第57話 愛の言葉
リリアナが出ていって、病室の扉が閉まって、しばらくの静寂が続いた。
団長の指が、まだ私の髪に触れている。
そして私は――気がついている。
結構前から。
目は閉じたまま。
頭もベッドに乗せたまま。
でも、はっきりと意識はある。
さっきのリリアナと団長の会話も、全部、聞こえていた。
耳が熱い。顔もきっと真っ赤だ。
(「愛している、と」「ああ、伝えよう」)
その言葉が胸の奥で何度も反響している。
リリアナ、絶対わかってて言った。
私の耳が真っ赤なのわかってて、わざと言った。
ああああ恥ずかしい。
なのに嬉しくて心臓がドンドン跳ねている。
……もう、起きていいよね。
そっと瞼を持ち上げる。
視界に入ったのは、弱々しくも確かな笑みを浮かべた師匠の顔だった。
その表情を見た瞬間、さっきまでの恥ずかしさはどこかへ飛んで、安堵が胸に広がった。
「よかった……」
声が震える。
「本当に、よかった」
涙が、勝手に溢れた。
私はゆっくりと体を起こして涙を拭った。
「もう、会えないかと思って、怖かった。死んじゃうんじゃないかって、本当に、怖かったんです」
師匠はゆっくりと体を起こそうとする。
「あ、まだ無理しないでください」
慌てて支えると、彼の体はまだ重く、力が入っていないのがわかる。
「……お前が、助けてくれたんだな」
低く、静かな声が少し掠れている。
私は目を伏せる。
「必死だっただけです。……でも、届いて、よかった」
彼の手が、私の頬に触れる。
「クレシア」
「はい」
迷いのない視線が、まっすぐに向けられる。
「正直に、伝える。お前を、愛している。俺のそばにいてほしい」
心臓が跳ねる。
「師匠……」
また涙が出る。
「どうだ? お前は」
逃げられない。
逃げたくもない。
「あの、私も……師匠のそばにいたいです」
沈黙。師匠が私の目を覗き込んでいる。まだ言うことがあるだろう、と。
鼓動がうるさい。
「あ、愛しています」
目を見るのは恥ずかしくて視線はそらせたままだけど、言えた。
彼の口元が、ほんの少しだけ柔らぐ。
「そうか」
彼はゆっくりと腕を回す。
けれど力が入らないのか、抱擁は頼りない。
「残念だな。もっと強く抱きしめたいが、体が言うことをきかない」
顔が一気に熱くなる。
「し、師匠はまずしっかり休んで回復してください!」
「ヴァレリーだ」
「へ?」
「師匠は禁止する。ヴァレリーと呼べ」
「ええっ、いきなりですか?」
「二人の時だけだ」
「二人の時って…………じゃあ今だけってことですね」
「…………」
私は宿舎住まいだし、仕事中に二人になれるわけがない。
「だって、そうじゃないですか」
彼は一瞬目を細め、それから小さく息を吐いた。
「……わかった」
そして、静かに告げる。
「……ならば結婚しよう。クレシア、俺の妻になって欲しい」
え?……今なんて?
結婚?
……俺の妻?
クレシアって私のことよね?
「……は? は、話が飛びすぎです! 何言ってるんですか!」
「おかしくはないだろう。一緒にいたいなら結婚すればいい」
「だから!」
「嫌なのか?」
その問いは、驚くほど真剣だった。
胸がぎゅっと締めつけられる。
師匠、の、妻。
結婚。
「嫌じゃ、ない、です……けど」
師匠はじっと私を見つめてくる。
くそう、なんでこんなに綺麗な顔なんだ。
反論しづらいじゃないか。
「……急です」
「わかっている」
「死にかけてたんですよ」
「だからだ」
「は?」
師匠の目が、真っ直ぐに私を射抜く。
「倒れた時、何も見えなかった。あのまま終わるのかと思った。目が覚める前、お前の魔力を感じた。温かい、と思った。」
静かな声。
「生きている時間を無駄にしたくない。お前のそばにいたい。だから、結婚したい」
ずるい。
そんな言い方、ずるい。
涙が滲む。
「……ずるいです」
少し怒ったように睨む。
「そんなこと言われて、断れるわけないじゃないですか。ちょっとは考える時間とか心構えとか、くれたっていいじゃないですか」
師匠は黙って私を見る。
逃げ場はない。
「……私だって、大好きですよ! もうっ!」
一歩踏み出す。
力の入らない彼の腕の中へ、自分から身を寄せる。
小さくため息をつく。
緊張をほぐすような、喜びを吐き出すような、短いため息。
「わかりました。……ヴァレリー。結婚しましょう」
思い切って呼んでみた。
彼の胸から、小さく息が漏れる。鼓動が聞こえる。
今度こそ、確かに抱きしめられた。
弱いけど、確かな力で。
ああ……嬉しい。
私、本当にこの人のことが、好きなんだ。
「お前を……誰にも渡さない」
耳元で少し掠れた低い声が、優しく響く。
「……はい」
その言葉は自然に出た。
窓の外では、静かに光が差し込んでいる。
命は、まだ続いている。
そして、これからも。




