第219話
「ちょっと待ってくれ。三十年前? 三十年前と言ったな?」
三十年という思いもよらない長さを耳にして、アルディスは腰を浮かしかける。
「はい。確かにそう申し上げましたが」
「その三十年前にあんたが会った御使い様ってのは、先代とか、そういうのがいたってことか?」
「いいえ。あなたもお会いになった御使い様ご本人のことですよ」
「はあ?」
アルディスにはエルマーの言っている意味がわからず、間抜けな声がその口からもれる。
「驚かれるのも無理はありませんね。御使い様のお姿は三十年前から何ひとつ変わっておりませんし」
「……変わって、ない?」
「ええ。私が御使い様に救われ、この地へ導いていただいてから三十年の月日が経ちました。ですがあのお方の美しさは時の流れなど存在しないかのようにいささかも損なわれていません」
思わずアルディスはロナと目を合わせる。
その瞳には同じく理解に苦しむといった感情がうかがえた。
次いでアルディスは振り向く。
そこには初めて出会った時と全く変わらない容姿の自称従者が目を閉じて座っている。
薄々おかしいとは思っていた。
トリアで活動していた頃から数えるとすでに七年の月日が経っている。
しかしネーレの姿は今もなお十七、八の少女にしか見えない。
アルディスもとある事情により加齢のわかりづらい身体になっているが、それでも着実に成長はしていた。
老境に入った人間ならいざしらず、うら若き乙女が七年もの間変わらぬ外見を保っていることに、今さらながら疑念を抱く。
その視線が自分の両隣に座る双子へと向いた。
「どうしましたか?」
コテリと首を傾げてリアナが問いかけてくる。
フィリアとリアナの年齢は十四。
出会った頃はアルディスの腰までしかなかった身長も、今では肩と同じ高さにまで届いていた。
これが普通の成長だ。
特殊な事情を持つアルディス自身は別としても、ネーレの容姿に変化がないのは異常なことと言って良かった。
だがここに来てそれ以上に異常な存在が現れたことになる。
ネーレと瓜二つでありながら、三十年もの間姿の変わらないセーラという存在。
普通ならばとても信じられない話であるが、その一方でアルディスのすぐそばにいるネーレという存在がセーラの異質性を現実として突きつける。
「そんな、ことが……」
「普通の人間ではありえないことでしょうね」
困惑するアルディスにエルマーはごく自然に言ってのける。
その声色からはアルディスの危惧する感情はうかがえない。
「怖い、とは思わないのか?」
「まさか、とあえてお答えしましょう。私個人にとってもこの村にとっても大恩あるお方です。あの方の存在は私たちにとって奇跡であり、その御手は常に私たちを深い慈愛で包んでくださいます。どうして魔物だらけの土地でこの村が存続できているのか、お分かりでしょうか? この村を中心として周囲には御使い様の結界が張られております。危険な魔物や獣はその結界により近づいて来ませんが、その一方で私たちの糧となる草食の獣はその結界に妨げられません。そのようなこと人間に出来ることではないでしょう。ならばそれをなせるは神か悪魔か――」
得体の知れない存在を目の当たりにすれば、人間は正常な思考を保てなくなる。
思考を停止して全面的に受け入れる者もいれば、理解不能な事態を否定して攻撃する者もいることだろう。
それが人の心に神と悪魔を生み出させる。
「ですが、少なくともあの方が悪魔であるなどと考えている人間は、この村にひとりもおりませんよ」
「結界?」
エルマーの語った言葉の中に、神や悪魔という言葉よりも気になる単語を聞き取り、アルディスは問う。
「はい。魔法の使えない私ではどのようなものかわかりませんが、この村から歩いて一時間程度の距離であればまず危険な生き物が入り込むことはありません。御使い様の庇護があればこそ、このような魔物だらけの土地で私たちは平穏に暮らす事が出来ております。もっとも、距離が開くにつれてその効果も次第に弱くなるようで、二時間も歩くと結界の外に出てしまいますが」
悪意ある者を拒む巨大な結界。
それ自体はアルディスにも構築することはできる。
だが一時的にというのであればともかく、恒常的にひとつの村を包み続けるのはアルディスにとっても労を強いられる話だ。
まして歩いて一時間の範囲すべてをとなれば、さすがのアルディスにも荷が重い。
かつて轡を並べた天才魔術師ならば平然とやってのけそうではあるが、そんな存在がこの世界にいるとも思えなかった。
そんな人材がいるのならば、大陸中にその名が轟いていなければおかしいだろう。
ならばそんなことが出来る存在とは一体何者なのか。
アルディスは嫌々ながら推論を口にする。
「彼女が……女神だとでも?」
それを聞いてエルマーは苦笑した。
「たとえそうであっても驚きませんが、ご本人が否定していらっしゃいますので私からは何とも……。ただ女神様が使わしてくださったお方――との敬意を込めて『御使い様』と呼ばせていただいております」
エルマーの答えを聞いてアルディスは少しだけ安堵する。
セーラに対してずいぶんと心酔している様子だが、少なくとも狂信的に崇めているというほどではないらしい。
アルディスにとってはセーラが本物の女神だろうが、あるいはそれ以外の神だろうが関係はない。
しかしたとえ仇敵の女将軍とは別の存在だとしても、この七年間の経験は盲信的な人間に対する嫌悪感というものをアルディスの意識へ植え付けるのに十分な理由となっていたからだ。
「それでそこにある像が彼女の姿そのものなのか」
「女神様の像をつくる際、御使い様からは『好きにすればいい』とのお言葉をちょうだいいたしましたので、そのお姿をお借りいたしました。私にとっても村の人間にとっても御使い様のお姿以外には考えられませんでしたから。そういう意味では私たちの『こうであって欲しい』という願望を形にしたと言うべきでしょうかな」
その後、話は村の成り立ちへと移る。
エルマーの話によると、ここはセーラに導かれてやって来た人間たちが興した村だという。
異端者として追われたエルマーのような人間。
双子を抱えて行くあてのなくなった家族。
絶望だけを供にして生きてきた元物人。
いわれなき迫害を受けて故郷を捨てざるを得なかった一族。
そういった者たちに対して時に直接、時に人を介して救いの手を差し伸べたのがセーラだという。
だからこそこの村の人間にとってセーラという人物は女神にも等しい存在であり、たとえ数十年もの間姿が変わらぬ異質さをみせたとしても敬愛を向けずにはいられない相手なのだろう。
「この村がいつから存在するのかは私も村長も知りません。今いる村民の半数以上はこの地で生まれた者ですし。外の世界を知るのは私のように御使い様に導かれやって来た人間か、この村を離れて行商をしている者くらいです」
どうやら完全に外の世界と交わりを断っているわけではなく、定期的に村の人間が行商人として必要な物を買い付けてくるらしい。
滅多にいないがアルディスたちのようにカノービス山脈へと足を踏み入れる傭兵が偶然やって来ることもあるらしく、よほど偏執的な価値観を持った人間でない限りは受け入れているとのことだった。
「たとえ教会にこの村の存在が明るみとなったところで、どのみちここまでやって来られるわけではありませんので」
たまたま立ち寄った傭兵からこの村の存在が知られてしまうのでは、という危惧に対するエルマーの答えはそれだった。
エルマーの話を聞き終え、アルディスたちが宿代わりに提供されている建物へ戻ると、その入口で待ち構えていたようにセーラが立っていた。
彼女はアルディスの姿を見るなり、「さて、昨日の続きといきましょうか?」と、軽い調子で口にする。
「……ふたりだけで話ができるか?」
「かまわないわよ」
アルディスはロナに双子の守りを任せ、セーラとふたりで村外れへと歩いて行く。
完全に周囲からひとけがなくなったのを確認すると、アルディスが前を歩いていたセーラを呼び止める。
「このあたりで構わないだろう。どうせ誰か近付いてくればすぐにわかる」
「そうね」
セーラが振り向いた。
いまだに警戒心をまとったままのアルディスとは異なり、その表情はどこまでも柔和な印象を与える。
アルディスに対してもまるで母が子を慈しむかのような眼差しを向けてきていた。
妙な居心地の悪さに気勢を削がれながらも、アルディスは疑問を解消すべく問いかける。
「あんたがなぜ『御使い様』と呼ばれているのかはわかった。この村における立ち位置もな」
「ああ、良かったわ。さすがにそれを自分の口から説明するのは気恥ずかしいし、エルマーが話してくれて助かったわ」
片手を頬に添えながらセーラは苦笑いを浮かべる。
「自分の姿が神様扱いされているのはどういう気分だ?」
「あら、意外と意地悪なのね」
やや悪意のある問いかけにも軽く笑みを浮かべるだけで、セーラは気にした様子もなく答えを口にする。
「恥ずかしいに決まってるでしょう? でもエルマーや村の人たちがどうしてもって言うし、それにあながち……」
「あながちなんだ?」
「いいえ、別に……。誰かに迷惑をかけるわけでもないし、私が気にしなければいいんじゃないかしら」
お気軽な様子で答えるセーラへアルディスはさらに追及する。
「実際のところはどうなんだ?」
「実際のところというと?」
「あんた……本当に女神ではないんだな?」
「あー……」
セーラは合点がいったという顔を見せて、次の瞬間クスクスと控えめに笑い出す。
「そんなわけないでしょう。私が女神気取りのイタい女だとでも思ったの?」
その反応に、アルディスはむしろ居心地の悪い気分に襲われる。
「神様なんているわけないじゃない。そんなのがいて救いの手を差し伸べてくれるなら私たちだってこんなに苦労してないわよ」
あっさりと断言するセーラの様子に、アルディスはかつて同じような反応を示したネーレの言葉を思い出す。
『女神に限った事ではない。居らぬよ、神などという者は。少なくともこの星にはな』
『ほし? なんだそれは?』
『大地、海、空。それらすべてをあわせた世界のことよ。そのいずれにも神は居らぬ。遙か彼方にはもしかすると居るのかもしれぬ。だが少なくとも人間がたどり着けるところにそんなものは居らぬよ』
七年前、ネーレへ問いかけたようにアルディスはセーラに疑問をぶつけた。
「じゃあ教会の信仰しているあの女神というのはなんなんだ?」
「そんなの本人に訊けばわかるんじゃない?」
「まるで興味がないとでも取れる言い様だな」
「だって興味がないもの」
心底関心がなさそうに肩をすくめると、それにあわせて黒衣の表面を赤茶けた長髪が滑っていく。
「力を持った人間が神を名乗って周りに自分を崇めさせるなんて、いつの時代でもあることよ。数え上げたらきりがないわ」
うんざりといった顔でセーラは言い放つと、持論を展開する。
「もちろん精神的なよりどころとして心の中に神を持つのは別に悪いことではないと思うけれどね。神に限らず何かを信じることで苦難を乗り越える強さを得られるのなら、それ自体を否定するつもりはないわ。でもそれは誰かから押しつけられたり、誰かに押しつけるようなものであってはならない。まして誰かを不幸にするための道具にするべきではない。だからエルマーや村の人たちが何を信仰しようと、それを無理やり誰かに押しつけたり道具として悪用しない限り私たちは気にしないわ」
「その論理で言えば、今の教会は女神の教義とやらを振りかざして不幸を振りまいているようにしか思えないが?」
「そうね、困ったものだわ」
短いため息をつくと、セーラは出来の悪い子を心配する母親のような表情をみせる。
アルディスのような女神に対する敵愾心は持ち合わせていないようだが、少なくとも教会へ肩入れしているようにもみえない。
全面的に信用するのは危険だろうが、敵になる可能性も低いと結論付けたアルディスは念のため釘を刺すだけに止める。
「俺は神なんてものが存在しようとそうでなかろうと、そんなことはどうでもいい。だが目的を果たすためにはたとえ相手が神を名乗っていようと引くつもりもない。もしもあんたが俺の目的を果たすための障害になるというのなら……」
最後の言葉を濁してセーラへと鋭い視線を向ける。
「目的というのは双子を守る事?」
「……それも含めてだ」
セーラの問いかけに一瞬無言となるが、すぐに思い直して答えを返した。
「心配せずとも私の役目は『見守ること』よ。あなたの障害になることはおそらくないわ」
「だったらいい」
返ってきたセーラの答えにひとまず満足し、アルディスは彼女への警戒を解いた。
2020/02/16 誤字修正 最期の言葉 → 最後の言葉
2020/02/16 誤字修正 そんな、なことが → そんな、ことが
※誤字報告ありがとうございます。
2020/02/23 脱字修正 変わぬ → 変わらぬ






