之盟はただ敗走を重ね、数百年かけて築いた総本山の外郭要塞は次々と陥落した。


 夕日が砂漠を紅く染める中、最後の内側石壁が轟音と共に崩れ落ちた。獵舌者の軍勢は次々と総本山の奥殿になだれ込む。薄暗い石室は荒廃し、残った蝕沙の生き残りは本殿中央に包囲された。獵舌首領は黒衣の列から進み出、フードの下の目は氷のように冷たく、足元に転がる砂くずを踏みつけ、傷つき地に座り込む蝕沙盟主のもとへ迫る。この死闘のきっかけとなった流言の内容はこうだ:「蝕沙之盟は密かに脳心儀の破片を大量に独占し、砂漠深部に隠し、裏界全体を欺いている」。情報は最初エジプトの裏街にある、ごくありふれたコンビニから流出し、各地を転々とし西土へ伝わった。脳心儀の鎮魂の力に目をつけた獵舌者は流言に惑わされ、宝を奪還する名目で全教を挙げて侵攻した。首領は身を屈め、指先に魂を蝕む冷気を凝縮させ盟主の眉間に近づけ、情け容赦ない口調で告げる。


「秘蔵した脳心儀の破片を渡せ、流言を流し両派を仲違いさせた内通者を差し出せ。そうすれば残りの部下の命を助け、蝕沙の血統を残してやる」


 傷だらけで力尽きた盟主は殿内に捕らわれた配下を眺め、疲労と困惑に包まれる。流言が突如裏界全域に広まって以来、全盟の密偵や支部の探子を動員し、末端の雑用から中枢幹部まで昼夜問わず身辺と情報の流れを徹底的に調べ上げた。長い沈黙の後、盟主はゆっくりと首を振り、乾いた声に無力さを滲ませて語る。「盟の誰一人として大量の脳心儀破片を隠しておらず、流言を流した者もいない。その流言はエジプトのコンビニから生まれたように突如出現し、一夜で西土の裏界に広がった。あらゆる情報筋を調べ尽くしたが、出所は一向に掴めなかった」


 一言が落ちた瞬間、殿内は静まり返る。獵舌首領は眉をひそめ、掌の噬魂霊力を静かに収める。復讐の怒りに燃えていたものの、不審な点に気づく。全教を率いて仇討ちに乗り込み敵の本拠を落としたのに、相手さえ流言の出所を知らない。二大巨頭は何者かの手駒とされ、根拠のない流言で争わされ、多大な犠牲を出して勢力を大きく損なったのだ。周囲の幹部たちは囁き合い、殲滅しようとした殺意は冷めていく。このまま全滅させれば、陰で計略を巡らす黒幕の思う壺、両敗した末に漁夫の利を与えるだけだ。首領はしばし思案した末、即断を下し、蝕沙の生き残りの命を暫く赦す。盟主と中枢幹部だけを総本山の脇殿に軟禁し、かつての仇敵は休戦を結び秘密協定を締結。双方の情報網を統合し、手の平から生まれた不可解な流言の出所を密かに追跡することになった。砂漠の戦火は一時収まり、黄沙が死体や武器の破片をゆっくりと埋めていく。


 広西の深山、雲に包まれた木造の庵。紀慕雪は家事をしながら、遠方の砂漠大戦と流言の真相には全く知らない。彼女と紀慕雲は香港からの脱出劇に当初関与していなかった。香港を飛行機で逃げ出す以前、月化娘はまだ香港に身を置いたまま、自身の霊力を用い遠隔で無記名の密書を作成、霊気で誘導してエジプトの裏街にある、ごくありふれたコンビニに無音で届けていた。手跡も気配も残さぬ文面には「蝕沙が脳心儀破片を独占」との記述のみ。書状が店員の手を経て裏界の密偵の手に渡った瞬間、流言は瞬く間に四方へ拡散した。計略が完了した後、月化娘は秦陌・秦正霆と共に香港を離れ、私設飛行機に乗り北京へ向かう予定だった。だが搭乗の瞬間、徐福の一撃を受け重傷を負う。霊力の衝撃で機体が損壊し原定ルートを飛べず、臨時で進路を変更し広西の民間飛行場に緊急着陸。秦陌親子は重傷で衰弱した月化娘を伴い、深山に隠棲する紀慕雲兄妹を頼り、庵で療養することとなった。


 今、月化娘は一人窓辺に立ち西の砂漠を眺め、白いワンピースの衣が靄に佇む。表情は穏やかに見えるが腹の中には計略が張り巡らされている。徐福が乱世を支配しようとするのなら、先手で砂漠の戦火を引き起こし二勢力を内紛させ、徐福が脳心儀破片回収に横槍を入れる隙を奪う。これで千年の碁の流れを狂わせるのが彼女の狙い。流言の計画は香港で負傷する前に全て完了していた。一方香港元朗の万人古墳、冷たい風が荒廃した墓道を吹き抜ける。徐福は墓の入り口に黒ロングコートを身にまとい佇み、先ほど体内に取り込んだ太古帝魂の気配を隠したまま、流言の気脈を辿って真相を看破。文書は香港にいた月化娘が遠隔で送ったものだと知る。


 唇に淡い笑みを浮かべ怒ることなく、好敵手との邂逅を楽しむように呟く。

「飛行機で負傷する前、香港から遠く一手を打ち、エジプトのコンビニに偽情報を届け西土の情勢を乱すとは。せいぜい足掻くがいい、盤上の行方を変え、私の計略から逃れようと必死だな。構わない、じっくり勝負しよう。最後に誰が全局を握るか、見極めようではないか」


 千里離れた広西の山階では秦陌が体内で暴れる帝王の凶気に苦しめられ、暗金色の竪瞳が時折浮かんでは消える。守霊師の執行者たちは慎重に見張り、手を出せずにいる。守霊師本部では上層部が秦陌を厳重監視し、帝王の力が完全に覚醒した瞬間に捕獲する機会をうかがう。曉光会は相変わらず聖者を装い、市井で特殊な素質を持つ人間を選別し続けている。砂の城は陥落し、流言の手がかりはエジプトのコンビニのみという薄い痕跡しか残らず、黒幕の正体は究明困難。影の中に潜む二人の策士が遠隔で碁を打ち、裏界全体は新たな駆け引きの渦に飲まれた。


 ラスト懸念


 砂の城が陥落し、二大裏界勢力は両敗の末に打ちひしがれた。

 獵舌者と蝕沙之盟はあらゆる糸口を探し尽くすも流言の出所を掴めず、真相を破壊した偽情報の出発点が、エジプト街中の無名コンビニであることだけが分かる。


 誰も知らず、気づかぬまま——

 この一手は月化娘が香港で負傷する前に、遠隔で打ち定めた千年の反撃の一手だった。


 元朗の古墳に佇む徐福の瞳の奥に、仄かな光が沈む。

 糸を辿り真相を知った彼は、はっきり悟る。


 乱世の碁を打てるのは自分一人ではない。

 盤外に隠れる白衣の女は、静かに、自分が千年かけて組んだ運命の碁を崩そうとしている。


 次話、双方の計略が正面から衝突する。


 第十七話 了

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