第392話
リアナを護衛たちと共に残し、ネーレは単独で逃げ出した敵の後を追う。
しばらく高速で移動していると、やがてその索敵範囲内に人間らしき多数の魔力反応を見つけて速度を緩めた。
「ふむ……あの幼子が今では我の身を案じるようになったか」
先ほどリアナから向けられた言葉を噛みしめて、ネーレは刻の流れを改めて実感する。
アルディスと、そして双子と出会ってからまだたったの十年かそこら。
長い年月を生きてきたネーレにしてみれば、瞬く間のような時間だった。
その刹那でこうも成長を見せるのが人間というものである。
人の成長を見守り、促し、見出すことを使命とするネーレにとって、それは喜びであると同時に失意を伴う現実であった。
ネーレから見ても今現在、双子は人類の中で上位に位置する強者である。
人間単体が持ちうる生存能力として見れば十分な域に達しているだろう。
「しかし……」
それでも『白扉』を打ち破るには到底足りない。
そもそも本来なら白扉を人間が打ち破るようなことがあってはならないのだから、当然のことだ。
重火器の助けもなく白扉を生身の人間が打ち破ろうというのは、それだけ大それた考えである。
だがそれを成さねばならないのがこの世界の現実だった。
どれだけ困難であろうと、どれだけ無理難題であろうと、白扉の向こうへたどり着けなければすべてが失われる。
もちろん人間にとってはそのような泡沫の世だとしても、意味の無いこととは限らない。
すべてが失われるまでの過程も人類の歴史であり、今生きている人間にとってはそれがすべてである。
誰も自分が死んだ後の遙か未来に起こる崩壊など気にしないだろう。
だがネーレたちは違う。
ネーレたちにとっては受け入れられない未来であり、それを回避して人類を存続させることが彼の方の誠実で独りよがりな願いでもあるからだ。
「我が主の異常性がそれだけ際立つと言えような」
今この世界において白扉を開ける人物がいるとすれば、それはアルディス以外にいないだろう。
もともと人間としては規格外の力を持ち得ながら、その不足をなぜか理解するという矛盾のある人物だ。
練能のセーラから手解きを受け、魔力の扱いに慣れてきた今となっては、歴代の主を凌駕するほどの力を身につけつつある。
「末は魔王か英雄か……」
白扉を開いてくれさえすれば、ネーレにとってはどちらでも良いことだった。
今はただ、アルディスの障害となる弱者の露払いを粛々と行うだけ。
余計なものに主の時間と手間を取らせないよう整えるのも、従者としての務めである。
「そこが根城か」
やがて追っていた敵の反応が山の中で一箇所に収束していく。
バラバラになって逃げていた抵抗組織の戦力が集まるその場所が彼らの拠点なのだろう。
もちろん他にも拠点はあるだろうが、少なくともこの場に敵戦力の大半が集結していることに間違いはない。
魔力反応を追って見つけたのは、経年劣化でボロボロになった石造りの建物。
長年放置されていたであろう外観は、古い時代に建てられた狩人の共有小屋に見えた。
利用する者がいなくなった後、破却されることもなく忘れ去られた建物が盗賊のねぐらに使われることは良くある。
今回は利用する者が盗賊ではなく不穏分子だった、というだけの話だろう。
「さて、建屋ごと押しつぶしても構わぬのだが……」
個人的にふりかかる火の粉を払うだけならそれで問題ない。
だが今回は抵抗組織を壊滅させるという政治目的を持った作戦である。
ならばその成果を万人に理解させるだけの証拠も必要だ。
首謀者の捕縛や証拠品の押収も行わず、ネーレひとりが結果を報告したところで誰もが納得するわけではない。
アルディスや双子は信じるだろうが、それ以外の人間は違うだろう。
「ここが本拠というわけでもなかろう。……証拠品の類いはあてにならぬか」
ならば首謀者を捕縛するか、あるいは討ち取ってその首を持ち帰る必要がある。
「人数は……十五人か」
小屋の中にある魔力反応を数え、ネーレは同時にこれ以上近付いてくる人間がいないことを確かめる。
大して強い反応も見られない。
正面からぶつかっても問題ないと判断したネーレが、崩れかけの石壁に向けて魔術を放つ。
突如発生した轟音と衝撃に空気が揺れ、驚いた鳥たちが周囲の木々から慌てて飛び立っていった。
魔術的な守りなどあるはずもない小屋の石壁があっけなく崩れ去る。
その中から混乱気味ながらも状況を正しく認識する声が響いた。
「追っ手だぞ! 武器を取れ!」
声に背を押されたのか、石壁の瓦礫に押しつぶされたふたりを除く十三名が武器を手にして小屋を出てきた。
先頭に立つのは赤みのある茶髪を持った中年の男である。
その男がネーレの姿を見つけるなり目を見開いた。
「貴様は……!」
驚愕に包まれていた顔が歪み、親の仇を見るかのような目をネーレに向けてきた。
「はて? いずこかで会うたことがあるかね?」
何の感情も見せずにネーレがそう問いかけると、ますます男の表情に憎悪が増す。
「記憶にないとでも言うのか、女! 貴様に受けた恥辱の数々、貴様が忘れても私は一時たりとて忘れたことはない!」
歯ぎしりの音が聞こえそうなくらい食いしばり、男がネーレを睨んでくる。
「デッケン殿?」
そんな男の様子に不安を抱いたのだろうか。
となりにいた仲間のひとりが、男の名らしきものを口にした。
「デッケン……?」
デッケンと呼ばれた男をしげしげと眺めつつ、ネーレは記憶をたぐり寄せる。
やがてたどり着いたのは十年前のとある一件だった。
十年前、ネーレがアルディスと出会った頃に、同じ名の男と関わりを持ったことを思い出したのだ。
当時ナグラス王国の一部であったトリア侯爵領で強者を探していたネーレが領主に呼び出しを受け、その際に領主側の希望で手合わせを行った。
その相手がデッケンという名であった。
手合わせの結果は当然ながらネーレの圧勝。
仕える主の前で難癖の付けようもないほどに惨敗した小隊長、というのが当時の彼だった。
「ああ……あの豚に仕えておった半端者か」
ネーレから見ればトリア国王――当時のトリア侯爵は『知性のない下劣で貪欲な豚』としか言いようのない愚物であった。
その配下であった男など、さらに憶えておく必要性のない存在である。
「半端者!? 代々トリア侯爵家に仕えた由緒ある血筋の私を、言うに事欠いて半端者だと!」
ネーレの態度から関心の無さが伝わったのか、それともかつての主君を貶められたのが許せないのか、デッケンは額の血管を浮き上がらせて憤怒の表情を見せる。
「十年経ってもその程度というのがなによりの証拠であろう」
あいも変わらずデッケンがネーレの力を下に見ていることは、言動からありありと伝わってくる。
十年の歳月が流れても、いまだに彼我の実力差を推し測ることすらできないらしい。
先ほどの戦いで彼らの仲間をことごとく打ち倒した魔術の使い手が、今目の前にいる人物だと想像もできないのだろう。
今しがた小屋の石壁が破壊されたのはどうしてなのか、それすらも思考の外にあるらしい。
「礼儀も品性も持たぬその傲慢さのツケを、今こそ払わせてやる!」
「同じ十年でこうも差がつくものか……」
先ほどリアナに対して感じた十年という歳月を、今度はまた違った意味で見せつけられる。
リアナの十年とデッケンの十年、どこにその差が生まれる要因があったのか。
そんな疑問をデッケンにぶつけたところで帰ってくるのは罵倒だけだろう。
そもそも十年経っても姿形の変わらぬネーレに疑問を抱かない程には、冷静さを失っているとみえた。
会話をしようと考えることが根本的に間違っているのかもしれない。
「囲め! 相手は細身の女傭兵ひとりだ、絶対に逃がすな!」
デッケンの号令で武器を持った男たちがネーレを囲む。
端から見れば不快な絵面だが、当のネーレからすれば望み通りの状況である。
向かってくるよりも、むしろバラバラに逃げられる方がよほど面倒なのだから。
「あの男ひとりを捕らえれば十分か」
デッケン以外の十二名は捕縛する価値もないと判断し、ネーレは自分を囲む男たちへ魔術を繰り出す。
「なんだ!?」
「ま、魔法!?」
「この女、魔術師か!?」
驚いている暇があるなら一歩でも間合いを詰めれば良いものを、とネーレは心の内でつぶやいた。
男たちがあらわにするのは動揺と驚愕のみ。
どうやら対魔術師戦を経験したことのある人間は男たちの中にいなかったらしい。
ネーレの魔術が自身を囲むようにして大地を凍らせ、それに足を取られた男たちが膝や手をつく。
ついた手足をさらに氷が侵食し、男たちは生きたままじわじわと身体を氷像に変えられていった。
「女ぁぁぁ!」
唯一それを免れたのはデッケンだけである。
他の敵と違い、ネーレが魔術を行使するとみるやすぐさま突進して距離を詰めてきた。
それが魔術師戦の経験を持っていたがゆえか、それともネーレに対する抑えきれない憎しみによって飛び出したことが良い目になっただけなのかはわからない。
「惜しいことよ」
役目柄、ネーレは思わずそうつぶやいた。
もしかしたらデッケンという男、戦いのセンスは良いのかもしれない。
だが才能があってもそれを伸ばしきれなければ半端な結果に終わるだけだ。
選ぶ道を誤り、自分を育てる方法を間違えば、いくら資質があっても凡百に留まる。
そんな見本がネーレに向かって剣先を突き出してきた。
「食らえぇ!」
それなりに鋭い突きがネーレに迫る。
しかしネーレは軽やかに身をひるがえしデッケンの攻撃をかわすと、すれ違いざまに小さな風の刃を四つ魔術で放った。
その四つの刃は狙い過たずデッケンの四肢へ向かうと、手足の腱を容赦なく断ち切る。
「ぐあぁぁぁ!」
途端に力を入れられなくなりデッケンの身体が崩れ落ちた。
倒れ伏して痛みに声をあげるだけのデッケンは、ネーレにとってもはや抵抗の術を失った捕縛対象にすぎない。
体格的に担ぎ上げるのは難しいと判断し、大柄なデッケンの身体を仕方なく魔術で宙に浮かべる。
「取りこぼしは……うむ、なかろう」
念のため人間らしき魔力反応が残っていないことをネーレは確認すると、完全に全身が凍って息絶えた十二人の氷像をその場に残してリアナのもとへと足を向けた。
2026/03/26 誤字修正 帰ってくる → 返ってくる
2026/03/26 判断に困ったのでルビ削除 免れた → 免れた
※ご指摘ありがとうございます。






