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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十五章 カノービスの魔獣王

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第218話

 翌朝アルディスたちは双子の兄妹を案内役に、エルマーという人物を訪ねることにした。


 先頭を歩くディンに連れられたのは村の中央部に近い一軒の大きな建物。

 住民たちが暮らす家に比べれば多少造りは丁寧なものの、質素な印象はぬぐえない背の高い平屋建てだった。

 両開きの扉をディンとカリナがそれぞれ引き、外の光が建物の中に差し込む。


「エルマーさん、いる?」


「おや、その声はディンですね。何か御用ですか?」


 ディンの問いかけに建物の奥から男性の声が返ってきた。


「おはようございます、エルマーさん。話を聞きたいってお客さんを連れてきたんですけど」


「構いませんよ。お入りなさい」


 返事を聞いてそのままズカズカと入っていくディン。

 カリナにうながされてアルディスたちもその後ろへ続いた。


「お客様というと、昨日村にやって来たという方々ですか?」


 声の主が姿を現した。


 背の低い老人である。

 シワだらけの丸顔に真っ白の口ひげ、目はやや垂れがちで笑えば消えてなくなりそうに細い。

 身にまとっているのは派手さはないものの、何やら儀礼用に見える長い裾のローブ。

 その雰囲気は教職者のようにも聖職者のようにも見えた。


「そうだよ。俺とカリナが昨日連れてきた傭兵の人たち」


 ディンの言葉に続いてアルディスが口を開く。


「アルディスだ。『エルマーという人物から話を聞け』とセーラに言われたんだが、あんたがそのエルマーか?」


「ええ、おっしゃる通り私がエルマーです。見たところ双子をお連れということは、ジグの紹介ですかな?」


「いや、ジグ兄ちゃんは関係ないらしいよ」


 エルマーと名乗る老人の疑問にディンが横から答える。


「それはそれは……」


 続いて老人の口からアルディスにとって聞き捨てならないセリフが飛び出した。


「きっと女神様のお導きですね」


「女神!?」


 その瞬間、アルディスの表情が一変する。

 睨みつけるような視線を向けられながらも、老人は穏やかな表情で対応した。


「ほっほっほ。そう怖い顔をなさらないでください」


 安心させるように柔らかい言葉でアルディスの気勢を受け流すと、ひとり納得したように首を軽く縦に振る。


「なるほど、御使みつかい様が私に何を求めておられるのかわかりました。警戒なさらずともあなた方に危害を加えるつもりなどありませんよ。お気持ちは十分にわかりますが、しっかりと話を聞いてくだされば誤解も解けましょう。さあ、中へどうぞ」


 そう告げて後ろを向くと老人は建物の奥へと歩いて行く。


 老人の後にディンが続き、それをカリナが追おうとしてふと足を止める。

 不思議そうな顔をすると、アルディスが立ち尽くしたままであることに気付いて声をかけてきた。


「行かないんですか?」


「……ああ」


 短い返事を口にして、アルディスはカリナと共にエルマーたちを追いかける。

 その後をフィリアとリアナ、ネーレ、シャル、ロナが続く。


 大きな建物とはいえしょせん辺境の村である。

 さほど奥行きがあるわけでもなく、すぐに突き当たりの壁が見えてきた。

 部屋の中央は入口から続く一本続きの通路になっており、その両側に粗末な椅子が雑然と並べてある。

 中央奥は一段だけ高くなっており、壁際には人間の等身大より少し大きめに彫られた一体の像が置いてあった。


「どうぞ、適当なところにおかけください」


 彫像の前に立ってこちらを振り向いたエルマーがそう口にするが、それがアルディスの耳に届いているのかはわからない。

 なぜならアルディスの目はエルマーの背後にある彫像へと釘付けとなっていたからだ。


「ネーレ……、いやセーラなのか?」


 アルディスの眼に映る彫像の姿はネーレやセーラと瓜二つであった。


 とっさにアルディスはネーレの方へと振り向く。

 しかし当のネーレは目を伏せて黙したまま、この件について何も説明する気はなさそうだった。


「長い話になります。どうぞおかけください」


「適当に座りなよ」


「あ、そっちの椅子はちょっと汚いからやめておいた方がいいですよ」


 再びエルマーに勧められ、次いで双子の兄妹からも声をかけられるに至ってアルディスはようやく手近な椅子へと腰を下ろした。

 その左右にフィリアとリアナが陣取り、ネーレはアルディスの斜め後ろへ、シャルは少し離れて入口に近い場所へと座る。

 のそりと足もとへロナがうずくまったところで、アルディスは待ちきれないとばかりに問いかける。


「あの像は?」


 それに対するエルマーの答えは簡潔なひと言。


「女神様です」


「あれが……女神だと?」


 トリアや王都の教会に置かれている女神像は、アルディスにとって憎き仇敵の姿をしている。

 依頼の都合上、やむを得ず赴かざるを得なかった教会で見たその姿を何度剣で粉砕する衝動に駆られたことだろう。


「と、言いたいところですが……、実際にはご本人が否定なさっておいでなので今のところは私や村の者がそう信じているというだけです。あなた方にそれを押しつけるつもりはありませんのでご安心ください」


「本人、というとセーラのことか?」


「ええ、御使い様です」


 エルマーの迷いない答えに、アルディスは改めて彫像に目をやると昨日会ったセーラの顔を思い浮かべる。


「彼女が女神? 俺の知っている女神とは全く違うようだが」


「その疑問を解消するにはお話ししなければならないことがたくさんあります」


 混乱するアルディスに向けて、エルマーは自らも椅子へ腰掛けると「まずはかつての教会についてお話ししましょう」と口をひらく。


「女神様への信仰がどのくらい昔から行われてきたのか、それはわかりません。しかし教会という組織が成立したのはおおよそ七百年ほど前と伝えられています。その頃のことについて現存する記録はもはや少なく、真偽の定かではない口伝くでんがほとんどなのですが、今の教義とはかなり異なっていたようです」


「教義というのは?」


「そうですね……。例えば神界戦争で女神エイセラと対立したという邪神グレイス」


 その名を耳にしたアルディスの表情がわずかにこわばる。


「かの邪神ですが、その名が記されるようになったのは比較的近年になってからのことです。古い書物にはグレイスの名は出てきませんし、そもそも神界戦争なる出来事自体が記されていません。当然ながら――」


 エルマーはちらりとフィリアやリアナに視線を向ける。


「邪神の尖兵として女神様を傷つけたとされる双子の悪魔の存在もです」


 アルディスの左右でプラチナブロンドの頭がピクリと動く。

 不安を感じたのか、双子がアルディスに身を寄せた。


「もちろん双子を忌む風潮などあるわけもなく、私が調べたところでは親を亡くした双子を教会で引き取って育てたという話すらあったくらいです」


「今の教義を考えるととても信じられない話だが、あんたはなぜそれを知っているんだ?」


「私はこれでもかつて教会の司祭を務めていたことがありましてね。ただ、ちょっとした失敗で出世街道からは外れたクチなんですよ。それまでいた中央の教会から辺境にある寒村へと配置換え――、いわゆる左遷というやつです。たったひとり、自分以外の聖職者が誰もない、中央からはほとんど忘れ去られていた場所へ移ったのです。まあ、辺境のさびれた村ではありましたが、良い村でしたよ。人々は貧しいながらも素朴で実直、信心深く他人への思いやりにあふれていましたし、そんな方々へ女神様の教えを説き、時に支え時に支えられる日々というのは聖職者にとって何ものにも変えがたい幸福――」


 遠い目をしていたエルマーがハッと何かに気付く。


「おっと、話が脱線しましたな。歳をとるとどうも思い出話が多くなってしまいましてね……」


 申し訳なさそうな笑みを浮かべると、再び話を元に戻す。


「教会と呼ぶのもおこがましいほど朽ち果てた建物で女神様への祈りを捧げる日々。そんな中、私が見つけたのは六百年ほど昔に書かれた文献だったのです」


「文献?」


「ええ。その中にこのような記述があったのです。『エイセラ様の御髪おぐしは月のごとく輝き』と」


「月……?」


 エルマーの話にアルディスがいぶかしげな表情を浮かべた。


 現在教会の伝える女神の容姿は、アルディスにとって憎悪すべき女の姿と一致している。

 その髪色は深い真紅のはずであった。

 月のような色と表現するのはどう考えてもおかしい。


「ええ、月です。おかしいと感じるでしょう? 当時の私もそう感じました。それから私は神父としての仕事をするかたわら、古い文献を調べ、教会の影響があまり及んでいない土地へ赴いては言い伝えられている話を聞いてまわりました。そうしているうちにわかったことがあるのです」


 ひと呼吸つき、エルマーはなおも続ける。


「それは五百年前頃を境にして、教会が伝える女神様のお姿や教義ががらりと変化しているということでした。先ほど申し上げた邪神の存在や双子をむ教義もこの頃になって文献に記載され始めています。そして五百年前というのは、今教会の崇めている女神様が初めて地上へ降臨したといわれている時期に一致するのです。これがどういうことかお分かりでしょうか?」


 確かに女神が実際に地上へ姿を見せ教えを説いたとすれば、それまでバラバラだった各地の女神像や教会の教えは誤りだったとして、同じ姿、同じ教義に統一されていくのは自然なことかもしれない。


 だがアルディスは知っている。

 その女神が自分と同じ異世界で生きていた、ただの人間であることを。


 だからアルディスは『それまでの誤りを女神が正した』とは言わず、こう答える。


「五百年前に現れた女神は……本当の女神ではない」


 エルマーがゆっくりと頷く。


「よくここまでの話だけでその答えを導き出せましたね。私など、そこへ行き着くまで四年もかかったものですが」


 苦笑を浮かべながら自らの考えを続けて口にした。


「人によっては、五百年前に降臨した女神様がそれまでの誤りを正したと考えるかもしれません。しかし私の調べた限り、五百年以上前の古い文献には女神様の御髪が赤かったと記述しているものはひとつもありませんでした。もっとも、そこまで古い文献など現存するものは数少ないのですが……」


 エルマーがおもむろに立ち上がる。


「当時の私もそこに違和感を覚えたのです。そして考えに考えた結果、あなたと同じ結論に至りました。古くから人々に信奉されていた女神様と、今教会が信奉する女神様はもしかして別の存在なのではないか、と」


 そのまま部屋の奥に設置されている女神像へ顔を向けて言った。


「もちろん教会が信仰している女神様も確かに人知を超えた存在なのでしょう。教会に伝わる奇跡の数々はそれが神の手によるものであることを教えてくれますから。ですがいくらかつて敵対した邪神の尖兵せんぺいが双子だからといって、人間の双子がみな忌むべき存在だなどとあまりにも慈悲のないことではありませんか。女神様はそのように狭量ではないはずです。すべてを受け止め包み込み、そして慈しむ。それがこの世界の頂点に御座おわす存在というものではないでしょうか。そのことに気付いてからというもの、私は教会の人間が口にする教義がまがい物のようにしか感じられなくなったのです。……もっとも、かつての私は双子を忌諱きいする教義に何の疑問も抱いていなかったのですけどね」


 自嘲するかのような声でそう付け加えると、改めてアルディスたちの方へ顔を向け直す。


「しかしそんな考えを周囲に広められては困ると教会は考えたのでしょう。その後私は中央から破門されたばかりか、異端者として追われる身になってしまいました。教会に追われる身ではどこへも行けません。食べるものもろくに手に入らず、進退(きわ)まった私が荒野をさまよっていた時に救いの手を差し伸べてくださったのが御使い様その人。もう、かれこれ三十年ほど前の話です」


2020/02/23 修正 三百年ほど昔 → 六百年ほど昔


2020/06/23 誤字修正 姿を表した → 姿を現した

2020/06/23 誤字修正 人知を越えた → 人知を超えた

※誤字報告ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いよいよこの世界の秘密が明かされるな。 そもそも、この世界自体を赤髪の女神が作ったんじゃなかったのか。 [気になる点] 500年だとアルディスの世界で500日、約二年弱。赤髪の女将軍が何や…
[一言] 500年前の転換期に何があったか気になりますね
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