第59話 ヴァレリウスとクレシア<完結>
=最終話=
初夜から、ひと月ほど経った。
ヴァレリーは魔力が強いせいで若く見えるけど、実際は十歳も年上だから、もっと色々と落ち着いているのかと思っていた。
――思っていたのに。
「……眠い」
思わず漏れた私の声に、隣から低く柔らかな笑いが落ちる。
「新人が朝早いのは当然だな。頑張って起きろ」
「だったら……もう少し手加減というものを……」
恨みがましく言ってみる。
昨夜も、結構な時間まで起きていた。正確には、寝かせてもらえなかった。
「無理だ」
甘い声で即答。
そのまま頬を撫でられる。
ずるい。
そんな声色で言われたら、反論なんてできなくなる。
結局、私は何も言い返せず、布団から這い出る。
身体のあちこちがまたじんわり重い。
でも、不思議と心は満ちている。
鏡の前で顔を拭き、髪を整え、制服に袖を通す。
襟元を留めた瞬間、気持ちがすっと切り替わった。
王宮魔法士、軍属新人クレシア。
今日も朝一番で出勤だ。
軍属魔法士の詰め所の掃除を済ませ、先輩たちが来る前に整えておく。
団長が現れる頃には、全てがきちんと整っていなければならない。
……団長。
その呼び名に、少しだけくすぐったい気持ちが混ざる。
視線を向けると、ヴァレリーはまだベッドの上でくつろいでいた。
重役出勤だからな。
少し羨ましい。
でも。
「行ってきます」
そう声をかけると、彼は穏やかにこちらを見る。
「また後で」
優しい声。
この後、城で顔を合わせるときには、彼は団長だ。
凛とした表情で、冷静で、隙のない上司。
それもたまらなく素敵だと思ってしまうのだから、私も重症だ。
私たちが夫婦になったことは、城の中でも徐々に知られていっているらしい。
ヒソヒソと噂が聞こえることもある。
けれど大きな混乱はない。
屋敷で暮らしているから、直接詮索されることもほぼない。
「行ってらっしゃいませ、奥様」
執事のザインが見送ってくれる。
奥様、と呼ばれることにも少しずつ慣れてきた。
出入り口の扉を開けると、早朝の庭の空気が頬に触れた。
ひんやりと澄んだ風を胸いっぱいに吸い込むと、夜の名残りの熱がきれいに流れていく。
戻ってくる。王宮魔法士としての私が。
屋敷の門を出て見上げれば、聳え立つ城。
どこか懐かしい形。
『王宮魔法士シリーズ』の漫画で見た記憶と同じ輪郭。
けれど、あの物語の続きがどうなるかなんて、私は知らない。
この世界がどう動くのかも。
続きを読んでおけばよかったとはもう思わない。
ただ――
この世界で。
あの人の隣で。
精一杯、生きていくだけだ。
職場までは徒歩二十分。
足音を刻みながら、私は城へ向かって歩き出す。
新しい朝の、光の中へ。
<完>
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
無口な師匠と、不器用な弟子の歩みを最後まで見届けていただけたこと、とても嬉しく思っています。
二人の関係が少しずつ変わっていく時間を、楽しんでいただけていたら幸いです。
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またどこかでお会いできましたら嬉しいです。




