第58話 手続きと巨大ベッド
王城での手続きは、驚くほどあっさりしていた。
必要な書類に署名をして、証人の立ち会いのもと誓約を交わす。
国王陛下と上層部には正式に報告がなされ、祝福の言葉をいただいた。
それだけだ。
あれほど命懸けの想いを交わしたのに、紙の上ではこんなにも静かに、淡々と、私は“妻”になった。
不思議な気分だった。
そして――一番大変だったのは、そこからだった。
宿舎に戻り、荷物をまとめ始めると、当たり前だが同僚たちに見つかった。
「え、クレシア? どうしたの、その荷物」
「引っ越し?」
「え、え、まさか退職?」
私は深呼吸して、できるだけ平然を装って言った。
「えっと……結婚することになったので、宿舎を出ます」
一瞬の沈黙。
「ええっ!?」
「いつの間にそんな!?」
「相手は!?誰!?」
囲まれる。
詰め寄られる。
逃げ場がない。
私はにこりと営業用の笑顔を作った。
「あ、お相手は一般の方なので」
まるで有名俳優の会見みたいな台詞が口から出た。
「一般!?」
「どこの一般!?」
「城内?城外!?」
質問攻めをかわしつつ、私は荷物を抱えて脱出した。
顔が熱い。
嘘は言っていない。
……はず。
王族とかじゃないし。
……でも団長です、とは言えない。
絶対言えない。
バクバクする心臓を抱えたまま、私は屋敷へ向かった。
門をくぐり、見慣れた玄関へ。
ここが、今日から私の帰る場所。
そう思った瞬間、胸がきゅっと締まった。
使用人に案内されて廊下を進み、主寝室の前を通りかかった時だった。
部屋の中で何やら大きな物音がしている。
ちらりと覗くと、屈強な職人たちが巨大な家具を運び込んでいるところだった。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
とんでもなく大きなベッドだった。
これまで見た中で一番大きい。
天蓋付き。
厚いマットレス。
深い色合いの木枠。
「すご……誰が寝るんだろ……」
そこで、ふと気づく。
……主寝室。
……今日から、ここに住むのは。
「……って、私か!?」
その意味を理解すると、顔が一気に熱くなる。
私と、あの人が。
……この、ベッドで。
そこへ背後から低い声が落ちてきた。
「ようやく届いたか。間に合ってよかったな」
振り向くと、腕を組んだヴァレリウスが立っていた。
「あ、あの、師匠、これ、って、その……」
視線がどうしてもベッドに吸い寄せられる。
彼はごく自然に言った。
「ああ。二人ならこれぐらいある方がいいだろう?」
二人。
二人。
二人。
頭の中でその単語がぐるぐる回る。
「わ、私、も、これに、ですよね」
かろうじて絞り出した声は情けなく震えていた。
「他に誰がいる」
真顔で即答された。
「あ、はは……ですよね……」
顔が熱い。
熱い。絶対赤い。
耳まで赤い。
職人たちが退室し、部屋が静かになる。
巨大なベッドと、私と、彼。
逃げ場がない。
彼はゆっくりとこちらへ歩いてきて、私の前で止まった。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「今夜からだな」
心臓が止まりかける。
「ずいぶん我慢したんだ。覚悟しておけよ」
その美しくも妖しい笑みを見た瞬間、羞恥が限界を突破して、私は思わず——
「……っ、ストーップっ!」
反射的に彼に向かって時間魔法を飛ばした。
限界まで時間を引き延ばす。
空気が粘る。
彼の動きが、ほとんど止まったかのように遅くなる。
(よし、これで距離を――)
と顔を見上げた瞬間。
甘い視線が、ゆっくり。
本当に、ゆっくり。
彼が、瞬きをする。
長い睫毛が、ゆったりと誘うように下りて、上がる。
その間、視線は一度も逸れない。
じわり、と口元が持ち上がる。
濃縮された色気が、逃げ場なく迫ってくる。
(ああああ逆効果だったああああ!!)
ゆっくり、ゆっくり近づく顔。
時間が遅くなった分、色気耐久時間も伸びてしまった。
しまったこれは耐えきれない。
「む、無理っ……」
慌てて解除。
世界の時間に戻った瞬間――
一瞬で腕の中。
「俺に時間魔法をかけるとは」
耳元に、低い声。
「いい度胸だ」
ぞくり、と背筋が震える。
「し、師匠……!」
「ヴァレリーだ」
腕に力がこもる。
そして、耳元で囁く。低くて甘い声、反則だ。
「悪いが、俺も時間魔法は使える」
私の髪を一房掬って、指に絡める。
心臓が止まる。
「この帳尻は合わせてやる。今夜、楽しみにしておけ」
時間魔法には反動がある。
帳尻は必ず合う。
(え、待って、それどういう意味ですか!?)
顔が一気に真っ赤になる。
ヴァレリーは余裕の表情で、頬をそっと撫でる。
「覚悟は、できているんだろう?」
完全敗北。
逃げたいのに、逃げたくない。
胸の鼓動がうるさい。心臓が持たない。
でも。
私は真っ赤なまま、ぎゅっと拳を握った。
――覚悟。
ちゃんと、してますから。
……できてる、はずです……ヴァレリー……。




