第233話
盆地の中、陽の光を浴びて寝そべっているのは全身を煤色の鱗で包まれた爬虫類のような姿の存在。
見上げるほどの巨体が呼吸と共に上下へ動き、それが作り物ではなく実際に生きた何かであると証明していた。
アルディスたちの接近にもずいぶん前から気付いていたのだろう。
馬車を丸呑みできそうなほど大きな口が開き、不機嫌そうな声を吐き出す。
「何の用だ?」
わずかに開かれた口の中には鋭い牙が上下に並ぶ。
二本の太い後ろ肢、コウモリのような一対の翼、前肢の鋭い鉤爪。
もし伝説上の竜という生き物が実在していたならば、このような姿をしていたに違いない。
竜殻獣のような竜もどきとは明らかに異なる本物の風格がそこにはあった。
「あら、ご挨拶ね」
「呼んだつもりはない」
セーラがにこやかに応じるも、対する魔獣王の言葉はやはりそっけない。
そんな調子にも慣れているのかセーラはおどけた口調で軽口をたたく。
「ご近所さんなんだからたまには顔を出すくらい構わないでしょう?」
「さっさと用件を言え。時間の無駄だ」
「今のあなたは時間なんて腐るほどあるくせに」
人間であればため息をつきそうなそぶりを見せて文句を言う魔獣王に、今度はセーラの方が呆れたような表情を見せた。
「まあいいわ」
だがそれもわずかな間のこと。
気を取り直したセーラが本題を口にする。
「簡単な話よ。麓に私が結界を張っている村があるのは知っているでしょう?」
「ああ、よくもまあ飽きもせず続けられるものだと感心するがな」
「その言葉、そっくりそのままお返しするけれど、今は横に置いておきましょう。話というのは村についてよ。先日、いろいろ事情もあって村人が結構な数増えたの。多分これからも村へ受け入れる人間は増えるでしょう。そうするとどうしても今の広さでは土地が足りなくなってしまうの。だから少しだけ結界の範囲を広げさせてもらいたいのよ」
その説明を聞いた魔獣王の声色が明らかに警戒を含んだものに変わる。
セーラをひと睨みすると、目を細めて問いかけてきた。
「約定を違えるつもりか?」
「まさか」
常人であれば間違いなく逃げ出すであろう圧力を受けながら、クスリと笑って返すセーラもやはりアルディスたちと同様に尋常な存在ではないのだろう。
「あなたが生きている限りここはカノービスの土地だし、あなたがその正当な守護者であることは変わりないわ」
「ならば約定通り――」
「でも」
魔獣王の言葉を遮ってセーラが話を続ける。
「新たな約定を結ぶことは義に反しないでしょう?」
巨大な目が一瞬驚きに丸くなる。
しかしそれもすぐに元通りとなり、再び目を細めた魔獣王は突き放すような口調でセーラへ言葉をぶつけた。
「お前たちに私と約定を結ぶ資格はないぞ。悠久の召使いよ」
「そんな事は言われなくてもわかっているわ。ついでに言わせてもらえば、私にとってあなたはすでに保護すべき対象ではない。あなたの気持ちを無視して結界を広げても良かったけれど、わざわざこうして筋を通しているのは私なりの誠意よ」
「不遜な物言いだな」
「お互い様ね。傲慢で臆病で慈悲深い大地と空の番人。心優しき魔王の盟友であることを今でも誇りに思っているのなら、村を代表してやって来た人間の挑戦をまさか断るなどとは言わないでしょうね?」
挑発するような物言いのセーラと魔獣王が視線をぶつけ合う。
やがて魔獣王が口を開くまでその沈黙は続いた。
「……それで? 相手の人間というのはそこにいる小僧か?」
「ええ」
「腕前のほどは?」
「練能の娘が目をかけている、と言えば十分でしょう?」
「ほう。それならばいいだろう」
どうやら小僧というのは自分を指しているらしいが、それ以外は全く理解できずアルディスは眉にしわを寄せてどちらへともなく問いかけた。
「おい、わけが分からんぞ。あんたら一体何を話しているんだ?」
アルディスの疑問に対するセーラの回答はやはり要領を得ない。
「大丈夫。あとはあなたの力を彼に見せれば交渉は終わりよ」
「え? 今の交渉だったの?」
思わずといった感じでロナが聞き返したが、それに答える声はない。
「では小僧、私を失望させるなよ? そこの金色も一緒にかかってくるがいい」
当事者をよそに話を進める魔獣王が身を起こす。
かかってこいという、どうにも嫌な言葉がアルディスの疑念に拍車をかけた。
「状況が飲み込めないんだが」
「あれ? ボクも頭数に入れられてる?」
「じゃあ、あとはよろしくね」
戸惑うアルディスとロナに向け、セーラが手を軽くひらひらと振りながら距離を取った。
「おい、ちょっと――」
「さあ、行くぞ!」
呼び止めようとしたアルディスであったが、魔獣王の方はお構いなしに身構える。
たとえ言葉にせずとも、相手が戦闘態勢を取っていることは明らかだった。
「俺を連れてきたのはこのためだったのかよ!」
アルディスとて長年戦いの中に身を置いてきた人間である。
理由もわからないまま殺し合いに巻き込まれたことも一度や二度ではない。
今はセーラを追及するよりも脅威に備えるべきだと瞬時に判断し、すぐさま魔法障壁を五重に張った。
魔獣王が吠える。
アルディスの頭上に煌々と燃える火球が五つ生まれ、間を置かず降り注いでくる。
ひとつひとつが魔術師の唱える『煉獄の炎』を思わせるそれは、アルディスの障壁を三つ破ったところでようやく勢いを止めた。
見た目は同じでも桁違いの威力を有していることがそれでわかる。
「良く防いだ。さすがにこれで決着がついては興醒めというものよ」
嬉しそうに口元を歪めながら魔獣王が次なる一手を繰り出してくる。
水晶のように透明な槍状の物体が無数に現れ、切っ先を向けてアルディスを襲った。
迎撃のためアルディスは『門扉』からありったけの剣を呼び寄せる。
その数およそ百本。
これ以上数を増やせば単純な動きしかさせられなくなるというギリギリのラインだ。
自らの技量を再現するのは無理だが、直線的な動きで向かってくる槍状の物体を迎撃するだけなら十分だろう。
百本それぞれが個別の意思を持ったかのように動き、透明な槍を次々と叩き落としていく。
「ほう、面白い!」
魔獣王の声に喜色がのる。
無論アルディスとてやられてばかりではない。
不本意ではあるが戦いになった以上、守り一辺倒が悪手であるのは明らかだった。
迎撃を終えた飛剣たちを今度は攻勢に振り向ける。
外敵に群がる蜂のように百本の飛剣が魔獣王を取り囲み、次々に斬りかかっていく。
「ハッハッハ! このようなものが効くとでも思っているのか!」
「そんな事は百も承知だ」
竜殻獣にすら効果のなかった重鉄の飛剣が、魔獣王と呼ばれる相手に通用するなどとはアルディスも考えていない。
一瞬でも魔獣王の気をそらすことができればそれで十分なのだ。
ひと息で距離を詰めたアルディスが魔獣王の懐へ潜り込み、赤い魔剣を鞘から抜く。
渾身の力を込めた一撃が魔獣王の腹部へ繰り出されると、魔剣は分厚い物理障壁をいとも容易く砕き、そのまま一筋の切り傷を刻み込む。
「その剣……!」
防御を破られたことよりも、むしろ魔獣王はアルディスの手にした剣を見て驚いていた。
「救魔か! 相も変わらず余計な世話焼きを!」
何やら因縁のありそうな言葉を吐き捨て、魔獣王が反撃に出る。
それひとつでアルディスの身体を覆い隠せそうな前肢が振り下ろされてきた。
「速いっ!?」
巨体からは想像もできないスピードで迫る鉤爪に、アルディスは『蒼天彩華』『刻春霞』『月代吹雪』の三剣を組み合わせて即席の盾を象らせる。
アルディスの防御障壁を切り裂きながら迫る鉤爪が、三剣によって一瞬勢いを殺された。
そのわずかな時間を使ってアルディスは飛び退り、置き土産代わりに氷の魔術を叩き込む。
「効かぬわ!」
数多の魔物を葬って来たアルディスの魔術も魔獣王の前では牽制にもならなかった。
そのまま距離を取ろうとしたアルディスをはたき落とさんばかりに、横合いから轟音を立てて魔獣王の尾が襲いかかる。
「ちっ!」
考えるよりも早くアルディスは魔力で足場を作りだし、それを蹴って空中で軌道を変えた。
目と鼻の先を煤色の鱗で包まれた尾が通りすぎる。
「まだまだ!」
なおも攻めの手を休めない魔獣王が翼でバサリと風を起こす。
嵐のような暴風がアルディスを襲うが、その程度であればどうということはない。
問題はその風にのって魔力で生み出された砂がアルディスの視界を奪おうとしていることだった。
「視界を奪って――上か!」
膨れあがる魔力を頼りに魔獣王の意図を読み取る。
遥か上空に太陽よりも強い輝きを放つ大きな炎球が浮かんでいた。
見上げたアルディスの目に青白い輝きが映る。
その色と輝きがとある仇敵を思い起こさせてしまう。
一瞬身体が強ばるも、すぐに回避行動を取りながらアルディスは攻撃を捨てて全魔力を防御に注ぐ。
強化した魔法障壁を八重に作りだし、青炎を防ぐだけのために空へと向けた。
巨大な、そしてその大きさに見合う凶悪な破壊力を有した青炎が矢のごとくアルディスへ向けて撃ち下ろされる。
それまで砂のせいで不明瞭だった視界が青炎の圧力によって晴れ渡っていく。
同時にアルディスの障壁が一瞬にして五枚砕かれた。
さらに一枚、勢いを殺されながらもなお強い力を保つ青炎によって障壁が破られる。
アルディスの障壁と青炎が拮抗するが、その力に耐えきれず障壁がまた一枚砕け散った。
最後の一枚へヒビが入る。
そこに至り、ようやく青炎が力を失った。
「ほう、あれを防ぐか! なるほど、練能が目をかけるだけはある」
「でかい形して砂で目隠しとか、意外にやることがみみっちい」
「戦いとは頭を使ってこそだ。卑怯と言いたければ言うが良い。私は全く気にしないがな」
「その余裕面、いつまでも浮かべていられると思うなよ」
「その意気やよし! 全力でかかってくるが良い!」
「言われずとも!」
今度はアルディスが攻撃に転じる。
魔力を注いで極限まで凝縮した光の魔術を放ち、一直線に伸びた細い槍のような攻撃を魔獣王の足へと向けた。
当然魔獣王は魔法障壁を多重展開して防ごうとする。
しかしアルディスの攻撃が魔獣王の予想していた以上に威力を持っていたのだろう。
魔獣王は正面から防ぐのではなく、受け流すように途中で障壁の角度を変えて対応しようとした。
結果、魔獣王の意識が一瞬それる。
それを待ち構えていたかのように、これまで存在感を消していた黄金色の相棒が相手の死角をうまくついて飛び出した。
「ボクのこと、忘れてない?」
強い魔力と共にロナが得意の魔術を放つ。
放たれたのは半月のような形をした五つほどの刃。
「むっ?」
想定外の攻撃に意外そうな声をこぼしながらも、余裕を崩さなかった魔獣王の表情が次の瞬間見えなくなる。
攻撃を防ぐために展開された障壁へ半月状の刃がぶつかり、瞬時に粘液状へ変化したそれが魔獣王の視界を塞いだのだ。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






