幕間4-2
あたしたちが休んでいる間も、カストルさんは窓の縁を執拗に磨いている。相当手強い汚れがあるみたいだった。それにしても、三角巾が本当に似合わないな……
「……そういえば、前は内勤部隊の隊長にしっかりしている人がいたから、総出で掃除するなんてことにはならなかったって聞いたけど」
あたしは似合わないことをさせられている師を見て、ふと思い出したことをミキさんに尋ねた。ミキさんはその話題を投げかけられると、背筋を伸ばすように身を強ばらせる。
「今はいないってこと? その人」
「え、あーっと……」
ミキさんはあからさまに気まずそうな声を吐き出して、ちらっとカストルさんを見た。カストルさんも、あたしの言葉に少し動きを止めたようだけど、気にせず汚れに向かい直している。
ミキさんはそれを見て、あたしに目線を戻した。
「アンリさん……えと、サナさんの言う方ですね、確かに今はいないです。でも亡くなった訳では無いですよ」
「……ふぅん」
ミキさんのその言葉で、あたしはそれ以上の質問をやめておくことにする。
わざわざ聞いてもいないのに、死んではいないなんて言うということは、怪我でもして引退ってことだろう。
内勤部隊は、話を聞くに拠点内の仕事が多い。それなのに、仕事を続けられないほどの怪我をした……それは、内部で何かしらの事件があったということだ。
そこまで想像はできたから、これ以上はミキさんに聞くべきじゃない。
「よし、続きやりましょうか。コウくんが退屈そうなので」
「そうっすよー、なんか急にサナがよく分からねえ話するから。ちゃっちゃと終わらせて、ハルキさんに小遣い強請りに行こうぜ」
磨いたばかりの床にだらけていたコウが、あたしの背を叩いてきた。痛いんだけど。でも、コウを放って話をするのは、確かに良くなかったかも。仕方ないからお詫びに、また競走してあげよう。
廊下を磨き終えて、窓を拭いて、腕がじんじん痛むほど働いた頃には、綺麗になった窓から赤い陽が差し込んだ。
ミキさんやカストルさんに感謝をされながら、コウに言われた通りハルキさんに報告に行く。団長執務室の扉を開けると、どこか落ち着く香りが鼻をくすぐった。
「おう、お疲れさん。今しがた湯が湧いたところだ、なにか飲むか?」
そこにはどうやら自分の仕事を終えたらしいハルキさんが、ティーカップを片手に長椅子で足を伸ばしている。
香りの正体はその中身である紅茶らしい。ちらと部屋を見回せば、今朝来た時よりも、部屋が随分と綺麗だった。
「暇になってるんなら手伝いに来てくださいよぉ、俺コーヒー飲んでみたい!」
「束の間の休憩だわ。お前にはジンジャーティーだ、コーヒーはまだ早い。サナは?」
コウの好みを熟知しているのか、聞いた割には飲むものを指定しているハルキさん。あたしは、紅茶もコーヒーも飲んだことがないから、聞かれたところで想像つかなかった。
少し黙っていると、ハルキさんがお任せでいいなとあたしに確認を取りつつ、支度を始める。
出てきたのは、少し赤みかかった白い飲み物だった。香りは、僅かにツンとしているけど、やっぱりなぜか胸の辺りが暖かくなる。
「濃いめの茶葉を使ったミルクティーだ。初心者向けでもあるかと思って」
ハルキさんからの解説に頷きつつ、あたしはティーカップに口を付けた。豊かな香りと、キレもある渋み……それをまろやかなミルクが包み込むように和らげる。
「……おいしい」
「お、良かったなコウ。お前がサナの好きな物を延々と語った賜物だぜ。濃い味が好きとか、甘いのは深みがあった方が好きとか」
満足気に微笑みながら、ハルキさんはコウを見た。あんた、普段からそんなこと話してたんだ。意外とマメにあたしのこと見てるよね。コウなら別に、嫌じゃないけど。
「サナばっか語ってねえし! ユートやヒメさんの話もしてたし!」
「……突っ込むとこ、そこなの?」
顔を赤くして反論するコウに、思わずくだらないことが口から零れる。ハルキさんはそれを豪快に笑った。
「それで、お前たちはこの先どうするんだ」
三人で静かに喉を潤していると、ハルキさんが唐突に切り出す。主語のない語り口に、あたしたちは首を傾げた。
この先って、どの先。
「ユートとユーナ様が望みを叶えて、その後……冒険の終わりにはどうするつもりなんだ」
問われて初めて気付いた。あたしはハルキさんの言う、先のことを考えていない。
ぼんやりとした展望はある。今まで傷つけた人の数だけ、助けていきたい。
でも、それに具体性はなかった。コウも何だか悩んでいる。
「もし迷っているなら、ここに入らないか。このコルアン兵士団にさ」
ハルキさんはそういうと、表情を和らげた。一番言いたかったのはそれなんだなと、あたしは今日一日の意味を見い出す。
兵士になる提案をするために、現役の兵士と共に仕事をさせたのだ。なんというか、回りくどい。
「お前たちがしてきたことは、簡単に許されることじゃねぇ。自国にでも戻れば、いい死に方はしないだろう……だが、俺はそれが惜しい」
ハルキさんは目を伏せ、あたしたちの未来を憂うように低い声で続けた。伸びたまつ毛に湯気がかかって、小さな水の粒が落ちる。本当に小さかった粒は、宙で儚く消えていった。
あたしたちは、それだけ危うい存在なのかもしれない。でも、見開かれた翡翠のような瞳に宿る強い光に、あたしはどこか安堵を覚える。
「お前たちはきっと、この旅路で変わっただろ? これから前を向いて、真っ直ぐ進もうとしている……それを、俺は見捨てたくねぇ」
ハルキさんが握りしめた両手は、決意の硬さと願いが込められているように見えた。
兵士として、していい発言ではないと思う。罪を犯したものを処罰し、次が無いようにと戒める……それが、コルアンの兵士の平和の守り方のはずだ。
あたしたちは、何も罰を受けていない。心変わりした証拠も、それを信じさせるだけの涙も流していなかった。
それなのに、ハルキさんはあたしたちが許されるべきなんて、戯言を吐いている。それが分かっているのに、あたしは込み上げる嬉しさに顔が緩んだ。
あたしにも、たくさん人を殺してきたあたしにも、チャンスってあるのかな。あっても、いいのかな。
「俺が、お前たちを守る。だからこれからは兵士として、人々の安寧のために力を尽くさないか」
ハルキさんは真剣な眼差しで言い切った。
でも、あたしはそこで気付いてしまう。強く発された「俺が」という言葉。
それは、あたしたちへの許しも保護も、ハルキさんの独断で、世間の声ではないということに。
いや、分かってはいたけど、あたしは冷静になった。それは、そこまでされるのは、違うんじゃないかと思う。
コウも同じことを思ったのか、ハッとした顔で固まった。そして、しばらく考え込むように押し黙ると、強く拳を握る。
「ハルキさん、俺は兵士になりたいよ。でも、それはあんたの保護下で叶えたいものじゃねえ。俺の力で、罪を償いながら成したい」
「あたしも、許されていい人生じゃなかった。だからこそ、自分の手で塗り替えていきたいの。守ってもらう筋合いはないよ」
あたしたちが揃って差し出された手を拒否すると、ハルキさんは誇らしげに微笑んだ。相当な覚悟を決めた上での提案だったはずなのに、落ち込まないどころか動揺もしないんだね。
「はっ、試した訳でもなく本気だったが、立派な奴らだな……確かに、お前らの為になるかどうかまでは、責任取れねぇ提案だった」
ハルキさんは肩の荷がおりたように明るく笑うと、立ち上がってカップを片付けた。
乗っていたら、その背に重い責任がのしかかっていたんだろうなと思うと、さすがに罪悪感がある。人を助けたいという夢に、逆らっていることだった。
断って正解。でも、許される近道を失ったようにも思えて、あたしは結局、この先どうするかは考えつかなかった。
そのうち、あたしたちはルトさんの家への帰路に着く。日が沈みかかった街を、二人で並んで歩いた。
「そんな暗い顔すんなよ、サナ。まだユートたちは帰ってきてすらいないんだぜ、悩む時間はあるだろ」
コウはあたしの肩を軽く叩くと、前へと進み出る。
それはそうなんだけど、ただ結論を出すことを先延ばしにしているだけだ。必ず、いつかは答えを見つけなきゃいけない。
あたしが黙っていると、コウは目を見開いて立ち止まった。刺すような瞳に目を合わせられない。傾いた陽の光に、影は長く濃く伸びていく。
「ハルキさんと同じことを言うわけじゃねえけどさ」
長いこと悩んだコウはそう切り出した。砂を擦る音で、私に身体を向けたのがわかる。顔を上げれば、夕陽が作る影の中で、明るい笑顔が見えた。
「間違いは正せるから、深く悔やまなくていいと思う。これから誠実に答えていけば、サナは好きなことをしてもいいと思うんだ」
好きなことをしてもいい、そう言うコウの緑玉のような瞳は、真っ直ぐな光を反射させる。あたしに多くを望んでもいいと、これからの人生を謳歌してもいいのだと示した。
あたしは唇を固く結ぶ。うんとも、違うとも言えなかった。そんなあたしに、コウは迷うように声を漏らすと、あたしに近づいてくる。
そして、肩に手を乗せてきた。顔をあげると、相も変わらず真っ直ぐにこちらを見ている。その開いた口から、コウらしくない穏やかな声が出てきた。
「何より、俺はサナが殺した人やそれで悲しみに落ちた人よりも、サナが好きだし大事。サナにはもっと笑っていて欲しいんだ」
全部は自分のために言っていると、コウは付け加える。それもハルキさんの真似のようで、でもそれ以上にあたしを想ってのことだってのはわかった。
なんだか顔が熱くなる。もしかしたら、コウはここ最近落ち込んでいたあたしのことを、ずっと気にしていたのかもしれない。
そうじゃないと、わざわざ飽きもせずにあたしのことを鍛錬に誘わないし、こんな風に励ますこともないだろう。同じ影の世界の人間として、コウはあたしに救われて欲しいんだ。
「……ありがとう。考えるよ、自分のやりたいことと、精算が両立できる……新しい道を」
気を使われてばかりじゃ癪。だから、いい加減にしっかりしないと。ばかコウに助けられるなんて、情けないからね……ってことは、今回は本人に向かってからかい半分で言わないでおこう。
でも、不安の種はあたしの未来ばかりじゃない。それよりも大きいものが、すぐ近くにあった。
「ユートたちが帰ってこないと、考えたところでその道に進み出すこともできないんだけどね」
「ほんとだよなぁ。いつ帰ってくるんだろ、そろそろユートのアホ面とヒメさんの可愛い顔が恋しいよ」
二人が帰ってこない限り、あたしたちは新たなスタートを切ることはできない。それはまるで、身体縛り付けられているような苦しみがあった。
ねぇ、二人ともどうしているの。大丈夫なの?
今までみたいに、あたしも二人のこと後ろから支えるからさ……二人だけで苦しまないでよね。
真っ赤な夕陽すらも静まって、街は暗がりに沈んだ。あと何日、あと何週間、こんな日々をあたしたちは過ごすんだろう。そんなことを考えて、どこか胸が重くなった。




