第217話
夜の拡がった村のはるか上空。
ぽっかりと覗いた淡い『月』の光を背にして浮かび上がる小さな人影があった。
赤茶けた髪を夜風になびかせるその人物は村で『御使い様』と呼ばれている女性、セーラである。
黒く塗りつぶされた天を見ていたセーラは自らに近付く人物へ振り向いて口を開いた。
「早かったわね」
「お待たせして申し訳ございませぬ」
宙に浮いたまま器用に頭を下げるのは、ディンとカリナの兄妹が村へと連れてきた練能の娘である。
同行する人間たちからは確かネーレと呼ばれていたはずだとセーラは思い起こす。
「お仲間さんは?」
「久しぶりの暖かい夜にぐっすりと眠っております。もっとも、我が主は我が抜け出したことにも気づいておるでしょうが」
もちろん練能の娘が主と認めるくらいだから、それだけの能力を持っていることは驚くべき事でもない。
しかしその程度であれば古今東西いくらでも似たような人材はいることだろう。
セーラたちにとって重要なのはその先に至ることのできる人間かどうかだった。
「彼は有望なのかしら?」
「若いながらもかなりの力を持っておるようです。加えてまだ秘めたる力もあるように思えます。よくは分かりませぬが今の自分にもどかしさを感じておるような仕種がときおりありますゆえ、のびしろは大きそうです」
「あなた方にそこまで言わせる人間、か……」
ネーレたち練能の娘にそこまで言わせる人間は多くない。
「……彼は『白扉』を開けるかしら?」
だからこそ、詮無きこととわかっていてもついその問いを口にしてしまう。
「見込みは十分あるかと」
そして練能の娘は常に同じ答えを返してくる。
いったいこのやり取りも何度目だろうかとセーラは内心苦笑した。
「救魔の剣はあなたが?」
「いいえ。我が主がコーサスの森で見つけたと聞いております」
「そうなの……」
だが今回の人間は少し状況が異なるようにも思えた。
「練能の娘に見出され、救魔の剣を手に、そして展見とも邂逅する。ものすごい確率ね。まるで物語の主人公だわ」
練能の娘に見出された人間は幾人もいる。
救魔の力を手に入れた人間も過去を遡ればそれなりにいるだろう。
たまたま自分たちと巡り会うことになった人間も長い年月の間には結構な数がいた。
だがそのすべてをひとりの人間が経験することなど、確率的に奇跡と言って良いほどだ。
「ただの偶然では?」
「そうね。ただの偶然かもしれない。でも夢を見るくらいはいいじゃないの。希望も持たずに永い時を見守り続けるのは悲しすぎるわ」
「恐れながら、それがお役目というものです」
ネーレの物言いに一瞬驚きをあらわにしたセーラだったが、だからといって不快感を抱くこともなく却って表情を嬉しそうにほころばせる。
「もちろん、それは言われるまでもなく理解しているつもりよ」
「出過ぎたことを申し上げました」
「いいのよ。むしろ新鮮だったもの」
鷹揚にセーラが許す。
「しかしなぜこのような場所におひとりで? お付きの者はどうなされたのですか?」
「娘たちなら上よ」
問いかけを受けてセーラが漆黒の空を見上げる。
暗色のカーテンに遮られたはるかかなたでこちらを見ているであろう娘たちに意識を向けると、おかしそうに小さく笑う。
「うふふ。あの娘たちも珍しく動揺しているわ。どうして自分たちではなく練能の娘が私のそばにいるのかって。まるで嫉妬しているみたい」
「そのような感情は持ち合わせておりませぬ」
断言するネーレの考えにあえてセーラは疑問を投げかける。
「そうかしら?」
「我も彼の者たちも型は異なれど素体は同じ設計。お役目を果たすために必要な機能は組み込まれておりますが、そのような人間らしい無駄は排除されております」
「それはあなたたちがそう思い込んでいるだけよ。私たちは血の通わない人形を作ったつもりはないわ。現にあなたたち、同じように見えて実は結構個性らしきものもあるのよ?」
「……そうは思えませぬが」
沈黙を挟んでなおも認めようとしない頑固な姪にセーラは指摘してみせる。
「自分の事は分からないものね。うちの娘たちは私に向かって諫言めいたことは言わないし、服装ひとつとってもあなたのように肌を見せるようなものは身につけようとしないでしょうね」
「これは……。人の世界で溶け込むには都合が良かっただけのことで、他意はございませぬ」
「ここ百年くらいで月夜の娘や至政の娘にも会ったけれど、みんな代わり映えのしないローブ姿だったわ」
楽しそうに笑みを浮かべてセーラは言い放った。
「私の目には結構個性的に映っているわよ、あなた」
言われた方のネーレは心外とばかりに表情を歪める。
「ほら、他の娘はそういう表情しないもの。……やっぱり人との接触が多いとそうなるのかしら?」
物言いたげなネーレをよそに短い時間考え込んでいたセーラだったが、ふと何かを思い出したように表情を引き締めた。
「それはそうと。あなた自分の主に何も説明していないってどういうことなの?」
「なにも隠し立てしておるわけではございませぬ。必要に迫られれば時と場合に応じて告げております」
問い質すセーラの言葉に涼しい顔をして答えるネーレ。
「へえ……、じゃあ『白扉』のことは?」
「まだ伝えておりませぬ」
「役目のことは?」
「伝えておりませぬ」
「私たちの目的については?」
「伝えておりませぬ」
「セーラのことは?」
「いずれそのうち」
「他の娘たちのことは?」
「出くわすまでは不要かと」
「魔力のことは?」
「魔力の扱いには難儀しておらぬようです」
「それで救魔のことも練能のことも説明していないのよね?」
「おっしゃる通りです」
立て続けの問いかけに、何ら後ろめたいことなどないと言わんばかりにネーレが即答する。
「……要するに何ひとつ説明していないってことでしょう?」
「訊ねられませなんだゆえ」
予想通りの答えにセーラが片眉をつり上げる。
「あきれた。……まったく、そういうところだけは他の娘と同じなのね」
セーラは両手を腰にあてて頭を振りながら、昼間の光景を再現するかのごとく深いため息をつく。
一方のネーレは悪びれた様子もなくその理由を口にする。
「『白扉』にたどり着けぬ者へは必要のない知識かと。せめて我がセーラ様に匹敵する力量を有するまでは、知らずとも良いことではございませぬか?」
「練能に匹敵するとか、いったいどれだけ基準を高くするつもりよ」
咎めるようなセーラの視線もどこ吹く風でネーレが続ける。
「我がセーラ様と互角の域へ達することも出来ぬ者に『白扉』が開けるとは到底思えませぬ」
「それはもちろんそうだけれど」
「これまで我がセーラ様のお眼鏡にかなったのはわずか五人。他の者が見出した人間を合わせてもです」
「大変な役目だというのはわかっているわ。私と違い練能のあなたたちが砂漠に苗木を植え育てるような努力を続けていることもね」
「根も張れぬ苗木に大樹の夢を見せるのは酷でありましょう。細い枝についたわずかな葉で灼熱の日差しを遮れと求めるのは荷が重すぎましょう。ただ人の中で強者として生き、満足して土に還るのならば、何も告げられぬままの方が幸福というものではございませぬか?」
思いのほか多くの言葉を費やしたネーレの答えに、込められた思いをセーラは汲み取った。
「……それがあなたなりの慈しみというわけ?」
「……由無き事を申し上げました」
認めたくないのか、それともセーラに対して斟酌したのか、ネーレはこの話題を終わらせようと無難な答えを口にする。
「やっぱりあなた、十分以上に個性的よ」
そんなネーレの様子を見てセーラが改めて笑みを見せながら評する。
とはいえセーラの立場上、ネーレひとりだけの感傷を優先するわけにもいかない。
「でも『白扉』の解放は私たち全員にとっての悲願でもあるわ。悪いけれど彼が疑問をぶつけてきた時は相応の答えを返すつもりよ」
遠い異国にいる人間が相手ならばいざしらず、こうして同じ場所で出会ってしまった以上はセーラにもそれなりの責任が生じる。
「セーラ様のお心のままに」
面と向かって告げられればネーレの立場ではそう答えるしかないだろう。
しかしセーラにとって、目の前にいる練能の娘が興味深い個体であることは変わりない。
「とはいえあなたの意志を踏みにじりたいわけではないから、こちらからすべてを明かすのはやめておきましょう。エルマーの話を聞いて彼がどこまでの真実を求めるかはわからないけれどね」
「ご高配感謝いたします」
セーラからの言葉に無表情のままネーレが胸に片手をあてて深く頭を下げた。
2020/02/02 誤字修正 光りを背に → 光を背に
2023/10/20 変更 夜の娘 → 月夜の娘






