第224話
奴隷市を後にしたフィリアたちは少し気まずい空気をまといながら人の行き来が少ない場所へと歩いて行く。
「俺は少し離れる。ロナはフィリアの側についていてやってくれ」
そう言ってひとり歩いて行くアルディスの後ろ姿をフィリアが不安そうに見送る。
「ねえロナ。アルディス……怒った?」
「何でそう思うの?」
「だって……」
ばつが悪そうに声が小さくなるフィリア。
「アルは確かに強いけど、神様じゃないし王様でもない。腕っぷしが強いだけで何もかもが思い通りになるんなら、ボクらはコーサスの森を出る必要なんてなかったんだよ。まあ、理由はそれだけじゃないけどね」
妙に表情豊かな黄金色の獣は苦笑するように口元を曲げて見せる。
「たぶんフィリアを巻き込みたくなかったんだと思うよ。ボクとアルだけなら、面倒だけど何とでもなるもん」
「……わたしのせい?」
「違うよ。フィリアのため、だよ」
フィリアの問いかけとロナの答え、ふたつの間にどれだけの違いがあるのかもよくわからず、それでも自分の中にあった固い何かが解きほぐされるような感覚にフィリアは思わずロナへと抱きついた。
筆先のように膨らんだロナの尻尾がフィリアの頭を撫でるように揺れる。
「さ、どうせアルはしばらく戻ってこないだろうし、その辺の露店でおいしいものでも買って食べようか」
「うん」
明るい表情を取りもどしたフィリアが元気良く返事をして立ち上がる。
その時、フィリアの耳にかすかな衝撃音が聞こえてきた。
「ねえ、ロナ」
「うん、そうだね」
呼びかけるだけでロナは理解したらしく、耳をピクピクと動かして周囲の音を拾う。
「あっちの路地裏。争う……いや、一方的かな。三人がひとりを囲んで……。囲まれてるのは子供、かな?」
ロナの視線を追って、フィリアも魔力を探る。
アルディスのように広範囲の探査はできず、ネーレのように高い精度で判別することもできないが、そこに魔力を持った生き物がいるかどうかくらいの探知はフィリアもできるようになっていた。
薄暗い路地裏の先、二十メートルほど進んだ先に四つの魔力がある。
どうやら音はそこから聞こえているようだった。
人間の身体が殴りつけられ、蹴られる音。
ただのケンカなら放っておけばいい。
だがロナの言っていることが本当なら、子供が三人の人間に囲まれているのだ。
一方的な暴行を加えられているであろうことは容易に想像がつく。
「ロナ……」
「わざわざ危険に首を突っ込む必要はないよ。さっきアルも言ってたでしょ。『すべてを救うのは無理だ』って」
ロナの言う通りだった。
あのアルディスですら救える者と救えない者がいるのだ。
無力な自分が誰かを助けようなどと、思い上がりもいいところなのだろう。
「だけど」とそれでも葛藤するフィリアの耳に、か細い声が聞こえてくる。
「……だれか、……たすけて」
もしかしたら幻聴だったのかもしれない。
だがそれはフィリアにとって絶対に聞き流すことのできない、救いを求める言葉。
かつて自分たちが何百回と口にし、何万回も心の中で叫び続けた渇望の思いだ。
もしアルディスという少年に出会わなければと、幾度もうなされた悪夢が頭をよぎる。
その瞬間、フィリアは駆け出していた。
「ごめん、ロナ!」
そう言い残して路地裏へと入っていくと、すぐに音の発生源が目に付いた。
お世辞にも屈強とは言えない平凡な体格の男三人が小さな男の子を囲んで蹴っている。
子供は地面にうずくまり、抵抗の気配すら見せずにされるがままだ。
かつての自分を思い浮かべてしまい、フィリアは甦る恐怖を必死で押し止めながら駆け寄っていく。
周囲の魔力濃度が十分であることは感覚でわかった。
男たちは近寄るフィリアに気付くこともなく、ゲスな笑みを浮かべながら男の子を嬲っている。
敵数三。まずは連携を排除。
フィリアは瞬時に状況を確認してそう決断すると、周囲に浮かぶ魔力を使って風の刃を作り出す。
生み出された不可視の刃が三つ。フィリアの左右と頭上に現れた。
「な、何だおめえは!」
そのタイミングで男たちが走り寄るフィリアに気付いた。
突然のことに戸惑う男たちの足もとへフィリアはすぐさま風の刃を放つ。
「痛え!」
瞬時に足を撫でた刃によって三人中ふたりの足から血が流れた。
痛みにうずくまるふたりの横で、敵愾心をあらわにした最後のひとりがフィリアへと蹴りかかってきた。
「このガキぃ!」
フィリアの狙いがはずれたのか、それとも見えない魔法の刃を相手が避けたのかはわからない。
だがフィリアはすぐさま次の一手を繰り出す。
男の軸足周辺へと水溜まりを生み出すと、それをすぐさま凍らせる。
「うわあ!」
踏ん張ることも出来ず、足を滑らせて転倒する男。
「今のうち、早く!」
フィリアが男の子に声をかけながら手を差し出した。
男の子は何が起こったのかわからないといった表情でフィリアの顔を見ていたが、「逃げるよ!」と声をかけられて状況を理解したのだろう。
痛みに顔を歪めながらも立ち上がるとフィリアの手をしっかりと握った。
その手を離さないよう引っぱりながらフィリアが走り出す。
しかし三人の大人に暴行を受けていた男の子の身体はボロボロで、とても全力疾走できるような状態ではない。
必死に足を動かそうとしているが、その速さは大人が急いで歩くのと変わりはなかった。
「逃がすかよ!」
転倒から立ち直った男の手が伸びてきたその時、急激に圧縮された魔力がその足もとへと集まりはじめる。
「あ、足がっ!」
その瞬間、フィリアは男の足が氷塊によって包まれていくのを見た。
「急いで!」
相手の足が止まったのを確認すると男の子の手を強引に引っぱり、フィリアは路地裏を脱出してさらに走り続ける。
いくつもの路地を抜けたところで、ようやく安全が確保できたと判断して足を止めた。
「はあ、はあ、はあ……」
フィリアと男の子の荒い呼吸音だけが静かな路地の一角で響く。
「大丈夫?」
息を整えたフィリアが男の子に声をかけた。
まだまだ幼い男の子だ。
歳はおそらく六歳から八歳ほど。
体中蹴られたらしく青あざだらけ、鼻からは血も出ている。
着ている服はボロボロで、いつから洗濯していないのかわからないほど泥と垢で変色していた。
汗臭さを通り越した異臭がフィリアの鼻腔を刺激する。
「まったく、どうしていきなり突撃するかなあ」
呆れた声と同時にロナが姿を現した。
「ごめんね。それと、さっきはありがと」
逃げるとき、最後に男の足を凍らせてくれたのであろう保護者代わりの獣にフィリアが謝罪と感謝を口にした。
「本当は手を出すつもりもなかったんだけどね。あのままだと捕まってただろうし、フィリアが怪我でもしたらアルディスに何て言われるか……」
「アルディスみたいには上手く出来なかった……」
ロナはため息をつくと、落ち込むフィリアへ追い打ちをかけてくる。
「狙いが甘いね。立ったままなら三つとも当たってただろうけど、走りながらだともっと精密に狙わなきゃ実戦では使えないよ」
「うん……」
「でもまあ、足を狙ってまず連携を断とうとしたのは良かったよ。不意を打って相手を混乱させた上で、一撃離脱。まともに対峙するのは得策じゃないから、考え方としては間違ってない」
「ほんと?」
「でも調子にのっちゃダメだよ。今回は相手がただのチンピラだったから良かったものの、熟練の剣士や魔術師相手にあんな子供だましが通用するとか思っちゃダメだからね」
「うん、わかってる」
素直に忠告を受け入れたフィリアから視線を横に移して、ロナは「それで」と話を変える。
「その子はどうするの?」
ロナが見る先にはフィリアの手を握ったままの男の子がいる。
見たこともない物言う獣に視線を向けられた男の子は、ビクリと身体をはねさせるとフィリアの後ろへ身を隠そうとした。
「大丈夫だよ。ロナは口うるさいけど、強いし優しいんだから」
男の子を安心させようとしたフィリアの言葉に、ロナが不満そうな表情を見せる。
「口うるさくさせてるのは誰のせいかわかってるのかなあ」
「アルディスじゃないの?」
「……それ自体は否定しないけど、最近はアルのせいばかりでもないんだよねえ」
「そうなの?」
「そうなんだよー。わかってくれてるかなあ? どっかの誰かさんは」
わざとらしいロナの口調に首を傾げたフィリアはややずれた答えを返す。
「わかった。帰ったらちゃんとリアナに言っておくから」
「そうじゃないんだけどねー」
フィリアとの会話に漂うのんびりした雰囲気と、器用にうなだれるロナの様子とに警戒心を解いたのか、男の子が握る手から力が抜けた。
「それはそうと、結局その子どうするの?」
「えーと……」
ロナが口にした再度の問いかけに、困り顔となるフィリア。
「家族のところへ連れて行ってあげるのがいいかな?」
「ま、それが無難だろうね」
ロナの同意を得たフィリアは少し屈んで男の子に微笑みかける。
「ねえ、きみの名前は?」
「……ハル」
「ハル君の家族はどこにいるの? わたしたちが連れてってあげるよ」
フィリアの言葉に、ハルと名乗った男の子の目が潤み出す。
「大丈夫。さっきの怖い人たちには見つからないようにするから」
先ほどの恐怖を思い出したのだろうとフィリアは考えていたのだが、次の瞬間ハルが口にしたのは予想外の言葉だった。
「……た、すけて」
「え? なあに?」
「お姉ちゃんを、助けて……。お願い、お姉ちゃんを助けてよ!」
2020/07/09 誤字修正 捉まってた → 捕まってた
※誤字報告ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






