第234話
ロナが魔獣王に放ったのは、かつてアルディスが再会したときに食らってしまった魔術である。
ただの刃に見えるそれは、魔獣王の障壁へ阻まれると瞬時に様相を変えた。
弾かれてしまうでもなく、かといって消え去るでもなく、まるで最初からそうなることが定められていたかのように形を崩し、粘液状となって障壁に薄く貼り付く。
それは攻撃を目的としたものではなく、障壁を覆って視界を奪うためのものだった。
扱いを間違えるとさらに面倒なことになるのを見抜いたのか、それともただの直感か、魔獣王は貼り付いた薄い膜を強引にはがそうとはせず、自ら生み出した魔法の炎であっという間に焼き尽くす。
だがアルディスにとってはその一瞬魔獣王の意識が逸れれば十分だ。
不可視の足場をいくつも作り出し宙を駆け上がると、魔獣王の後方上空から錐状の岩石を七つ叩き込む。
並の相手ならば決着がつくであろう一撃。
しかし魔獣王はそれすらも容易に撥ねのける。
それ一本で都市の城壁をくだけそうな太い尾が轟音と共に五つの岩石を払い、残るふたつが障壁を二枚破ったところで砕け散った。
「ハハッ! 面白い術だな!」
言葉通り愉快そうな声色で魔獣王が笑った。
岩石を払った太い尾には小さいながらも傷がついている。
人間ならば致命傷どころか原形を留めることなく潰れてしまうであろう威力も、巨大な体と硬い表皮を持つ魔獣王にはかすり傷を与えるのが精一杯といったところなのだろう。
なおもアルディスたちの攻勢は続く。
魔獣王が後方からの攻撃に対応している隙をついて、ロナがその足もとへと潜り込んだ。
知性を持つとはいえ、その身は弱肉強食の世界で確固たる地位を得ることの出来る存在。
普段お菓子をかみ砕くのに使われる牙と顎は、決して飾りではない。
ロナは鋭い牙を魔獣王のすねに突き立てるものの――。
「ふん!」
大して痛みも感じていない様子で魔獣王は足に食いつくロナを振りほどいてしまう。
魔獣王にとっては軽くであっても、ロナにとっては全身を巨大な力で吹き飛ばされたに等しい。
体勢を整える間もなくロナは近くの壁に叩きつけられてしまった。
「良い連携だが……、一撃が軽い」
「むー。せっかく食らいついたのに」
咳き込みながら立ち上がったロナが不満そうな表情を浮かべる。
なおも余裕を見せる魔獣王の側面から今度は無数の飛剣が放たれた。
アルディスが手持ちの飛剣を一点へ集中させ、矢のように次々と差し向けたのだ。
対して、動じることなく障壁でそれを防ごうとしていた魔獣王が異変に気付く。
「このようなもの効かぬと――、ん?」
重鉄製の剣に混じってところどころに輝く剣が複数見える。
輝いているのはアルディスの魔力によって形作られた純粋な力の塊だ。
剣の形を模しただけで、その実態は凝集光の魔術と変わらない。
ただの剣では傷ひとつ付かない障壁も、混じりけのない力そのものとも言える魔術に対しては無傷でいられなかった。
剣のような光がぶつかるたび、魔獣王の障壁にわずかではあるもののヒビが入っていく。
「小細工を!」
苛立ちのような感情を見せ、魔獣王が吠える。
その苛立ちへ反応して頭上高くに大きな円盤状の輝きが現れた。
輝きを割って細い光線が雨のように盆地へと降り注ぐ。
その狙いは宙を舞う数々の飛剣。
光線に撃ち抜かれた重鉄剣は次々に砕けて落ち、無残な姿を地上にさらしてしまう。
降り注ぐ光線はその勢いのまま盆地中に小さな穴を穿っていった。
残った魔術の剣も魔獣王自身が作りだして放つ、同様の槍によって相殺され消えていく。
手加減なしの攻勢を防がれ、アルディスとロナは仕切り直しとばかりに並び立って魔獣王と向かい合った。
「こっちにもあんなのがいるんだね」
「この世界もあなどれないってことだろうな。まだまだ底が見えそうにないが……」
アルディスたちが生まれ育った世界ならばいざ知らず、こちらの世界でこうも手強い相手に会うのは初めてのことだった。
人間相手でも魔物相手でも、常に全力を出すまでもなく勝ってきたアルディスだ。
剣撃にしろ魔術にしろ、わずかな傷しか与えられないという状況は久しぶりと言える。
「ボク、あの守りを抜く自信がないんだけど」
「……確かに難しそうだが」
気弱なことを口にするロナへ、アルディスは短い沈黙の後で同意しつつも赤い魔剣を構える。
青、薄い黄緑、白の三剣が近衛騎士のようにその周りを囲む。
アルディスの瞳に強い意志の光が浮かんだ。
「――この程度を貫けなくて、あの女に届くわけもない」
「……そうだね。そりゃそうだ」
アルディスの言葉にロナが目を細める。
先ほどまでの気弱な表情もすでに消え失せていた。
互いに合図を交わすでもなく、アルディスが前方へ駆け出すと同時にロナが右へと走り出す。
正面から吶喊するアルディスを魔獣王は突風を巻き起こして迎え撃つ。
アルディスを通りすぎた突風が背後の山を揺らし、こだまする轟音を立てながら土砂が崩れていった。
なおも突風はおさまらない。
「二種類混じりか」
全てを吹き飛ばさんばかりの勢いを持ちながら、その中にときおり混じる鋭い無形の刃。
アルディスも魔法障壁を展開して防ごうとするが、かといって足を止めるわけにもいかず、また攻撃の手を捨てるわけにもいかない。
全力で守りに入れば防げるであろう攻撃も、今のアルディスには危険な一撃となって襲いかかる。
「力負けとは情けない」
自らのふがいなさを嘆きながらも三剣を前に浮かせ、突風に混じる無形の刃を弾く。
それで防げない刃を三重魔法障壁で遮断しようと試みるが、そもそも使い手がただ者ではないのだ。
三重程度で防げる攻撃でないことは誰よりもアルディスが理解していた。
苦もなく障壁を突破してきた無形の刃が頬をかすめる。
頬が熱くなり、何かが顎に向かって垂れていく感触を自覚しながらも、アルディスはなおも前進して魔獣王との距離を詰めていく。
足を止めないアルディスに向けて魔獣王が後ろ肢を大地へ叩きつけた。
連動しているとでもいうように地面が隆起し、アルディスの足もとを中心に直径十センチほどの棘が無数に生えると、空へ向けて一斉に撃ち出された。
「切り替えが早い……!」
後手に回っていることで焦りを抱きながらもアルディスは前進をやめない。
上空に逃れるため不可視の足場を進行方向に作りだし、飛ぶように駆け上がる。
鋭い棘がアルディスの経路を追うように通りすぎていく。
魔獣王はなおも攻撃の手を緩めない。
新たに生み出されたのは青く染まった火球。
生まれたばかりの青い火球は何の躊躇もなく、宙へ浮いたままのアルディスへと襲いかかった。
「避けるのは――!」
回避困難と判断したアルディスはすぐさま新たな魔法障壁を張り直す。
しかしとっさに展開できたのは五枚。
魔獣王の力を考えれば正面から防ぎきれるものではないと判断し、力の勢いを受け流すよう斜めに傾けて配置する。
五枚全ての障壁を溶かしながら、軌道をそらされた青炎の火球がアルディスのすぐ側を通りすぎていく。
「ぐっ」
空気を伝わる熱だけでアルディスの腕が赤く焼けた。
その時、ようやく魔獣王の斜め後方に回り込んだロナが隙を見計らって反撃に移る。
ロナ自身の体よりも大きな氷の槍が三本、魔獣王の横腹へ一直線に向けて放たれた。
「軽いと言った!」
しかし魔獣王は障壁を展開し、ロナの氷槍をいとも容易く防いでみせる。
「ならこれは――!」
どうだとばかりにアルディスが追撃の手を繰り出す。
四枚羽根との戦いで目にし、ネーレの解説によって理解を得ることで使えるようになった電撃の魔術。
しかし電撃を放とうとするアルディスの試みはもろくも失敗した。
いざ発動という瞬間に、電撃が制御を離れてあらぬ方向へと飛んで行ったのだ。
「ほう、稲妻を理解するか! 確かに強い力だが、理を知る者には通用せんぞ!」
仕組みを理解する者にとっては防ぐのも容易い、とはネーレの弁である。
とっておきの一手を苦もなく防がれたアルディスは有効な手段を失ってしまう。
「くっ、ただのデカブツじゃないってことかよ!」
かくして魔獣王との戦いは長期戦の様相を見せる。
アルディスとロナ。
この世界では敵なしと思われた両者が連携し、全力を注いでもなお余裕を崩さない魔獣王の強さの前にアルディスたちは疲労の色を次第に濃くしていく。
アルディスの剣技もロナの魔術も繰り出す全てがより強い力で弾かれる。
技術が足りないわけではない、ただ純粋な力で負けているのだ。
戦いは周囲の地形を粘土細工のように変えつつ、緑にあふれていた盆地が岩と石つぶてだらけの荒れ地と化してなお続いていた。
魔獣王がアルディスに向けて新たな魔術を放つ。
黒く丸いつぶてのような物体が曲線を描きながらアルディスに集まってくる。
「この程度!」
疲労を浮かべながらもアルディスは自らを叱咤するように声を張る。
自分の体を宙に浮かべていた不可視の足場を消し、数メートル下へ新たに生み出した足場へと重力に任せて落ちていく。
これで前方と下からやって来るつぶてだけを防げば良いと考えたアルディスをあざ笑うかのように、避けたはずのつぶてたちが不自然な動きを見せながら追いかけてきた。
「曲がるのか!?」
黒いつぶては明らかにアルディス目がけてその軌道を変化させていた。
誘導性のある攻撃だと気付いたアルディスは、とっさに活路を前方へ見出す。
足を止めるよりも前へ進むことでこのまま攻勢に出ようという腹づもりだった。
アルディスは七色粉のおかげでいまだ健在な三本の飛剣を周囲に配し、追いついてくるつぶてを切り払いながら魔獣王との距離を詰める。
飛剣の防御をすり抜けたつぶてがアルディスの左肩と右横腹をえぐる。
すでに障壁を多重展開する余裕はなかった。
まして逆撃を狙っている以上、防御に振り向ける力は限られている。
激痛に顔をしかめながらも肉薄するアルディスへ、魔獣王が怒号を飛ばす。
「正面からだと? 浅はかな!」
魔獣王の鉤爪が魔力をまとい、物理障壁もろともアルディスを引き裂こうと振るわれる。
もはやアルディスにそれを防ぎきるだけの力は残っていない。
自ら横に跳んで勢いを殺そうとするも、鋭く振り抜かれる鉤爪はそれを許さなかった。
かろうじて一枚だけ張った物理障壁があっけなく破壊され吹き飛ばされてしまう。
間髪入れずロナが大規模な魔術を展開した。
魔獣王の頭部ほどもある岩石が三つ、遥か天空から尾を引いて降り注ぐ。
「そっちが本命か!?」
その勢いと大きさを見た魔獣王がすぐさま身を守るべく障壁を展開する。
空気を切り裂くというよりは、空間を砕くという表現がふさわしい音を立てながら岩石が障壁へとぶつかった。
魔獣王を中心にして盆地全体が衝撃で揺れる。
衝撃波が周囲へと広がり、それにあわせて崩れていた小さな岩や砂が吹き飛ばされていく。
「まだまだあ!」
追い打ちとばかりにロナが新たな魔術を行使した。
家屋を丸ごと天空へと吹き飛ばすほどの暴風が魔獣王を襲う。
「むう、これほどとは!」
「余裕見せてるからだよ!」
「笑わせる!」
しかし魔獣王も負けてはいない。
もはや天災としか表現しようのない凶悪な風の中、まばゆいばかりに白く輝く炎が突如現れる。
「それで私に押し勝てるとでも思ったか!」
魔獣王の白炎が風を飲み込もうとし、ロナの暴風が炎を削り散らそうとせめぎ合う。
両者の間に非現実な歪みが発生するに至り、拮抗したかに見えていた争いはやがて白炎優勢となって推移する。
白炎が暴風を飲み込みはじめたかと見えた瞬間、激突する双方の力が周囲一帯を巻き込んで暴発した。
相打つ魔術の衝撃により大地には円形の窪地が生み出され、近傍の山では峰の一部が吹き飛ばされる。
その惨状を作りだした当事者のロナは爆風に吹き飛ばされ、叩きつけられた先で気を失っていた。
しかし戦いが終わったわけではない。
「至近だと!?」
魔獣王が驚きの声をあげる。
ロナとのせめぎ合いに集中していた彼の背後へ、赤い魔剣を手にした人間が浮かんでいたからだ。
「遅い!」
首をひねって振り向く魔獣王めがけ、アルディスが最後の力を振り絞って飛び込む。
魔獣王の周囲に透明な槍状の物体が生み出される。
だがその生成速度はこれまでより明らかに鈍かった。
あれほどの魔術を行使した後だからなのか、それともさすがの魔獣王もこれまでの戦いで消耗しているのか、それはわからない。
ただアルディスのすべきことはひとつ。
わき目もふらず不可視の足場を蹴って飛びかかり、魔剣の切っ先をその首へ突き立てる直前まで運んだところでピタリと止める。
場に静寂が訪れた。
先ほどまでの戦いが嘘のような静けさと、細い糸を張りつめたような緊迫感が周囲を包む。
アルディスの周りには切っ先を向けて今にも動き出しそうな槍状の物体が、球体を形作るように数十本浮かんでいた。
「まだやるか?」
どう見ても絶体絶命な状況下で、アルディスはふてぶてしくも挑みかからんばかりの口調で問いかける。
確かにアルディスの剣は魔獣王の喉元を捉えている。
だがしかし、すでに満足な魔法障壁を展開できない今となってはどちらの方がより危機的な立場にあるのかは明白だった。
「ふっ、よかろう」
アルディスの戦いぶりに満足したのか、それとも圧倒的不利な状況でもなお食らいつかんばかりの姿勢を好ましく思ったのか、魔獣王は軽く笑うと槍を消散させる。
「ここまで肉薄されては仕方あるまい。お前たちの力を認めよう」
それは戦いの終わりを宣言する言葉だった。
2020/06/01 誤字修正 白炎(はくえn) → 白炎
※誤字報告ありがとうございます。
2020/06/02 誤字修正 魔獣王都の戦い → 魔獣王との戦い
※誤字報告ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






