第232話
数日後、アルディスはロナとセーラを伴ってカノービス山脈の奥深くへ向かっていた。
六時間ほど空を飛んで距離を稼ぐと、森林限界近くの場所で山へと降りる。
「ここから先は歩きよ」
「えー、なんで?」
先導するセーラにロナが不満そうな声で応じた。
「空には魔獣王の張った結界があるもの。これから交渉へ行こうっていうのに、わざわざ結界を壊して悪印象を与えるわけにはいかないでしょう?」
「……めんどくさい」
しぶしぶといった感じでロナが歩きはじめる。
セーラの話では魔獣王は住み処の周囲に魔物避けの結界を常時展開しているらしい。
それほど強固なものではないため無理やりこじ開けて侵入することはできるが、当然その場合は結界を破ることになってしまう。
もともと敵対している相手ならばともかく、対話を求める相手にすべきことではない。
「で、ここが魔獣王とやらの住み処というわけか?」
垂直に切り立った岩壁。
そこへぽっかりと口を開けた巨大な横穴を前にしてアルディスがセーラに問いかける。
「ここはただの入口。この先を半日ほど歩けば魔獣王のところへ着くわよ。当然中には魔物が入り込んでいるでしょうし、一応気をつけてね」
先頭のセーラが魔力で灯りを生み出して宙に浮かべた。
最初にセーラが、それに続いてアルディスとロナも横穴へ足を踏み入れる。
「思った以上に広いな」
ぼんやりと照らされた穴の中は、入口の大きさから予想していたよりも広い。
高さも幅も、レイティンにあるリッテ商会の建物が丸ごとすっぽり入ろうかというほどだ。
ぽつりとつぶやいたアルディスの言葉が暗闇へとこだまする。
念のためアルディスとロナもそれぞれに灯りを作り出し、合計三つの灯りを前後に浮かべて歩みを進めていく。
「ずいぶん魔力が薄いね。こんなんだと魔物だってあんまり…………いるんだなぁ」
ロナの言葉へ合わせたかのようにアルディスたちの周囲へ魔力反応が群がりはじめる。
暗がりの中から現れたのはヒルのような姿をした魔物だった。
体長は七十センチほど。
魔物としては魔力も小さく、アルディスたちにとってはどうということのない相手に見えたが、問題はその数であろう。
ざわざわと無数の這いずる音が響く。
魔法の灯りが届かぬ闇の中から次々とその姿を現し、波のように押し寄せてきた。
「火は使わないでね」
「わかってる」
嫌そうな顔を見せたアルディスにセーラが注文をつける。
「じゃー、これでどうかな」
最初に動いたのはロナだ。
三角形の耳をピクリと動かし空中に十以上もの透明な刃を生み出すと、前肢を軽く地面に叩きつけてそれらを放った。
空気を切り裂きながら風の刃がヒルに向かい、いとも容易くその身体を切断していく。
一気に三十体ほどのヒルが絶命し、その体液から何とも言えぬ異臭が漂ってきた。
「うへえ、くさーい。アル、あとお願い-」
人よりも優れた嗅覚を持つロナは耐えがたい異臭に顔をしかめると、早々に戦線離脱を宣言してアルディスの後ろに引き下がる。
「凍らせればいい話だろうが」
ロナへ冷たい視線を向けた後、アルディスは地を這い押し寄せてくるヒルの群れを片っ端から凍らせた。
「まだ来るわよ」
灯りの届く範囲外から続々と現れるヒルを風や氷の魔法で薙ぎ払いながら、アルディスたちはゆっくりと奥へ進んでいく。
「うんざりするなあ」
絶え間なく襲いかかってくるヒルのような魔物はさほど脅威とも感じられない。
しかし延々と湧き出てくるその数にはロナもため息しか出ないようだった。
「別にこれくらいなら構わないでしょう? 手間はかかるけれど」
「いつまで続くの、これ?」
「これが引きはじめたら、その方が面倒なんだけど」
「どういう意味だ?」
ロナとセーラの会話にアルディスが割り込んだそのとき、ヒルたちの動きに変化が現れる。
アルディスたちの行く手を隙間なく埋めていたヒルの群れが、何かを避けるように動きはじめたのだ。
その動きの中心に強い魔力を感じたアルディスは警戒レベルを引き上げた。
腰に提げていた赤い魔剣を鞘から抜き両手で構える。
魔法の灯りを先行させヒルが逃げ出している中心部へ飛ばすと、ようやくその姿を視界に捉える。
「わあ、でっかい」
ロナの口から幼稚な表現が飛び出す。
まず眼に映るのは鮮やかな赤。
硬質感を持った表皮が板を重ね合わせたようにも見え、プレートメイルを思わせた。
体長はおそらく八メートルほど。
二本の太い後ろ足で立つその魔物は、たくましい尾部を左右に揺らしながらバランスを取っている。
後ろ足に比べて遥かに小さい前足が何もない宙を探るように動いたかと思うと、その上半身が素早く前に折れ曲がり、鋭く尖った顎で逃げ遅れたヒルをついばんだ。
一体のヒルが捕らわれ、その口に消えていく。
続けてまた一体、さらにもう一体と逃げ遅れたヒルが捕食されていった。
「ねえ、アル。あれってもしかして」
「ああ。竜殻獣とかいうやつだろうな。見るのは俺も初めてだが……」
巨大な爬虫類を思わせる身体。
そして頭部と肩部の左右に突き出た大きな角。
不気味に光る三対の赤い瞳。
竜殻獣と呼ばれる非常に危険な魔物だった。
「襲ってくると思う?」
「そりゃまあ――」
五体目のヒルを飲み込んだ竜殻獣は周囲に新たな獲物が残っていないことを理解すると、その視線をアルディスたちへと向けてくる。
「そうだろな」
三対の赤い瞳が不気味な輝きを見せた。
どうやらアルディスたちを獲物として認識したようだ。
「来るわよ!」
セーラの声にアルディスたちが散開する。
対照的に竜殻獣は様子を窺うようにのそりと近づいて来た。
「それ!」
ヒルに向けて放ったときと同じようにロナが風の刃を生み出す。
黄金色の身体を囲むように生じた不可視の刃が曲線を描きながら竜殻獣へと放たれる。
しかしグラインダーを易々と切り裂くロナの刃も竜殻獣の鎧には効果が薄いようだった。
掠れた音が響いた後に見えたのは、赤い表皮に刻まれたいくつかの傷。
「かったいなー!」
相当に硬いらしく、ロナの魔術をもってしても浅い傷をつけるのがやっとといったところ。
「じゃあ、これならどうだ?」
ロナの攻撃を見て表皮の強固さを理解したアルディスが、光の魔術を放つ。
極限にまで凝縮された光の筋が竜殻獣の尾部に直撃した。
「……大して効かないか」
竜殻獣へ突き刺さるかに見えた光は表皮の硬い鱗へ弾かれて角度を変え、そのまま洞穴の地面へ穴を穿つ。
光の当たった部分からは血が流れているため、ロナの攻撃よりはダメージを与えられているようだが、それでも深手とは言いがたい。
並の魔物であれば貫通するであろう攻撃に対して、竜殻獣の守りは予想以上に頑強だった。
「来るよ、アル!」
ロナの警告。
間を置かずして竜殻獣の口から何かが一直線に吐き出された。
あたかも口から細い棒が伸びているような光景だ。
その細い棒がアルディスの足もと前方二メートルへと届き、地面を削る――いや、切断する。
竜殻獣の口から放たれた何かによって地面が両断されていた。
まるで果実へ包丁で切れ目を入れるように、生じた細い溝はアルディスへと迫ってくる。
「ちっ!」
舌打ちと共にアルディスは魔法障壁を三重に展開した。
しかしその強固な障壁に竜殻獣の攻撃が当たった箇所からヒビが入りはじめる。
ガラスの割れるような音を発し、最初の障壁が破壊された。
竜殻獣の放った何かはそのままアルディスの身体を伝うように胴体へ上っていく。
そのまま二枚目が破壊されるに至り、アルディスがさらに障壁を重ねがけしようとしたとき、それよりも早く新たな障壁がその身を包んだ。
竜殻獣の攻撃は障壁に阻まれたままアルディスの顔先を通りすぎ、頭上一メートルのところで消え去る。
「あれを正面から防ぐつもりならせめて五枚は重ねがけした方がいいわよ」
どうやらセーラが援護をしてくれたらしい。
「すまん」
素直に自分のミスを認めると、アルディスは竜殻獣の攻撃が刻み込んだ地面の溝へと目をやる。
切れ込みが入った地面へ沿うように黒い粉が散っていた。
「鉄……の砂か?」
おそらく細かく砕かれた鉄の粒を高速で噴出させたのだろう。
さしずめ鉄砂のブレスといったところか。
「私が片付けようか?」
「いや、俺がやる」
一度見てしまえばさほど危険な攻撃でもない。
アルディスは『門扉』から十本ほどの剣を呼び出すと、竜殻獣に向けて解き放つ。
四方から飛剣が一斉に敵へ斬りつける。
しかし『蒼天彩華』『刻春霞』『月代吹雪』の三本はともかく、ただの重鉄剣では竜殻獣の硬い鎧を貫通することなど到底無理な話。
七色粉を使った三本ですらその強固な守りを抜けないでいるのだから。
「直接斬らないとダメか」
鉄砂のブレスによって数本の重鉄剣が撃ち落とされるに至り、アルディスは赤い魔剣を握り直してひと息に飛び出した。
飛剣に意識を奪われていた竜殻獣の懐へ瞬時に潜り込む。
竜殻獣がアルディスの接近に気付いて牙を向けてくるが、すでにその喉元は魔剣の間合い。
「これなら――!」
防げまい、とばかりにアルディスが魔剣を横一線に振り抜く。
人の手を離れた飛剣とは違い、アルディスの力がそのまま乗せられた魔剣である。
しかもいかに強靱な鎧をまとっているとはいえ、さすがに喉元の守りは薄い。
竜殻獣の首がパックリと裂け、そこから大量の血があふれ出した。
勝負はこの一撃で決する。
傷を負いながらなおも抵抗する竜殻獣へさらにアルディスは二撃たたき込む。
それまでしぶとく攻撃を繰り出していた竜殻獣が地面に倒れ伏すと、ようやくアルディスはその骸から距離をとってひと息ついた。
「なかなか面倒な相手だったね」
「見物してたお前が言うな」
我が事のように言うロナへ文句をぶつけると、アルディスはセーラを促して再び洞穴の奥へと足を進めはじめる。
道中で遭遇した魔物との戦闘を数回経て、洞穴に入ってから体感で三キロほど歩いた頃、進む先に強い光が見えた。
「ようやく外に出られるっぽいねー」
陽の光を見てロナが嬉しそうに足を速める。
だが十歩ほど進んだとき、弾むような動きを見せていたその足が突然止まった。
「どうした、ロナ?」
「……」
不思議に思ったアルディスが問いかけるも、ロナからの返事はない。
やがてロナが言葉を投げかけたのはアルディスではなくその隣にいたセーラだった。
「あれがそうなの?」
「そうよ」
「うへえ」
そのやり取りに首を傾げていたアルディスも、そこからさらに五分ほど足を進めてようやく意味を理解する。
進行方向の五百メートル先。
アルディスの魔力探査が届くギリギリの距離に、とんでもない魔力を持った巨大な生物の存在を捕捉したからだ。
こちらの世界に飛ばされてから約八年。
これほど強力な魔力を持った存在に出会ったのは初めてであった。
「……これの、ことか」
呻くようにアルディスが言葉を絞り出す。
なるほどロナが無口になるのも仕方ないことだろう。
「さあ、行きましょう」
立ち尽くすアルディスをよそにセーラが平然と歩いて行く。
このまま棒立ちになっていても意味はない。
先頭を行く黒衣を追いかけて、無言のままアルディスとロナは前へ進んだ。
次第に太陽の光が視界の占める割合を増してゆく。
三十分ほどかけてようやく洞穴を抜け、空の見える場所へと出たアルディスは目を見開き言葉を失った。
「なっ……!」
高い山に四方を囲まれた隠れ家のように小さな盆地。
そこに佇むのは見上げるほどに巨大な生物。
セーラに問うまでもなくその存在を理解する。
『カノービスの魔獣王』
圧倒的な力を持ったそれが、アルディスを冷ややかな目で見つめていた。
2020/05/17 誤字修正 補足 → 捕捉
※誤字報告ありがとうございます。






