第391話
アルバーン遠征軍の補給はさほど切迫しているわけでもない。
通常の補給や現地徴発も綿密な計画のもとに行われている上、それでも不足する物資についてはアルディスとロナの手によって補填されているからだ。
アルディスかロナのどちらかが現地にたどり着きさえすれば『門扉』を使った物資の受け渡しが可能という、反則じみた仕組みがあることは敵どころか味方ですら知る者は少ない。
そして当のアルディスとロナは空すらも飛べてしまう。
闇夜に乗じて空を移動すればその動きを捕捉することは不可能に近かった。
包囲した砦がいつまで経っても飢える気配を見せず、荷馬車どころか荷車ですら通行不可能と思われる難地へも潤沢な物資が行き届いているのは、敵からすれば理解し難いことだろう。
たとえ補給へ赴く最中に発見され敵の包囲を受けたとしても、アルディスたちには単独でそれを切り抜ける実力がある。
その能力は戦いにこそ最も適しているはずだが、補給任務に限ってもこの上なく規格外な実力を発揮するひとりと一頭であった。
もっとも、現実には彼らが補給の一端を担っていることすら敵は知り得ようがない。
そのためアルディス主導でリークされた『前線への補給が滞りがちになり緊急の物資輸送が行われる』という情報を、戦争中ならば十分にあり得る話として抵抗組織がすんなりと信じたのも無理はないだろう。
幻影魔術の手解きを受けてあっさり習得したアルディスを含め、ネーレ、フィリア、リアナの四名が敵を罠に誘い込む役目を請け負った。
アルディスとフィリア、ネーレとリアナの二組に分かれ、それぞれが別の補給部隊としてトリア城を出発する。
率いるのは近衛傭兵隊とトリア正規兵を合わせて百名ほどの兵力。
それを二部隊に分け、三十台ほどの馬車と共に街道を進んだ。
しかし三十台の内、八割方は魔術で生み出した幻影である。
しかも実際の兵力も半分以上は幻影ではない幌付きの荷馬車へ身を潜めているため、遠目には二十名ほどの護衛だけで三十台の荷馬車を護っているように見えることだろう。
これまで受けた襲撃の情報をカイルが精査したことにより、抵抗組織が一度に動員可能な兵力は五十名前後が限度と推定された。
その襲撃をしのぎ、防げるだけの人数を計算して一部隊あたり五十名という規模に落ち着いた。
補給部隊の護衛を二十名と見せかけ、優位性を確信して襲いかかってくる敵に対し、実際に迎撃するのは近衛傭兵隊を含む精鋭たち五十名である。
さらにアルディスたち無詠唱魔術の使い手がそこへ加わる。
極端な話、味方の護衛は敵と拮抗状態にさえ持って行けば、後は魔術で順番に仕留めていくだけの作業と変わらない。
まんまと偽装に騙され、おびき出された抵抗組織の戦力はその身をもって思い知ることになった。
ほうほうの体で逃げ出す相手を注視したまま、攻撃を担当していたネーレにリアナが言葉をかける。
「撤退していきますね」
「存外手応えがない。本当にあれが我が主の言う敵の主力なのであろうか?」
「暗躍する抵抗組織としては十分な人数だと思いますが」
抵抗組織が標的としたのはネーレとリアナが受け持った部隊の方だった。
ふたり一組で作戦へ臨むことになったのは、大規模な幻影を維持しながらの戦闘に不安があったからだ。
さすがの双子たちも幻影の維持に集中している間は周辺の索敵がおろそかになるし、そのまま混戦状態になれば不覚を取る可能性もゼロではない。
最悪、彼女たち自身はどうにかなったとしても、味方の援護にまで手が回らなくなれば被害も大きくなるだろう。
ミネルヴァやカイルと相談した結果、ふたり一組を一部隊へ配してひとりは幻影魔術に専念し、もうひとりが敵の撃退を担当することになる。
こちらの組ではリアナが幻影を、ネーレが襲撃してきた敵への反撃を担っていた。
「伏兵の存在を疑ったのではないですか?」
「ふむ……そういう使い方もあるか」
敵は最期まで誰から攻撃魔術を向けられているのかわからず混乱している様子だった。
ネーレの姿を相手が見つけられなかったのは、リアナが幻影魔術でネーレの姿を一般的な兵士のそれに見せかけていたからである。
姿の見えない魔術師の存在は、敵にしてみれば把握できない伏兵の危険性を想起させたのかもしれない。
抵抗組織は兵力の水増しに幻影を使っていたが、今回リアナたちは幻影を水増しではなく隠匿に使って敵を罠にはめた。
加えて魔術師の存在を隠して油断を誘い、相手に伏兵の存在を疑わせるという副次的な効果も期待できることがわかった。
戦術のひとつとして研究の余地はあるかもしれないが、問題は幻影魔術を使いこなせるのがごく限られた者だけという点だろう。
おまけに幻影魔術の使用には集中力が求められるため、同時に戦闘行動を取るのは難しい。
ネーレにせよリアナにせよ、それなら直接敵を叩く手段へ魔術を使った方がよほど戦力として有用に違いない。
「いずれにせよ、いくぶんか討ちもらしがあろう。敵の撤退判断が早かったと見える」
もっと敵が深入りしてくると予想していたが、どうやら敵をまとめる指揮官は無能でもないらしい。
完全に戦列が崩れる前に撤退の決断ができるのは、しっかりと戦場全体が見えている証しだ。
「追撃しますか? こちらの負傷者はそれほど多くなさそうですし」
敵を撃退することはできたが、本来の目的は敵戦力の殲滅である。
大半を討ち取ったとはいえ、このまま討ちもらした敵に潜伏されてしまえば国内の不安要素が残ったままとなるだろう。
だがリアナの提言にネーレは首を横に振る。
「いや、それには及ぶまい。お主はこの場に残り、部隊をまとめておれ。負傷者の手当てが終わり次第、帰還するが良い。敗走する残党ども相手ならば我ひとりでも問題あるまい」
単独で敵の追跡を行うというネーレにリアナは表情を曇らせるが、それでも反対の言葉を口にすることはなかった。
「ネーレの実力ならひとりでも大丈夫でしょうけど……気をつけてくださいね」
「…………案ずるな」
何やら一瞬思案した後、ネーレはリアナへそう返事をすると、身をひるがえして逃げる敵の後を追った。






