第10話 「子どもが大きくなるの見たい」
六月に入ってから、さやかさんの顔が少し変わった。
具体的に何が変わったかは、うまく言葉にできない。
明るさは変わらない。
笑う。
話す。
「食堂のランチ、今日は当たりでした」と報告してくる。
でも何かが、薄くなっている。
顔の下の層にあるものが変わってきた、という感覚だった。
七年で育ったその感覚を、私はできるだけ信じないようにしていた。
信じると、余計なものを背負いすぎるから。
でもさやかさんに関しては、信じないようにするほど、その感覚が強くなった。
化学療法の副作用が出始めていた。
吐き気、倦怠感、食欲の低下。
さやかさんは「全然食べられなくて困ってます」と笑いながら言った。
「体重、減りましたか」
「少し。でも旦那が『それくらい大丈夫』って言うんですよ、バカじゃないですか」
「心配させたくないんじゃないですか」
「でも数字は正直に言ってほしいんですよね、バカにしないでほしいというか」
私は「そうですね」と言った。
自分のことを言われているようで、少し胸が痛かった。
私も患者に「大丈夫ですよ」と言うことがある。
それが全部正確ではないことを、知っていて言っている。
ある日の見回りで、さやかさんが窓の外を見ていた。
声をかけると振り返って笑ったが、今日は少し時間がかかった。
「疲れましたか」
「うん、少し。ごめんなさい、ぼうっとしてた」
「いいえ」
「外、見てたんです」さやかさんが窓の方を向いた。
「うちの子、もう少ししたら夏祭りの時期で。去年は一緒に行ったんですよね」
「今年は行けそうですか」
「どうだろう。退院できてたら、行けるかな」
さやかさんは少し考えてから「行きたいな」と言った。
「浴衣着せたらかわいいんですよ、まだ着付けが大変だけど」
「かわいそうですね、暑いし」
「でも着せたいんですよ、親心ってそういうもんで」さやかさんがまた笑った。
「子どもが大きくなるの見たいんですよね、私。夏祭りとか、小学校とか、卒業とか。ちゃんと全部見ていたい」
「見られますよ」
言ってから、止まれなかったことを少し後悔した。
「慣れますよ」と同じだ、と思った。
言っていい言葉と言えない言葉の境界線が、今日は少しずれていた。
さやかさんは「そうですよね」と言った。
笑っていたが、その笑いの層の下に、さっきより深いものが見えた気がした。
翌週の見回りのとき、さやかさんが私に言った。
「白石さんって、先生のこと、どう思いますか」
「木本先生のことですか」
「笑わないじゃないですか、先生。怖い顔してる。でも私のことを診るとき、手が温かいんです。いつも。聴診器当てるときとか、触れるときとか」
「そうですか」
「この前も、腹部の触診してもらったとき、すごく丁寧に触れてくれて。怖い顔してるのに、手が優しいんですよね」
さやかさんは少し首を傾けた。
「あれって、意識してやってるんですかね。それとも無意識ですか」
私には答えられなかった。
「分からないですね、私には」
「白石さんも気になりますよね? あの先生のこと」
さやかさんが笑いながら言った。
からかっているわけではなく、純粋に聞いている顔だった。
私は「気になる、というか」と言いかけて、止めた。
「仕事上で気になることはありますよ」と言った。
「仕事上で、ね」さやかさんはまた笑った。
「なんか、二人でいるの、廊下でたまに見かけるんですよね。朝」
「夜勤明けに少し話すことがあって」
「いいですね、そういうの」
私は答えなかった。
その夜勤明け、いつものベンチで、私はさやかさんのことを話した。
「さやかさん、副作用が出てきてて」
「はい」
「本人は明るく話してますけど、なんか、少し変わってきてる気がして」
木本先生は少しの間、前を向いていた。
それから「次の検査の数値を見てから、治療の方針を調整する予定です」と言った。
そういうことじゃない、と今回も思った。
でも今日は前みたいに「そういうことじゃない」と感じることが、少し薄かった。
彼がそう答えるのを知っていたから。
木本先生が患者の話をするとき、いつも情報の形で返す。
それが「彼の言い方」だと、少しずつ分かってきていた。
理解したわけではない。
ただ、パターンを知った。
「さやかさんが、子どもが大きくなるの見たいって言ってました」
言ってから、なぜ言ったのか分からなかった。
情報として意味がある話ではない。
ただ、今日そのことが頭に残っていたから、口から出た。
木本先生は少し間を置いた。
「そうですか」
いつも通りの言葉だった。
でも今日は「そうですか」の前に、少しだけ間があった。
コンマ数秒の、短い沈黙。
それが何を意味するのか分からなかった。
でも私は、それを聞いた。
聞いてしまった。
帰り道、電車の中で、さやかさんの言葉を繰り返した。
子どもが大きくなるの見たい。
当たり前のことだった。
当たり前すぎて、そこに切実さがある。
夏祭り、小学校、卒業。
そのどれかを、見られないかもしれないと考えたとき、私の中で何かが重くなった。
七年間で何人もの患者と話してきた。
その全員の言葉を記憶しているわけではない。
忘れることも、仕事を続けるためには必要だと分かっていた。
でもさやかさんの「見たい」は、今日の帰り道でも残っていた。
電車の窓の外を流れる街を見ながら、私は「木本先生は、さやかさんの言葉を覚えているだろうか」と思った。
それから「なんでそんなことを考えているんだろう」と思った。
答えは出なかった。
駅に着いた。
降りた。
改札を出た。
帰り道の空気が、少しだけ夏のにおいがした。




