第239話
「シャルちゃん、今日はもう終わりにするよ」
「わかりました」
村にある作業小屋のひとつ。
四十代と思われる年齢の女性から声をかけられたシャルは短く返事をする。
ちょうど穴を繕い終えたズボンを簡単にたたむと、手に持っていた針をしまった。
「シャルちゃんもすっかり繕い物が板についてきたね」
二年前、シャルはアルディスに同行して村へやって来た。
村で暮らす以上は何らかの役目を果たすことが求められる。
子供ならいざ知らず、無為徒食の人間に村での居場所はない。
シャルがひと通りの仕事を試した結果、その中で最も性に合っていたのが繕い物の仕事である。
少なくとも、農作業や家畜の世話よりは『まだマシ』だと本人は考えたのだ。
村の一員として暮らすため、最初こそしぶしぶとはじめた仕事だったが、今ではこれもそう悪いものではないとシャルは思うようになっていた。
袖のほつれや破れた箇所をつぎはぎし、たとえ見栄えは悪くとも再び衣服としての役目を果たせるように直していく作業とそれが完了したときの達成感。
組織から命じられた仕事を完遂したときには感じられなかったその心地よさ。
それがシャルの心に少しずつ穏やかな日常として積み重ねられていく。
「うんうん、仕上がりもキレイになってきたよ。最初はすこし危なげな手つきだったけど」
三十代半ばの女性が腕を組んで偉そうに同意した。
作業小屋にいるのはシャルをあわせて女性ばかりが三人。
元々村人からの依頼で繕い物をする役目は二人の女性が担っていた。
そこへ見習いとしてつくようになったのがシャルである。
二年前までは家事の傍ら二人の女性がときおり請け負うだけだった繕い物も、村の住人が五百人を超えた今はそれなりに仕事量が増えている。
結果論ではあるが、シャルの存在は大きな戦力になりつつあった。
「あんただって最初はひどいもんだったじゃないか。まだシャルちゃんの方がよほど筋が良かったと思うけどねえ」
「そんな昔の話は憶えてないね」
「ついこないだの話でしょ」
「ついこないだって、二十年以上も前の話よ?」
「あらまあ、もうそんなに経つのかい? 私も歳を取るわけだ」
「自覚がないのかい? ボケるにゃまだちょっと早いよ」
「言ってくれるね。誰があんたを一丁前に育てたと思ってるんだい」
「はいはい、感謝してます感謝してます」
「まったくこの子は……いくつになっても子供っぽいところが抜けないんだから」
道具の片付けをしながらシャルは中年女性ふたりの会話を聞き流す。
放っておくと繕い物をしに来ているのかおしゃべりをしに来ているのかわからないほど話し込むふたりと、必要最低限の会話だけで生きてきたシャルではあまりにも価値観が違いすぎる。
だが姦しいふたりの女性に挟まれて繕い物をするのも、今では慣れたものだ。
居心地の悪さを感じることもなく、それがシャルにとっての日常へ変わりはじめていた。
「ああ、シャルちゃん。片付けは終わったかい? じゃあ今日はこれで――、ああそうだ」
シャルが片付けを終えたところで、年上の中年女性が机の上に置いたままのカゴから包みを取り出す。
ほのかに焼き菓子の香りがシャルの嗅覚をなでた。
「これ、帰ってからお食べ」
「ん、ありがとうございます」
衣食住という最低限の生活を引き換えにして繕い物の役目を果たすシャルである。
当然給金などというものは存在しない。
ときおりこうして女性たちから手渡されるおやつが唯一の報酬であった。
三日ぶりの報酬を手にしてシャルが作業小屋を出ると、それを待っていたかのように藤色のローブを着た少年に出くわした。
シャルが組織から監視を命じられた対象であり、この村にやって来る原因ともなった傭兵。
広く『千剣の魔術師』という異名で知られている化け物。
その名をアルディスという。
「よう、シャル。仕事は終わったか?」
「終わった」
その答えを予想していたのだろう。
アルディスはシャルに歩調を合わせながら横に並ぶ。
「そうか。歩きながらで良いから、ちょっと話がある」
「なんだ?」
珍しい、と思いながらシャルは頷いた。
「帝国が動き出しそうだという話は聞いてるな?」
「知ってる」
行商人ミシェルがもたらした情報はあっという間に村中へ広がっていた。
というよりこの村の人間には情報を伏せるという考えが元々ないのかもしれない。
作業小屋で繕い物をしながら女性ふたりが会話をしていれば、シャルの耳にも入ってくるのは当然だ。
しかし話題としてはすでにひと月以上前のものである。
もはや新鮮味もない話だったが、続くアルディスの言葉にシャルは思わず顔を横に向けた。
「とうとう帝国軍が国境に布陣したらしい」
「……いつ?」
「八日前。王都から迎撃の軍が出陣したという情報も一緒に入ってきた」
帝国と王国の国境から王都への距離、そして王都からこの村への距離を考えれば情報の伝達速度としては十分に早い。
「戦端は?」
「それはまだわからん。もしかしたら今この瞬間にも戦端が開かれているかもしれないが」
「もう勝負がついているのでは?」
「そうかもしれん。だから王都へ行って状況を確かめておきたい。王国が敗れたなら敗れたで、今後の舵取りを村長たちと協議しなきゃならんからな」
そこまで聞いてシャルはアルディスが自分に何を望んでいるのか理解する。
「ついてこいと?」
「そうだ。俺も俺で情報屋をあたるつもりだが、シャルには別の視点から情報を集めて欲しい。頼めるか?」
「報酬はもらう」
「もちろんだ。飯でも菓子でも好きなだけ買ってやる」
その答えを聞いて、シャルは久しぶりのまともな仕事に頬を緩める。
背負えるだけの菓子を報酬として要求してやろう。
なんなら作業小屋の女性ふたりにも分けてやってもいい。
いつも菓子を受け取るばかりのシャルから逆に分け前として差し出されたら、あのふたりはどんな反応を見せるだろうか。
そんな事を考えながら、シャルは自然に笑みをこぼした。
翌朝、シャルは作業小屋のふたりにしばらく留守にすることを伝え、アルディスと共に村を出た。
同行するのは双子の片割れ、リアナという名前の方だ。
「今日はロナを連れて行かないのですか?」
「ああ、荷運びの仕事があるからな。どのみち今回は情報収集が目的だから、ロナの出番はないし」
リアナの疑問に答えると、アルディスは「ほら」と屈んで手を伸ばす。
「さすがにもう子供じゃないですし、抱っこしてもらうのは……」
「フィリアと同じ事を言うんだな。さすが双子」
「双子は関係ありませんよ。歳を考えてください」
「そうか、そりゃ悪かった」
苦笑いを浮かべるリアナに謝ると、アルディスは立ち上がってリアナを懐へ抱き寄せる。
「ほら、シャルも」
「……わかった」
シャルもリアナと同じようにアルディスの身体へ両腕を回して抱きつく。
あまり気は進まないが、のんびりと歩いていては王都に到着するまで何日かかるかわからない。
空を飛ぶアルディスに運んでもらう以上、落ちないよう身体を密着させてしがみつくのは仕方のないことだった。
子供扱いで抱っこされるのとどちらがマシなのだろうか、とシャルは益体もないことをふと考えてしまう。
「しっかりつかまっていろよ」
アルディスの腕がシャルの身体を抱えるように腰へあてがわれる。
次の瞬間、不自然な挙動で身体が地面から離れて宙に浮いた。
人目のない森から上空へと抜け出た三人は、そのまま高度を上げると南南西にある王都へ向けて飛びはじめる。
相変わらず理解しがたい現実。
シャルは遥か遠くに見える海を目にして乾いた笑いが湧き起こるのを他人事のように感じていた。
途中何度か休憩を挟みながら四時間ほどで王都にたどり着くと、シャルたちは二手に分かれて情報収集を開始した。
情報屋をあたるというアルディスが単独で行動するため、シャルはリアナと行動を共にするよう求められる。
「別に裏で探れと言ってるわけじゃない。駆け出しの傭兵を装って町の人や店の従業員から情報を集めてくれればそれでいいんだ」
足手まといだという考えを表情に出したつもりはなかったが、アルディスはシャルの内心を見抜いたように釘を刺してきた。
仕方なくリアナとふたりで新米の傭兵を演じて街中で情報を拾いはじめる。
「えーと。情報を集めるって、どうすればいいんでしょうか?」
「……情報屋については向こうがあたると言ってるから、こっちは市井に広がってる話を集める。リアナは金を持ってるか?」
「アルディスから預かったお金がありますけど、情報集めとお金って関係あるんですか?」
リアナの答えを聞いてシャルは思わず顔をしかめる。
なるほど確かにこの娘ひとりでは情報収集など無理だろうと、自分の事を棚に上げてシャルはリアナに世間知らずの評価を下す。
「商売人というのは多かれ少なかれ客に対しては愛想がいいものだから、買い物しながら情報を聞き出すのは基本中の基本。人が多く集まる食堂や酒場ではそれだけたくさんの情報が集まるけど、お金がなければそもそも中に入って話もろくにできない」
「ああ、なるほどです」
こんな当たり前の事も知らなかったのかと、シャルは小さくため息をつく。
もちろん金を使わずとも情報を集める手段はあるが、時間的な余裕もなく、裏の手も使えないとなればなかなかそれも難しい。
「とりあえずは露店でいくつか食べ物を買って話を聞く。人の多い広場でそれを食べながら周りの話に耳を傾ける」
「歩いてる人に話を聞くのはダメなんですか?」
「ダメ。少しくらいならいいけど、ずっとそれを続けてれば目立ってしまう」
「そういうものですか」
「そう。だからまずはあの露店で串焼き肉を買う。その次はあっちの露店で蒸しパンを買って、挟み揚げをとなりの露店で買う」
いい機会だとばかりにシャルは我欲丸出しで露店を選ぶ。
それを聞いてリアナは疑わしげな視線をシャルに向けてきた。
「それは……、どういう基準で露店を選んでるんでしょう?」
「たくさん客がついている。ということは多分おい――それだけたくさんの客から情報を得ている可能性が高い」
うっかり本音が出そうになったシャルは言い直してもっともらしい理由をあげる。
「本当に? 単にシャルが食べたいものを選んでるわけじゃないですよね?」
「…………そんなことはない」
「目が泳いでるように見えるのは気のせいですか?」
「……気のせいだ」
この二年間、裏表のない素朴な村人ばかりを話し相手にしてきた結果、どうやらシャル自身も嘘が下手になってしまったらしい。
組織の命令に従って任務を遂行し続ける毎日に磨かれた冷静さはどこへ逃げて行ったのか。
シャルは昔を思い出す。表情を作り、脈を抑え、声の高さとスピードを調整してリアナの視線を真っ正面から受け止める。
「情報の取り扱いに関してはあたしの方が慣れてる。信じられないなら別行動してもらった方があたしはやりやすいんだけど」
「……まあいいです。私もお腹すきましたし、お昼ごはんがてら店主さんに話を訊いていきましょうか」
「ああ」
追及をやめたリアナの態度に心の中で胸をなでおろし、シャルは真っ先に買うと決めていた串焼き肉の露店へ足を向けた。
それからシャルとリアナは露店で買い食いをしつつ、情報を集めていく。
国から公示された情報や人々の噂話はもちろんのこと、店先に並ぶ商品の値段や生活必需品の相場、教会や各種組合の動向も拾い集める。
帝国と再び戦争状態に突入したことは王都の人々にも知られていた。
四年前の戦争と同じく戦場は遥か彼方の国境だが、前回壊滅的な被害を受けた記憶はまだ新しい。
たまたま四年前は帝国軍が撤退していったから助かったものの、本来ならば王都まで攻め込まれ、下手をすると国が滅んでいたかもしれないのだ。
楽観論を口にする者はごく少数で、まだ初戦の結果すら届いていないにもかかわらず王都にはじっとりと重い空気が漂っていた。
情報を収集しはじめてから三時間。
シャルとリアナは休憩を取ろうと西門近くの公園に足を運ぶ。
公園の中央に位置する大きな噴水。
その側に置かれたベンチに腰掛けようとして、シャルの動きがはたと止まった。
「ここは……」
「どうかしましたか?」
リアナの問いかけに答えもせず、シャルは腰のポーチから小さな円形の護符を取りだしてそれを見つめる。
『俺が、お前をこの牢獄から連れ出してやる』
その言葉を最後に残し、組織から始末されたかつての仲間。
当時赤ミサゴと呼ばれていたシャルに『組織から抜けよう』と言った男がいた。
通り名は潜りツバメ。本名は当然知らない。
誘いを無下に断られ、それでもなおシャルを待ち続けて逃げることに失敗した愚かな男だ。
その男が死体となって発見されたのがこの噴水であり、シャルが手にしている護符は潜りツバメが身につけていた物だった。
『考えろ。疑問から目をそらすな』
潜りツバメはそう言っていた。
当時のシャルは疑問など欠片すら抱いておらず、彼が何を言っているのか理解できなかった。
だが今は違う。
「牢獄……だったんだろうか……?」
当時のシャルは組織にも自分の役割にも何の疑問を抱くことなく、ただ言われるままに命令を遂行し続けるだけの毎日を送っていた。
その組織はもはや存在しない。
残っているのは組織から最後に命じられた任務だけだ。
それは自分を縛る鎖などではなく、自分の存在を証明する一筋の光であった。
だがこの二年間、シャルはこれまでの人生で経験したことのない日々を過ごしてきた。
命の危険にさらされることのない生活と、誰ひとり傷つける事のない役目。
周囲の人間から感謝と笑顔を向けられ、体調を崩せば気遣われるという昔なら思いもしなかった扱い。
そのひとつひとつがシャルという人間を変化させようとする。
今のシャルにとって、組織から命じられた最後の任務は唯一の光ではない。
シャルを形作る無数の光と影、そのひとつでしかなかった。
「今だったら――」
もし今の自分が潜りツバメと会っていれば、自分は彼の差し出した手を取っていたのだろうか。シャルは自らにそう問いかける。
組織にいた頃の自分が牢獄に捕らわれていたのか、今でもシャルにはわからない。
だがシャルは今の自分が嫌いではなかった。
たとえかつての自分に戻れる機会があったとしても、逡巡もなく決断することはないだろうと今なら思える。
もはやあの頃の自分と今の自分は違うのだ。シャルは自らをそう認識する。
それがいいことなのか悪いことなのか、シャルには判断がつかない。
ただ、無性にかつての仲間に会いたくなった。
妙に軽薄でなれなれしい、余計なことばかりを口にして周囲から呆れた目で見られていた男。
しかし冥府の門をくぐらない限り、シャルが潜りツバメに会うことはないだろう。
今さらという言葉がシャルの心を重くした。
「シャル、大丈夫ですか?」
「ん。……いや、なんでもない」
心配そうに顔色を窺うリアナへおざなりな言葉を返すと、シャルは小さな護符を握りしめた。
「ごめん……」
リアナへ向けたものなのか、それとも二度と会うこともない誰かに向けたものなのか、シャル自身よくわからないままそうつぶやいた。






