5-3
少し離れたところに、横たわる自分の片割れがいた。その周りは赤い水溜まりができあがっている。
「……あ……あ、あぁ、だめ……嘘」
壁に体重を預けながら、ユーナは自分のふらついた身体を起こした。受けた衝撃で思い通りに動かない身体に苛立ちを覚えるほど、彼女は急く。ユートの元に辿り着くと、身体が崩れ落ちた。
「ま、まだ暖かい……でも、ユート……!」
名前を幾度と呼んでも、返事どころか反応が一切返ってこない。出血量からして、致命的な損傷であることは見て取れた。意識が無くなっているどころか、呼吸さえ怪しい。今にも死んでしまいそうなユートに、ユーナは涙が溢れ出る。
「いや、いや……! やっと、やっと会えたのに……ッ」
混乱と悲痛で思考が乱れた。その中で、自分に何ができるのか、ユーナは必死に考える。止血をするにも、震える手では満足に圧迫もできない。それよりも血が足りない。分け与えるにも道具がない。
奇跡に頼るしかない状況で、そのための道具は先程の戦いで砂になった。
しかし、まだ手はある──
「ユーナ様、今後魔法を使う時は必ず補助道具をご利用ください」
ユーナがそう忠告を受けたのは、テナートに降り立ってから一年ほど経った頃だった。
「本日のことで分かったかと思いますが……貴女には何らかの欠陥があり、魔法を使うと身体に大きな負担がかかります」
「でも、皆さんを助けたくて……」
「その気持ちは汲みます。だから、このロッドを介して使うようにしてください。そうすれば、貴女の身体に害がなされることが──」
助ける手立てを考えている最中、蘇った記憶は彼女にとってブレーキだった。
ロッド無しで魔法は使ってはいけない。あの時はまだ幼かったから、自力で魔法を使っても強い目眩と頭痛がした程度で済んだ。それが今はどうなるのか、予想もできない。最悪、死ぬことだって有り得る。そう言われた。
しかし、目の前で死にゆくユートがいるのに、自分の身を案じることなど、ユーナにはない。
「……死なせない、絶対に死なせない……‼」
ユートの身体に手をかざし、ユーナは瞳を閉じる。深呼吸をして、自身の体内に流れる魔力を感じた。それらを手のひらから、ユートの身体へと魔力を流し、循環の輪に取り入れる想像をする。ここまではいつも通り。
「……生命神様、お願いします。彼の傷を癒してください。肉を繋ぎ、皮を纏わせ、血が巡る身体に、お戻しください」
それは神への祈り。現代では上級魔法と呼ばれる、神々の力を借りて奇跡を起こす魔法の詠唱だ。ユーナがそれを呟くと、彼女の手とユートの身体は光を纏う。
その光が視界を染めるまで広がったと思えば、それは一瞬で過ぎて元の視界に戻った。
「……っふぅ……」
魔法を使ったあと、ユーナはいつもよりも強い倦怠感を覚える。しかし、想定していたものよりもずっと軽かった。それならば、ユートの無事を確認する方がずっと早急にやるべき事である。傷は塞がっているが、問題は中だ。
「……! …………ト!」
泥沼に溶け込んで形も無くなった意識が、外からの刺激で形を戻していく。その刺激が音であり、声であると認識して、自分の身体を探した。呼ばれている、起きなければ。
「……ート! ……ユート!」
名前を呼ばれて、ユートは重たい瞼を開けた。何時間も眠っていた感覚に、意識がはっきりするまでに時間がかかる。まだ焦点が定まらないぼやけた視界の中で、ユーナが涙ぐんでいるのを見て飛び起きた。
「お、オレ死んッ……でない!」
「よかった……起きてくれた……!」
周りが血で濡れていることから、腹を貫かれ倒れた記憶が本物であることをユートは確信する。しかし、ユートは自分の身体を触って、その記憶との齟齬を覚えた。
傷が元から何も無かったかのように消えているのだ。こんなにも血が出たというのに、身体は戦う前の万全な状態で、苦しさや吐き気もない。それが奇跡の力だということも、すぐに考えついた。
「ユーナ! ありがと……あれ、ロッドはどうしたの?」
「失くなっちゃった。でも、魔法使えたよ! 大丈夫!」
そう元気に言うユーナであったが、ユートからは笑顔が抜け落ちる。
ユーナの様子はどう見てもおかしかった。自覚できていないユーナは、ユートの反応に首を傾げる。
「ユーナの顔色……すごく悪いよ。どこか、痛いところない……?」
「……え? なんともな──」
平気だと返事をしようとしたところで、ぽたりとユーナの手に落ちるものを感じた。生暖かいそれに目を向けると、赤い点が見える。
「ユーナ、鼻血が!」
「え、あ……?」
驚く間もなく、ユーナの視界は掻き回され、歪んでいった。激しい頭痛がしたかと思えば、視界がこの世のものではなくなる。
色という色がぐるりと混ざったその渦に吸い込まれて、ユーナの意識が遠のいた。
「ちょ、ユーナ! ユーナしっかり!」
彼女の耳にユートの切羽詰まった声が聞こえたのが最後。何かが切断されたように、意識が暗転する。
「……遅くない? あの二人」
「遅いなぁ。過去最高に遅い」
祠の中で何が起きたかを、全く知る由もないコウとサナはつまらなそうに呟いた。木に腰掛けながら、ぼうっと祠を眺めている。
「中に入ってみる?」
「うーん、入っていいのかねえ」
人が作ったものにしては、奇妙な形をしている祠が二人を見下ろした。
何のために作られたのか、分からない今は侵入すら拒まれる。中に入った途端に体調が悪くなるとか、弾かれて怪我をするとか、二人はそんなことを考えた。
しかし、様子を見に行きたいほど心配なのも同じだ。
「……入ってみるかぁ!」
「死ぬかもしれないよ?」
「そんな物騒なものなら行方不明事件とか連発してると思うぞ?」
「逆に、簡単に入れるなら情報がもっとあってもいいと思う」
何度か会話を交わしていると、二人は軽く喧嘩のようになる。ギャンギャンと喚きそうになったところで、サナがコウの眼前に手をかざして、黙るように制した。
「んだよ、結局お前はどうし──」
「足音。ユートが走ってくる」
そう言われてコウは祠に向き直す。その深い影の中から、人らしい輪郭が見えた。それは何かを抱えている。二人が目を凝らして見ると、泣きそうな顔でユーナを抱えて走ってくるユートが出てきた。
「おい、どうした⁉ ユートお前……血だらけじゃんか!」
「オレはいいの! でもユーナが起きなくて、どうしよう……どうしようどうしよう!!」
「いいから、一旦ユーナを寝かせて。確認だけど、あんた怪我はしてないの?」
ユートはサナに促されて、ユーナをゆっくり地面に横たわらせる。すかさずコウが荷物で枕を作って、容態を確認した。
ユートは怪我のことを含め、事の顛末を説明する。
「悪魔……まさか狙われていたってわけね」
「ユーナ、無茶しちゃったんだよ。このまま起きなかったらどうしよう……」
震える声で弱々しく反省を見せるユートに、サナは吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。あんたのせいじゃない、なんて気休めばかりの残酷なことを言うべき状態ではない。コウはユートの背中を黙って撫でているくらいだ。
「とにかく、誰かに診てもらった方がいい。ここコルアンでしょ? あんた、どこか宛はないわけ?」
深呼吸をしてから、ゆったりと余裕を与えるように尋ねたサナ。ユートはそれを受けて冷静さを取り戻し、真剣に考える。
「……もう少し歩けば、オレが育った家があるはず。きっと一晩もかからないよ」
「頼りになるの?」
「医者がいるんだ。きっと助けてくれる」
ユートが真っ直ぐな瞳で返答をすると、サナも信頼に足ると思ったのかすぐに立ち上がった。
四人の記憶を巡る旅は一時休止。分厚い雲は青い空を隠すように、四人の上に広がっていた。




