第223話
「アルディス、ロナ、早くー!」
収穫祭から二ヶ月ほどの時間が経過した。
村での生活が落ち着いてきたこともあり、アルディスは再び傭兵業を再開する。
とはいえ主たる目的は元の世界へ戻るための手がかりを探す旅であり、依頼を受けるのも魔物を退治するのもただのついででしかない。
だがいつものようにロナと出かけようとしたところへストップをかけた人物がいた。
フィリアとリアナのふたりである。
以前コーサスの森に住んでいた頃、アルディスはふたりを外へ連れ出す条件として『ラクターをふたりで倒せるだけの実力を身につけること』という課題を出していた。
村に移り住んでからもネーレと訓練を重ね、加えて村周囲の見回りを兼ねた狩りの経験を積んだこともあり、とうとうそれをクリアされてしまったのだ。
結果、アルディスとしても頭ごなしに否を突きつけられなくなった。
しぶしぶ同行を許可するしかなくなったアルディスだが、最後の抵抗とばかりにさらなる条件を加える。
それがふたり同時にではなく、交互にひとりずつ同行を許可するということだった。
出会った頃から一時も離れようとせず、自分自身を『フィリアたち』『リアナたち』と言い表し、不可分の存在だと言外に主張していた双子がそれを受け入れるとは思っていなかったのだ。
しかしそんなアルディスの目論見はいとも簡単に崩壊する。
村にやって来てから三ヶ月。
かつての忌まわしい記憶をようやく乗り越えたらしい双子は、条件を伝えられると互いに顔を見あわせた後、どちらが最初にアルディスと旅をするか話し合いをはじめた。
その結果最初の同行者として決まり、今現在アルバーン王国の町でアルディスとロナに手を振って早く来いと催促しているのがフィリアであった。
「まさかああもすんなり受け入れるとはな……」
予想外だった双子の反応にアルディスが軽い後悔をこめてつぶやく。
「それだけあの子たちも成長してるってことでしょ。アルが保護してから何年も経ってるんだし、そこは素直に喜ぶべきじゃないの?」
黄金色の相棒が他人へ聞こえないよう声をひそめながら、アルディスを足もとから覗き込む。
「アルはいつまでもフィリアやリアナを子供扱いしすぎなんだよ」
「別に子供扱いしてるわけじゃ……」
「じゃあ訊くけど、アルがフィリアたちと同じ歳の頃って何してた? 大人たちに守られてぬくぬくと暮らしてたの?」
「……」
ロナに指摘され、自分が十四、五だった頃を思い起こしたアルディスはぐうの音も出ず沈黙する。
「第一往生際が悪いんだよ。ラクターを倒せるようになったら外へ連れて行くって約束してたくせに、いざフィリアたちがそれだけの実力を見せたら今度は『ふたり一緒では連れて行けない。ひとりずつ連れて行くのが条件』だって? 後から追加で条件を出すなんて卑怯だと思うな、ボク」
「……」
さらなる追撃にアルディスは沈黙を強いられる。
今回の件、なおも双子の同行を拒否しようとしたアルディスへ真っ向から反対し、双子の味方をしたのはロナだった。
突然だった相棒の裏切りで呆然とするアルディスをよそに、あれよあれよとフィリアが同行することに決まり、結局ロナを含めたふたりと一体で村から出発するはめになったのだ。
「ねえねえアルディス。今日はこの町に泊まるの?」
歩みの遅いアルディスに業を煮やしたのか、戻ってきたフィリアがアルディスの左腕に抱きつきながら問いかけてくる。
「……そうだな。ここのところ野宿が続いたし、今日はベッドでゆっくり眠るか」
「やった! ご飯のおいしいところがいいな! ね、ロナ」
「うん、それはボクも同意見だね。少しくらい高くてもいいからちゃんとした宿に泊まろうよ、アル」
「まあ宿代の心配はないんだが……。問題はちゃんとした宿に泊まったところで、まともな食事が出てくるかどうかってところだな」
アルディスたちのいるアルバーン王国は現在内戦の真っ只中だった。
本来であればフィリアを連れてくるにはふさわしくない状況なのだが、そうも言っていられない理由がある。
それはアルディスの顔が教会の異端認定により知れ渡っているからだった。
もちろん異端認定されたからといって国家の法において捕縛され処罰を受けることはない。
あくまでも異端認定は統治権限を持たない教会が出した、法的根拠のない布告だからだ。
だがそうはいっても大陸全土に信者を抱え、影響力を持つ教会の出した布告である。
国や領主とは関係のないところで害意を向けられる可能性は高い。
いや、むしろ双子に対する扱いを顧みれば実害を被るのは火を見るよりも明らかだろう。
アルディスひとりなら顔をフードで隠し、身体全体を包むローブをまとうことができるが、ロナの目立つ黄金色の身体はそういうわけにもいかない。
かといってロナを同行者から外してしまってはフィリアの身が心配でおちおち昼寝もできなかった。
「内戦で物流はズタズタ。治安維持もろくに機能していない状態だからな。保存食よりはましなものが食えるだろうが、あまり期待はしない方がいいぞ」
わざわざ内戦で混乱しているアルバーンを目的地に選んだのは、この地の人々が教会の布告にかまけている余裕がないからだった。
自分たちの命や生活が脅かされている時に、教会が異端認定したとはいえ一介の傭兵にちょっかいを出そうという余裕のある人間は少ない。
もちろんそれでも害を及ぼしてくる人間はいるだろうが、世間全体、町全体が敵に回らないのならどうとでもなる。
むしろ治安悪化のせいで窮地に陥っていた村や集落を獣や野盗から守り、感謝されたことは一度や二度ではなかった。
もしかしたら中にはアルディスのことに気付いた人間がいたかもしれないが、今のところは波風も立っていない。
彼らにしてみればそれどころではないのが、アルバーンという国の現状だった。
「まあ、町の外は難民だらけだったしね……。食べ物が十分にあるとは思えないけどさ」
「難民ってなあに?」
「戦争や魔物の襲撃なんかで住む場所をなくした人とか、逃げてきた人のことだよ」
「ちょっと前のわたしたちみたいなの?」
思いもよらぬフィリアの言葉に、ロナが目を丸くする。
「ん……? あー、言われてみればそうかもね」
諸事情によりそれまで住み慣れたコーサスの森から出て行かざるを得なかったアルディスたち一行も、ある意味難民と表現できるかもしれない。
「といってもボクらの場合は面倒事を避けたくて森を出ただけだから、今町の外にいる難民たちとは全然事情が違うけど」
難民であふれているのは町の外だけではない。
こうして街中を歩いていても、ふと視線を移した路地裏へうずくまる大勢の人間たちが見える。
町の門が閉ざされる前に入ることができた難民たちだろう。
今となってはそれなりに袖の下を出さなければ中へ入れてはもらえないため、外壁の内側へ難民が押し寄せることはない。
だが同時に、門を守る兵士たちのモラルは下がる一方なのだろう。
ろくに身元の確認も行わず、賄賂の多い少ないで通過の可否が決められているような有様だった。
だからこそアルディスやロナのような者が咎められることもなく町に入れたのだが、綱紀粛正されることなくこの状態が続けば、早晩その腐敗は治安維持に深刻なダメージを及ぼすはずだ。
少なくとも物価の高騰と流通の阻害に拍車をかけているのは間違いない。
大通りを歩いていても露店は少ないし、その取り扱っている商品も値段が軒並み高い。
「うわあ、高っ! リンゴがひと袋で大銅貨六枚?」
ロナが露店で売っている果物の値段を見て驚く。
そうやって露店を眺めながら歩いていると、進行方向に賑わいを見つけたフィリアがアルディスの腕を引っぱった。
「あ、アルディス。あっちの方、人が大勢いるよ。行ってみようよ!」
フィリアに引っぱられながら向かった先には予想以上に人が集まっている。
どことなく寂れた印象を受ける町の中でその一角だけが熱を帯びていた。
元は空き地と思われる広いスペースにいくつかの低い台が並べられ、その上に質素な服を着た人間たちが並んで立っている。
人々はその周囲を歩きながら値踏みするような視線を台の上にいる人間へ向けていた。
「なあに、これ?」
「……奴隷市だな」
顔をしかめてアルディスがフィリアの疑問に答える。
「奴隷?」
首を傾げるフィリアへ台の上にいた妙齢の女性が声をかけてくる。
「ねえ、そこのかわいいお嬢さん。私を買わない? 洗濯も掃除もひと通りできるし、料理の腕には自信があるの。このあたりじゃ珍しい西方料理も作れるわ。歳も近いから女の子にしかできない相談にものれるわよ」
にこやかにそうアピールしてくる女性に、当のフィリアはどうしていいかわからずに困惑を見せていた。
「見たところ傭兵じゃないのか? だったらオレを買ってくれ! オレも元傭兵で、獣王を狩ったこともあるんだぜ。戦力としても荷物持ちとしても、素材の剥ぎ取り要員としても絶対重宝するからさ」
さらにその隣に立っていた中年男が自分を売り込んできた。
「悪いが料理も戦力も間に合ってる」
「そうなの、残念」
「しゃあないな。気が変わったら声かけてくれよ」
戸惑うフィリアの代わりにアルディスがふたりへ断りの言葉を返すと、女性と中年男は残念そうな顔を見せながらもあっさりと引き下がる。
「ああ、良い雇い主に巡り会えるよう祈っておくよ」
「あんがとよ」
最後にアルディスが激励の言葉を送ると中年男が礼を口にしながら親指を立てて見せた。
「もう行くぞ、フィリア」
さっさとこの場を立ち去りたいアルディスが今度は逆にフィリアの手を引いた。
「あ……」
「どうした――」
何かに気付いたフィリアの視線を追って、アルディスは苦々しい表情を浮かべる。
ふたりの目が向いた先にあったのはひとつの仮小屋。
奴隷市の片隅にひっそりと、だが異彩を放つその小屋からいくつかの人影が出てきた。
商人らしき恰幅の良い男を先頭にして、その後ろへ護衛らしき武装した人間がふたり。
さらにその後ろへ続くのは手首と足首に円環をはめられた複数の男女。
垢で黒みを帯びた肌、ろくに食事をとっていないであろうガリガリの身体、希望を失った瞳は全員に共通している。
本来であれば羞恥にまみれた一糸まとわぬ姿にもかかわらず、感情の消え失せた顔からは悲壮感すらうかがえない。
その首輪から繋がる鎖をひとまとめにして持つ使用人らしき男に促されて、小屋の前に停められた荷馬車へと乗り込んでいく人の形をした商品。
物人であった。
奴隷市があるのなら、当然そこには物人を扱う商人もやって来る。
アルディスが最初に顔をしかめたのは、それをフィリアに見せたくなかったからだ。
「あれ、サイツ商会の物人だろ?」
「相変わらずあそこはひどいものですね」
「ああ、奴隷にしても物人にしても扱いがちょっとなあ……」
「黒い噂が絶えないっていうけど、ああいうのを見ると納得せざるを得ないわよね」
「だがあそこの物人が安いのは確かだろ」
「結局客が求めるのは安さってことか?」
どうやら評判の悪い商会らしく、アルディスと同じようにその様子を見ていた人々が次々と不快感のこもった言葉を口にする。
「あそこの世話だけには絶対なりたくねえな」
奴隷たちからもそんな声が聞こえてくるくらいだ。
そうこうしているうちに物人たちを乗せた荷馬車は動き出す。
自然とその進路を空けるように人波が割れた。
かつての自分を重ねてしまったのだろう。通りすぎていく荷馬車と荷台に乗せられた物人たちを目にしてフィリアの瞳が揺れていた。
「アルディス……」
物言いたげな目でフィリアが訴えかけてくる。
口にはせずともフィリアが何を求めているのかはアルディスにもわかった。
「ダメだ」
だがわかったからといってどうすることもできない。
首を振るアルディスにフィリアが泣きそうな表情を見せる。
アルバーン国内において物人の取引自体は合法だ。
奴隷や物人は所有者の資産として認められている。
それを正当な理由なく解放すれば、逆にアルディスの方が罪を問われてしまうだろう。
すでに教会を敵に回し、大陸中に身の置き場がないアルディスとしては今さらな話だが、だからといってフィリアを巻き込むわけにはいかない。
加えて力で法を無視するという悪い手本を見せるのも躊躇われた。
もちろんアルディス自身はこれまでにも幾度となく法を無視して我を押し通してきた。
だがそれは法秩序を敵に回しても譲れないものを守るためであり、少なくともそのリスクを含めて自分自身で決断した結果だ。
法を無視して我を押し通そうというのであれば、その決断はフィリア自身が自らの力を拠り所にして行うべきだろう。
「いいかフィリア。奴隷も物人もこの国では認められている存在だ。その売買もだし、さっきの扱いも褒められたものじゃないが、面と向かって非難はできない」
もっとも内乱状態の国で法も何もないだろうがな――、とアルディスは内心苦笑しつつフィリアを諭す。
「無理やり彼らを解き放つことは所有者の財産を奪う盗人と同じ行為だ。だからあの物人たちを救いたいのなら所有者が納得するだけの対価を支払わなければならない。フィリアが彼らを買えば少なくとも物人からは解放してやることができる。だが解放するだけではすぐに彼らは物人に逆戻りだ。そうならないよう衣服を与え、食べ物を与え、住む場所を与え、仕事を与える。ひとりふたりじゃないぞ。あれと同じような扱いを受けている物人はこの町だけでも何十人といるだろう。目に付いた物人すべてをそうやって救えるか? そしてこの先行く先々で見かけた物人全員にそうやって救いの手を差し伸べるつもりか? それだけの覚悟と力が自分にあると思うなら好きにすればいい」
アルディスの突き放す言葉に涙を浮かべながら、なおもフィリアが食い下がった。
「でも……、でもアルディスはわたしとリアナを助けてくれたよ」
「あの時、フィリアたちの所有権を持っていた商人は野盗の襲撃を受けて全滅していた。だからお前たちは誰のものでもなくなっていたんだ。商人が生き残っていたら、俺だって勝手にお前たちを連れ去ることなんてできなかった」
「……じゃあ、わたしたちみたいにあの人たちを助けてはくれないの?」
「すべてを救うのは無理だ。俺の手はそこまで回らない。ふたつの手でフィリアとリアナを抱えるのが精一杯だ」
そもそもフィリアとリアナが双子でなければ、きっと今頃はこうして一緒にいないだろう。
トリアの町に連れて行き、適当に売り払って終わっていたに違いない。
「……」
アルディスの袖を掴んでいたフィリアの手にギュッと力が入る。
訴えればアルディスが何とかしてくれると思っていたのかもしれない。
だがそれではいつまでたってもアルディスへの甘えを抱えたままになってしまう。
声もなく泣き始めたフィリアをアルディスは懐に入れてそっと抱きしめる。
一部始終を黙って聞いていたロナが、アルディスを労るような視線で覗き込んできた。
アルディスはそれに苦笑を返すと、少し心を痛めながらも思考を巡らせはじめる。
サイツ商会。
周囲の人々が口にしていた話だとずいぶんと悪評の立っている商会らしい。
だったら叩けば埃のひとつやふたつ出てきそうだと、アルディスは目を細めた。
2020/03/15 誤字修正 要因 → 要員
※誤字報告ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






