第238話
「嬢ちゃんたちじゃないか、久しぶりだね」
目尻の皺を深めながら荷袋を背負った小柄な女性が笑う。
彼女の名はミシェル。
大陸中を回っている行商人で、アルディスの古い知り合いだ。
二年という短期間で人口が急増した村にはいくつもの問題があった。
そのひとつが外部との交易である。
もともとは村出身のジグという青年がひとりでそれを担い、塩や油のような必需品から高品質な薬など村でまかなえないものを運び込んでいた。
しかし急速に村が拡大した結果、ひとりの行商人が運ぶ量ではとても足りないという状況に陥るのは明白である。
そこでアルディスはかつてトリアで顔見知りになったミシェルへ声をかけたのだ。
ミシェルはリアナとフィリアと対面しても厭うような様子も見せず、ごく当たり前のように接してきた。
リアナにとって警戒すべき相手であったのは最初だけ。
口が悪いのは誰に対しても同じだと理解してからは、距離感もずいぶんと縮まっている。
「こんにちは、ミシェルさん」
「お久しぶりです」
カリナに続いてリアナもミシェルに言葉を返した。
そこへ差し挟まれる場違いな女の声。
「リアナちゃーーーん!」
ミシェルに同行する護衛の傭兵たちの中からひとり、赤髪の女性が飛び出して来た。
リアナの表情が一瞬歪む。
しかしその表情はすぐさま赤髪の女性がリアナの身体を抱きしめたことで、周囲から見えなくなってしまう。
「オ、オルフェリアさん……!」
身体全体でリアナを包み込み、その頭へすりすりと頬ずりするのは女魔術師のオルフェリア。
アルディスが以前よく行動を共にしていた傭兵パーティ『白夜の明星』の一員だ。
幼い頃から何かと面倒を見てもらっていることもあり、決して悪い感情は持っていないものの、どうにも過剰なスキンシップをしてくる彼女がリアナは苦手だった。
「おい、オルフェリア。リアナが苦しそうじゃねえか。ほどほどにしろよ」
「ああ、ごめんねリアナちゃん」
そんなオルフェリアを咎めたのは粗忽な風貌の剣士。
パーティメンバーのテッドである。
「ぷはっ」
抱擁という名の拘束から逃れたリアナが後退って距離を取る。
「そんなに警戒しなくても……」
「あはは。そりゃ毎度毎度会う度に息の根止められそうになってれば普通は警戒するよね」
寂しそうにつぶやくオルフェリアをからかうような口調で、弓を持った小柄な男が笑う。
オルフェリアが男を睨んだ。
「やめろよノーリス。面倒くさいことになるから」
「へいへい」
テッドが窘めると、ノーリスと呼ばれた男は肩をすくめてあさっての方向へ目をそらす。
「あれ? でもミシェルさん、定期便には少し早いんじゃないですか?」
そのやり取りを見て苦笑いを浮かべていたカリナが思い出したように疑問を口にした。
それもそうだとリアナは不思議に思う。
ミシェルはふた月に一回のペースで村へと行商にやって来る。
前回の来訪からひと月半しか経っていないことを思い出し、リアナも首を傾げた。
「ああ、ちと早いのは承知の上だよ。本来なら半月後に来るつもりだったからねえ。ただ――」
「ただ?」
カリナの問いかけにミシェルが表情を改めて続きを口にする。
「小耳に挟んだ話が本当なら、どうやら大事になりそうなんでねえ。早めに知らせておこうと思ってね」
「大事、ですか?」
「まあ、とりあえずは村に着かないことには――ああ、アルディスは今日いるのかい?」
ミシェルに訊ねられ、リアナは先ほどルプスに答えた内容を繰り返した。
「アルディスならフィリアやロナと一緒にレイティンへ行ってます」
「ありゃ、入れ違いかい。困ったねこりゃ。いつ頃戻ってくるかわかるかい?」
「今日中には戻ってくると思いますけど」
「そうかい。だったらちょうどいいんだが……」
ちょうどいいもなにもアルディスたちは一般的な旅人のように道を歩いて行くわけではない。
さえぎるものもない空を高速で飛んで行くのだから、朝に村を出てその日のうちに帰ってくるなどという常識外れの行程で移動ができるのだ。
だがそれはミシェルにも『白夜の明星』のメンバーにも明かしていない秘密である。
当然ミシェルたちはアルディスが相当の日数村を留守にしていたと考えているだろう。
「しかしレイティンに行ってたなら、アタシが伝えに来るまでもなく情報を持って帰るかもしれないねえ」
「……何があったんですか?」
問いかけるリアナに向けて、ミシェルは深刻な表情で告げた。
「どうも帝国の動きが怪しいんだよ。もしかするとまた王国との間で戦争が始まるかもしれないね」
日が落ちる少し前にレイティンから戻ったアルディスはミシェルの来訪を伝えられると、ロナとネーレを伴って村長の家へ向かった。
来客の宿も兼ねる村長の家にはミシェルや『白夜の明星』をはじめとする護衛の面々が滞在している。
その広間に集まっているのは村長をはじめとして、神父のエルマーや世話役など村の中心人物達であり、普段から村の諸問題を合議する際に集まるメンバーだ。
この場にいないのは三日前から外出しているセーラだけだろう。
人数がそろったところでミシェルが話を切り出した。
エルメニア帝国がきな臭い動きを見せている、と。
「帝国が王国に戦争を仕掛ける、と?」
「戦争になるかどうかはまだわからないけどね。もし戦争になるとしたら間違いなく矛先は王国だろうさね」
「まあ、四年前の戦争じゃあ帝国も鬱憤が溜まってるだろうしな」
世話役の疑わしそうな声にミシェルが答え、その後を追ってテッドが帝国の心情を代弁する。
そもそもエルメニア帝国が戦いを仕掛ける相手は歴史的な経緯からも政治的な理由からも、さらには地理的な関係から考えてもナグラス王国以外に存在しない。
帝国が軍を動かすのであれば、その相手は王国と考えるのが至極当然の話であった。
「しかし本当に戦争が起こったとしても、我々には関係ない話だろう? ここは御使い様の結界に守られてるし、そもそも魔物の生息域を抜けてやって来られるのはよほどの実力者か御使い様の護符を持っている人間くらいだ」
それほど深刻なことじゃないだろうと、別の世話役が楽観的な考えを示した。
「確かにアンタの言うことには一理あるさね。アタシたちがこの村へやって来られるのもこの『魔除けの護符』があるおかげさ。一体どういう理屈なのかさっぱりだけど、ここに来る道中も魔物と出くわさずにすんでるんだからね」
そう言ってミシェルは自分の首から提げた護符を取り出す。
それは村人たちから『御使い様の護符』と呼ばれているセーラお手製のお守りである。
仕組み自体はアルディスもよくわからないが、身につけていると魔物や獣との遭遇を避ける事ができるらしい。
行商人として村と外部を単身で行き来しているにもかかわらず、ジグという青年が魔物から襲われることもなく役目を果たせている所以がそこにある。
ただあくまでも護符の力は危険な相手と遭遇しづらくなること、そして気付かれにくくなることらしく、身につけていれば絶対に安全というわけではないとセーラは念を押していた。
「これがなきゃ、名の知れた傭兵をいくら護衛に雇ったところでここまでやって来るのは無理だろうさ。そうだろう、テッド?」
「認めるのは悔しいが否定するのは到底無理だな。クレンテやヘレナが一緒でもさすがにここまでの道中は危険すぎるし、ましてや大荷物を抱えた行商人を護衛しながらなんてのは無茶にもほどがある」
「だったら問題はないだろう。たとえ帝国軍が勝ったとしてもここまではやって来ないし、敗残兵が迷い込んでくることもない。実際、四年前の戦争ではなにも影響なかったじゃないか」
心配などどこにもないという世話役の主張に待ったをかけたのは村長だった。
「四年前はそうだったかもしれんが、今回も同じとは限らんのだぞ」
村長の言葉にエルマーが同意する。
「村長のおっしゃる通りです。確かに四年前と同じように戦争がすぐ終われば影響はないかもしれません。しかし今回もすぐに終わるという保証なんてどこにもないのですよ。戦争が長期化すれば物の値段は上がるでしょうし、王国内が戦場になれば物流も阻害されます。治安が悪化して道中の危険が増せば、ミシェルさんも今まで通りには動けなくなるでしょう」
「前回の戦争時とは違い村の人口は大幅に増えておるのだ。もはや以前のようにジグひとりでなんとかなる量ではない」
村長の言う通り、村の人口が急増したことで外部との物流量も増えている。
だからこそ村にとって必要な物資を運び込むため、ミシェルにもその一端を担ってもらっているのだ。
「そういうことさね。いずれ物価は上がり、戦火が広がれば物資自体が不足しはじめる。不要不急の嗜好品ならいざ知らず、塩や薬のような必需品が買いたくても買えなくなる可能性もあるんだ。今から備えておくに越したことはないんじゃないかい? 早く動かないととんだ高値で買わされるはめになるよ」
「もしかしてすでにその気配があるのですか?」
「王国内ではまだ目立った動きもないけどね。帝国内じゃあ、薬や糧食を中心にじわじわと値が上がりはじめているみたいだね」
エルマーの問いにミシェルが面白くなさそうな顔で答える。
「アルディス。アンタ、レイティンに行ってたんだろう? 向こうじゃ帝国が動きはじめたって情報は入ってたのかい?」
「市中じゃ特にそういう噂は聞かなかったな。ただマリーダ――俺が個人的に知っている商会長はどうやら帝国の動きに気付いていたみたいだぞ。稼ぎ時だと張り切っていたよ」
「まっ、商人ならそれくらい鼻が利かなきゃねえ。――で、どうするんだい村長? 備蓄を増やすなら早いとこ動き出さないとまずいよ」
ミシェルに決断を促された村長はしばらく考え込むと、やがてため息と共に指針を定める。
「備蓄を増やすとしよう。村の人口は四年前と比べものにならないほど増えている。どのような不測の事態が起こるかもわからん。可能な限り備えはしておいた方がよかろう」
「問題は調達資金と運搬かねえ。そのへん、どうなんだい?」
「御使い様からお預かりしている資金を使わせてもらおう。村全体のためであれば御使い様はお許しくださる。ただ運搬の方は……」
村長の顔が曇る。
言わずともその理由はミシェルも理解しているようだった。
「アタシらだって運べる量には限度があるさね。ましてやこの村は町から遠い上に道も悪い。がんばっても半月に一往復がやっとだよ」
「むう……」
村長や世話役たちが腕を組んで眉間にシワを寄せる。
問題はこの村がある位置だった。
大きな町から遠く離れているだけでなく、ろくに道も整備されていない山の中、木々の合間を縫って歩く必要があるため当然馬車のようなものは使えない。
荷馬のように動物を使うのも難しかった。
魔物の気配が濃いカノービス山脈では臆病な馬が前に進もうとしないため、かえって足枷となってしまう。
人力で運ぶとなれば必然的にその量もしれているのだ。
村の人間が頭を抱える中、アルディスがひとつの案を提示する。
「こういうのはどうだ? ミシェルたちにはカノービス山脈と草原の境界まで往復してもらって、そこから先は俺たちで運ぶ。それならミシェルたちの負担も少ないだろ?」
「そりゃあ、山に入らなくてすむなら馬車も使えるからねえ。四日で一往復くらいは出来るだろうさ。だろう、テッド?」
「ああ、草原なら出てくる魔物もせいぜいディスペアくらいのもんだしな」
だが世話役のひとりがそれに難色を示した。
「いや、しかし……。そこから村までわしらで運ぶのは無理だろ? いくら御使い様の護符があったとしても、万が一にも重い荷物を抱えた状態で魔物に出くわしたら……」
世話役の言い分はもっともである。
アルディスとて魔物と戦う術を持たない村人にそんな危険を冒させるつもりはなかった。
「草原で受け取った荷は俺とロナで結界の中まで運ぶ。それなら問題ないだろう? 結界の中なら危険もないし、なんならルプスに背負わせればいい」
「アルディスとロナだけで? そりゃいくら何でも無茶じゃないか」
普通に考えれば馬車で運ぶほど大量の荷物をアルディスとロナだけで運ぶのは無理だろう。
しかしアルディスとロナには別の世界へつながる『門扉』がある。
門扉を通して向こうの世界へ送りさえすれば、背負うよりも多いどころか馬車の積載量よりも大量の荷物を格納することができるのだ。
しかも門扉の向こうは時間の流れが遅い。
生野菜なら一年くらい放っておいても問題はないだろう。
保存や運搬にこれほど重宝するものはない。
草原でミシェルたちから荷物を受け取り、門扉を通して向こうの世界へ一時送り込む。
そのままアルディスたちは結界の内側まで移動し、そこで今度は向こうの世界から荷物を取り出せば、あとは安全な場所で落ち着いて村人たちが運搬をすればいいのだ。
ただ、門扉の存在は村人たちに伏せているため、ロナやネーレ以外を同行させることはアルディスも避けたいところだった。
「まあ任せてくれ。ガッカリさせることはないはずだ」
不安そうな表情を見せる世話役たちに向けて、アルディスは朗らかに笑ってみせた。






