第30話 制服と弟子とイタチの知らせ
昼間、掃除の途中で開けられた箱が、まだ机の上に置かれていた。
その中には、王宮魔法士筆頭の制服が畳まれている。
ヴァレリウスはしばらくそれを見つめていた。
深い藍色の布。
腰帯。
縁取りの刺繍。
見慣れていたはずの衣服が、今は少し遠く感じられる。
王都を出た日のことを思い出す。
冤罪。
失脚。
追放。
自分が陥れられるとは思っていなかった。
油断していた。
傲慢だった。
力でねじ伏せられると思っていた。
だが敵は違った。
執着し、待ち、機会を作り、静かに崩してきた。
守るべき秩序を、自分が壊したのではないか。
王宮を離れたあとも、その考えは消えなかった。
ここへ来たばかりの頃は、情けなさと後悔ばかりだった。
何もできない自分を思い知らされる日々だった。
王都の様子は気になった。
だが知る術はない。
知ったところで、失脚した立場の自分にできることもない。
あの日。
見送りに来たリリアナの顔を思い出す。
「ヴァレリウス様の冤罪、必ず晴らします」
そう言っていた。真っ直ぐな目で。
あの言葉に、どれだけ救われたか分からない。
それでも、ここでの暮らしは空虚だった。
――クレシアと出会うまでは。
人との関わりを避けていたところに、面倒なものが転がり込んできた。
最初はそう思った。
だが。
異常な魔力量は純粋に興味を引いた。
そして放置すれば危険だということも分かっていた。
弟子入りはかなり強引だった。
だが振り返れば、素直で努力を怠らない弟子だった。
男装を命じた時も嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しんでいるように見えた。
地味で苦しい訓練にも耐えた。
毎日、確実に進歩していった。
クレスを見ているうちに、自分が楽になっていた。
王宮での失態を思い出すことが減り、憎しみや後悔を考える時間が減り、弟子の成長を見る時間が増えていた。
(救われていたのは、俺の方だったか)
制服の箱に視線を落とす。
今日、それを見ても心は大きく揺れなかった。
戻りたい気持ちが消えたわけではない。だが以前のような痛みは、もうない。
その時。
寝室の扉を、カリカリと擦る音がした。
何だ。
扉を開けると、首に赤い布切れを巻いたイタチがいた。
逃げない。
じっとこちらを見ている。
――使い魔か。
しゃがんで、小さな体から丁寧に布を外す。
中から丸められた紙片が出てきた。
イタチはそのまま、音もなく闇へ消えた。
紙を開く。
『一月ほどで、お迎えに上がります。使い鳥が見えたら結界を解いてください』
小さく息を吐いた。
やはり、リリアナだ。
動物魔法を扱える治癒魔法士。
王都に戻れる。
文面通りならあと一月で。
嬉しい知らせのはずだった。
だが。
視線が、無意識に家の中へ向く。
クレスはまだ台所の片付けをしているようだった。
力の制御はできる。
生活魔法も使える。
結界も覚え始めた。
街の魔法士としてなら、十分やっていけるだろう。
しかし。
本当にそれでいいのか。
このまま別れて独り立ちさせることが、正しいのか。
あの力をここで手放して大丈夫なのか。
簡単には答えは出ない。
手紙を握ったまま、ヴァレリウスはしばらく立ち尽くしていた。




